池田一貴さんの短期連載小説(上・中・下=毎週火曜日)
矢切の渡し 関八州夢幻譚(上)
ふとしたことから醜女と駆け落ちしたのだが……
一 駆け落ちをせがむ醜女
小雨のそぼ降る利根川の堤に、母の姿を見た。傘もさしていない。
「おっ母さん、ごめんなさい……」
舟から頭を下げる娘に対し、母の唇は「百合の香(ゆりのか)。もう、帰ってくるんじゃないよ」と動いていた。水面(みなも)をたたく雨音で声が聴き取りにくい。だが、しっかり伝わっている。
「はい……おっ母さん、きっと幸せに……」
声を震わせる百合の香の細い肩を、源次楼(げんじろう)がぎゅっと抱きしめた。
そのとき、土手の一角に武士の一団が現れ、先頭の三、四人が長い筒を構えた。鉄砲である。
「放てー」「撃てー」
十手を振り上げた役人の号令と、
「伏せてー」
母の金切り声とが切れ切れに届いた。小雨をつらぬいて銃声が立て続けにとどろく。船頭までが驚いて伏せている。
「なあに、中(あた)りゃあしねえ!」
源次楼はそう叫ぶと、船頭から艪(ろ)を取り上げ、かわりに漕(こ)ぎはじめた。風と雨の中、ゆらゆらと揺れる小舟を狙って、舟客に銃弾を命中させるなど、ほとんど神業に近い。柴又あたりのへっぴり腰の足軽同心どもにそんな神業は無理だ。無宿人として喧嘩の場数だけは踏んでいる源次楼には、あたりまえの判断だった。
この時代、国定忠治や清水次郎長らも喧嘩に鉄砲や短筒を持ち出していたから、無頼どもにとってそれがどの程度の威力をもっているかということは、よくわかっていた。喧嘩の武器として最強なのは、やはり日本刀──長脇差(ながわきざし)──であることも常識である。
「お前(めえ)さん、度胸があるなぁ」
別れ際に船頭が褒めるので、源次楼は心付けをはずんだ。
「いや、迷惑をかけちまった。戻ったら役人の詮議があるだろうが、そんときゃ、あの無宿人に長脇差(ながどす)で脅されました、と言えばいい」
「ああ、そうするよ。達者でな。そちらの御新造(ごしんぞ)さんも」
御新造(奥さん)と呼ばれて、十七歳の百合の香はぽっと頬を染めた。早朝、母が髪を丸髷(まるまげ)に結い直してくれた。既婚女性のしるしである。
役人の銃撃には続きがなかった。いつの間にか、鉄砲をもつ武士たちの足元に数十匹の蛇が絡みついていたからだ。武士たちは悲鳴を上げ、鉄砲を捨てて逃げ惑った。ふだんから土手には蛇が多いとはいえ、数十匹とは不気味である。何の兆しかと誰もが訝(いぶか)った。
利根川は昨日からの雨で増水している。対岸に松戸を望むこの矢切の渡し付近は、現代の河川区分では江戸川と呼ばれる支流だが、当時上流はむろんのこと、このあたりの支流まで含めて利根川と呼んでいた。本流は銚子まで流れて太平洋に注ぐ。上流が増水して蛇が流れてきたのかどうかはわからない。
じつは、源次楼はこの百合の香という女を旅の道連れにするつもりなんぞ、これっぽっちもなかった。女連れの旅はなにかと面倒だ。とくに無宿人にとっては。
だいたい道中で、もし女が必要なら飯盛女(めしもりおんな、宿場女郎)で間に合う。素人の生娘なんざ足手まとい以外の何ものでもない。まったく何の因果でこんなことに……。
最初に駆け落ちを持ちかけたのは百合の香のほうだった。「私を連れて逃げて」と。男としては悪い気はしない。しかしそれは、相手が別嬪(べっぴん)だったらの話だ。器量でいえば、百合の香は村娘のなかでも下の部類だろう。江戸市中の垢ぬけた娘たちのなかに置けば、下の下か。要するに、源次楼にとって武勇伝の足しになるような器量良しとは程遠い。だから、駆け落ちも「だめだ」と言下に断った。女の願いをこうも無下に断ったのは初めてだったかもしれない。
しかし、どんな幻術に誑(たぶら)かされたのか、いつの間にか、駆け落ちに同意していた。百合の香の身体には指一本も触れていないというのに……。十五歳でやくざ者の腕を斬り落として故郷を飛び出し、無宿渡世に生きて、爾来(じらい)十有余年、こんなことは初めてだ。ありていに言えば、醜女(しこめ)と駆け落ちするなんざ、どう考えても無宿渡世の恥。どっかで早く捨てねば。これが今の本音である。
