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半導体を知るための「おさらい」 【連載】半導体一筋60年⑮最終回

2024-08-29 05:25:39 | 半導体一筋60年

【連載】半導体一筋60年⑮最終回

半導体を知るための「おさらい」

釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)

 

半導体はどこに使われているか?

 これまで半導体について14回にわたり話をさせて頂きましたが、予定していた内容は一通り終わったと思いますので最後にまとめをさせて頂きます。半導体はどこにも使われており、我々が日常生活を送る上で半導体が入っていない機器を探すのは難しいほどです。ただ、直接目に触れないので分からないのだとお思います。
 さて自動車を例にとりましょう。
 私が三菱電機に入社した昭和39(1964)年でも自動車用ダイオードが造られていました。車はエンジンの回転により発電し、発電した交流を直流に変えそれをバッテリーに送って充電しています。この過程の交流を直流に変える時にダイオードが使われます。当時これ以外の半導体は殆ど使われていなかったと思いますが、今は半導体なしに車は考えられなくなっています。
 パワーハンドルやパワーウインドウなどはモータで動かしていいますが、「モーターある所に半導体あり」です。エンジン制御、燃料噴射装置などはマイコンで制御されるようになりました。自動運転の車が誕生していますが、それにはマイコンをはじめ諸々の半導体が欠かせません。近年では、車はインターネットとつながるようになっているので、半導体の搭載率は益々高くなる一方です。

なぜ日本の半導体は凋落したのか?

 凋落した要因には、いろいろあるでしょう。どの要因が一番かという事は、立場によってとらえ方が違うように感じます。

①日米半導体協定の影響
 これを一番に挙げる人は経営層かそれに近い人が多いように感じます。この協定の隙をついて韓国が伸びた、あるいは米国が韓国を利用して日本を叩いたと言う人もいます。
 韓国に有利に働いたことは間違いないと思いますが、一方で韓国は国力を上げるために、国を上げて半導体に力を注いだことも忘れてはいけません。台湾についても、同じことが言えるのではないでしょうか。
 韓国は半導体、それもDRAMを突破口にして力を付け、今やサムスンはDRAMで世界一となっています。その結果、得られた資金でEUV露光装置を導入し、インテルやTSMCと並んで最先端の製造ラインを建設しています。
 サムスンは更に携帯電話、リチウムイオン電池などでも世界トップクラスの地位を占めています。これに反し、日本はこれらの分野で世界市場での存在感は薄くなっています。

②経営のスピードが遅すぎる日本
 私は経営層にいた事はありませんが、経営をサポートする立場にあった者としては、凋落の要因として日米半導体協定を最初に挙げるのとは立場が異なります。
 経営を支えるスタッフとして感じるのは、経営のスピードが遅すぎることです。スタッフにも責任の一端はあるかも知れませんが、日本企業の経営の仕組みに問題があると思います。
 例えば投資のタイミングでも即断即決はできない仕組みになっています。「いつやる? 今でしょ!」という訳に行きません。
 日本の半導体企業は多くの事業部門を持つ大企業の1部門だったので、半導体部門だけで投資を決める事が出来ません。ます様々な事業部門のトップから成る取締役会の審議を経て決まるのです。
 そこに至るまでに時間がかかって仕舞いますし、半導体以外の事業部門の役員に理解してもらうのに多くの時間とエネルギーを要します。大企業の「年度予算」は末端の現場において、次年度必要となる設備投資計画を出すところから始まりますが、いろんな階層をボトムアップで上げて行くので、1年かけての作業になります。
 慎重審議の末投資を断行した時に需要がピークアウトし、市況が悪化した頃に工場が立ち上がり、供給過剰と価格下落を招き、膨大な赤字を生み出すと言う道を辿る事になります。この様な大企業のやり方は、「ドッグイヤー」の中で俊敏な判断と行動が必要な半導体には向いてないでしょう。

③資金不足(低利益率と貧弱な政府補助)で投資競争から脱落
 微細化に向けての投資額は年々巨大化しています。投資を続けるためには利益を上げ続ける必要があるでしょう。日本はDRAMを手放したあと稼げる製品を見つけるのに苦慮しています。かつてDRAMを放棄した米国のインテルはマイクロプロセッサーへの道を歩み、そこで大きな利益を得て、ついに世界1の半導体企業となりました。
 残念ながら日本の場合はそうはならなかったのです。そして海外に比べ政府による助成の仕組みが貧弱であることも上げなければなりません。

④アプリケーションマーケットの弱体化と経済の低迷
 半導体を消費する日本のアプリケーションマーケットが弱くなっているのも半導体凋落の要因かも知れません。1980年代、90年代はテレビ、ビデオなどのAV機器分野では日本メーカが世界を席巻していました。日本経済も好調でしたが、加熱してバブル経済へと突入ししたのは言うまでもないでしょう。
 そして平成時代が始まる頃、バブル経済は崩壊し、日本経済は低迷へと向かいました。アプリケーション・マーケットにおいても、市場を牽引する電子機器は、AV機器からパソコンや携帯電話などのIT機器へと移行しました。日本はそこでの世界シェアを落としていった結果、半導体需要の伸び悩みへと繋がり、日本半導体凋落の一因となったと思います。

日本半導体の復興に向けて

 落ちるところまで落ちて、政府もようやく目が覚めたのか、半導体強化の為の政策を打ち出しました。すなわちTSMCの誘致とラピダスへの助成です。これはいわばカンフル剤のようなもので、これだけでは復興は覚束ないと思います。最先端の半導体を開発しても、それを大量に消費するアプリケーションマーケットが無ければ長期的な成長は見込めません。
 これからはAIが有望な市場だと言われています。そのような市場の確保が復興の鍵を握っていると思います。ラピダスはカナダのAI関連の企業と組むことが報道されていますが、海外への展開を大いにやると共に、願わくは国内の企業も伸びてきて欲しいものです。(おわり)

 

新連載開始のお知らせ!

【筆者から】 半導体についてこれ以上書き続けるのは、一般の人にとってどうでも良い専門的な話になってしまう恐れがあります。そんなわけで、この連載は終了させていただきます。これからは雑談的な話をすることで、皆さんと一緒に日本の将来を考えていきたいと思っております。

【編集部から】 はい、そうです。釜原紘一さんの新連載が決まりました。かつて「技術大国ニッポン」と言われ、破竹の勢いで世界の最先端技術をリードしてきた日本ですが、今や韓国、台湾の後塵を拝する体たらくです。いかにして日本は復活できるのか。半導体に限らず、日本の教育や企業体質、外国企業との比較、科学技術のレベルなどについて、釜原さんの豊富な経験をふんだんに盛り込みながら日本の問題点に容赦なく斬りこんでくれるでしょう。

新連載は9月12日(木)からスタートです。

どうぞご期待ください!

 

 

【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】

昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)


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