それにしても不可解だ。たかが村娘ひとりを連れて駆け落ちしようってだけの話なのに、なんで与力やら同心やら十手もちの武士どもが、鉄砲組まで引きつれて出張ってくるのか。ものものしすぎる。
そのうえ、止まれとも待てとも言わず、いきなり鉄砲を撃ちかけてくるのも尋常じゃない。もしや百合の香は、代官が首を懸けても守らねばならぬ重大な秘密を握っているのかもしれぬ。そういえば村の衆も百合の香を特別扱いしていたような気がする。改めてこの娘の顔をまじまじと見直したが、醜女(ブス)はやはり醜女にしか見えない。
旅籠(はたご)の湯につかりながら源次楼はあれこれ考えていたが、どれもこれも腑に落ちないことばかり。部屋に戻ってからは部屋の隅で書きものを始めた。
「ねえ何を書いてるの」と百合の香が問う。
「相部屋なんだから、もっと小声で話せ。今は俺たち二人きりだからいいものの」
「あら源さん、字が上手ねえ。寺子屋のお師匠さんより上手だわ」
「なに、武州の片田舎の寺に一年ばかり隠れていたとき、住職に教わったのさ」
「ふーん、寺子そのものね。何を書いてるの」
「おめえの通行手形だよ。俺が書いたなんて内緒だぞ」
「えーっ、そんなものまで書けるの。それはお寺さんだけに許されてる大切な文書(もんじょ)でしょう」
「話せば長くなるが、簡単にいうと、その寺の住職は博奕(ばくち)狂いで仰山な借金をこしらえたのさ。それを俺が助け、かわりに一年間匿(かくま)う約束をさせた。そのうえ、読み書きを教わり、また寺院が発行するいろいろな文書の書き方まで教わった、というわけさ。この花押(かおう)もその住職のものだ」
花押とは手書きの落款(らっかん)ともいうべきもので、一種の様式記号化されたサインである。氏名の下に印鑑のように記入する。源頼朝や徳川家康の花押などは有名だが、江戸時代までは公家から武家、僧侶、庶民にいたるまで各自の花押をもっていた。幕末から明治になると花押がすたれ、印鑑に替わっていった。しかし、花押は現代にも使用されており、閣議では、閣僚文書に各大臣が氏名の下に花押を書き込むのが慣例となっている。大臣をめざす政治家は、花押の準備も怠りない。
通行手形は、人別帳や宗門改めの管理義務を負わされた仏教寺院が、檀家の人々の寺社参詣の旅、商用の旅、嫁入り、慶弔、奉公などに際して、関所を通るための身分証明書として発行したものだ。現代のパスポートに相当する。その形式は発行する寺院ごとに異なっており、証明印が花押であったり印鑑であったり、素材が紙であったり木札であったり、証明の文言もさまざまだった。
無宿人は当然、通行手形をもっていない。
無宿人というのは、犯罪、勘当、欠け落ち(駆け落ち)などの結果、人別帳から外された人間のことである。だから戸籍も通行手形もない。現代風にいえば無戸籍の不法滞在者(不法旅行者)、つまりパスポートもビザもない不良外国人に相当するだろう。
源次楼はかつて住職から読み書きを習ったうえ、寺院が発行する証明書類の書き方にまで習熟したため、今では自分で偽物の通行手形を書くこともできるわけである。だから百合の香の「お伊勢参り」用の通行手形もさらさらと書き上げた。これは一種の才能である。とはいえ、やはり女連れの旅は何かと気苦労が多い。
二 半目の権左(はんめのごんざ)
梅雨が過ぎると、利根川の土手や付近の道端には、ぽつりぽつりとヤマユリ(山百合)やテッポウユリ(鉄砲百合)が咲く。山のほうへ向かう林の一画にはヤマユリの群生地があり、夏にそばの山道を通れば噎(む)せるほどの芳香が流れてくる。ちょうど今の季節だ。
百合の香は自分の名前ともかかわりが深いことから、ユリの花が好きだった。いろいろなユリのなかでも特にお気に入りなのがヤマユリだ。花が大きい。香(かぐわ)しい。背の高い、つまり茎の長いものは六尺(約一八二センチ)を超える。日本の花のなかで最も美しいと信じていた。
この時代の日本人は知らなかったが、西洋には日本のユリのように大きな花を咲かせるユリは存在しなかった。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた有名な「受胎告知」の絵を見ればわかりやすい。聖女マリアに懐妊を知らせる天使ガブリエルが左手にもつ花は西洋の白ユリである。いかにも小さい。白ユリは「純潔」を象徴するため、マリアの受胎が性行為の結果ではないことを示す意味で、ほとんどの受胎告知の絵には白ユリの花が添えられる。ダ・ヴィンチの場合は天使が片手に捧げ持つ絵柄だが、シモーネ・マルティーニの「受胎告知」では中央の花瓶に差してある。
幕末の開国後、西洋人は競って日本からユリの球根を輸入した。とくに純潔、高貴、威厳の象徴とされた白ユリは大人気だった。たしかに聖母マリアには、日本の大きな白ユリ(テッポウユリ)こそがふさわしい。
旅を急ぐ二人の目にも、ちらほらとヤマユリの花が麗姿を見せてくれる。二人は矢切の渡しを柴又から松戸へ渡った後、西北行して再び利根川を逆に渡り、中山道に入って北上していた。百合の香にとって追手を気にする旅とはいえ、つかの間、路傍のユリに心が慰められる。
とある茶屋で休憩しているとき、源次楼の手の甲に蚊が止まった。手首に近い部分である。百合の香が「源さん、蚊が」と言いかけたら、源次楼はとっくに気づいていて、手首をくいっと手前に倒した。蚊は手の甲と手首に挟まれて潰れた。
「えっ」と百合の香は声を上げた。手はふつう手のひら側には簡単に曲げることができても、その逆方向、つまり手の甲側に直角以上に倒すことはできない。ところが源次楼は、手の甲がほとんど腕に着くほど曲げられるのだ。手のひら側も同じで、五本の指で腕を掴むことができるほど曲げられる。なんという関節の柔らかさだろう。百合の香は驚いた。
「源さんて、字も上手だし、手首も柔らかいし、なんか普通の人と違う」
「なに、逆立ち歩きだってできるぜ。ははは」
道中は長い。
大股に歩く源次楼についてゆくのは、百合の香には少々つらかった。ちょっと、源さん、もう少しゆっくり……と声をかけても、源次楼は冷たい。口癖のように「上州(上野[こうづけ]の国)に着くまでは安心できねえ」というのだ。
「どうして上州なの?」と問えば、
「決まってらぁな。国定忠治の親分のお慈悲にすがるのよ」
といっても、源次楼が忠治と昵懇(じっこん)の間柄というわけではない。義賊として今、日本中にその名を轟かしている国定忠治の名前を知っているだけのこと。文字どおり、有名人のお慈悲にすがるという、虫のいい腹づもりがあるだけなのだ。なりゆきまかせの、かなりいいかげんな男である。
三日後の昼、休み茶屋で二人が一服していると、やはり遊び人風の三度笠に道中合羽の男が寄ってきて「あっりゃー、兄いじゃねえか」と、すっとんきょうな声をあげた。源次楼が身構えると、相手は「おいおい、俺だよ俺。半目(はんめ)の権左(ごんざ)だよ」と後ずさりしながらも、手は長脇差にかかっている。不意打ちに備えた態勢をとるのは一匹狼の無宿人の哀しい習性である。
「なんだ、権左か。どこへ行くんだ」
「源兄いとは駿州(すんしゅう、駿河〈するが〉の国)の博奕場(ばくちば)で会って以来だから、一年ぶりだなぁ。俺はこれから上州さ。国定忠治親分に会いに」
「ほう。そりゃ好都合だ。おめえ国定の親分を知ってるのか」
「いや、親分にゃ会ったこたぁねえが、清水の巌鉄(がんてつ)てえめっぽう腕の立つ野郎と駿州で知り合ったんで、そいつを頼ってね。巌鉄は国定一家の子分のなかでも五本指に入るぐれえの猛者(もさ)だぁな」
「なおさら好都合だ。一緒に行くべ」
「そっちの姐(あね)さんは」
「あとで話す」
三人は中山道から利根川を越えて日光例幣使(れいへいし)街道に入り、木崎の宿の旅籠に旅装を解いた。ここはもう上州、ここまで来れば国定一家のシマ田部井(ためがい)は目と鼻の先だ。
相部屋となった老婆と孫娘の二人連れと親しくなった百合の香は、楽しそうに連れ立って風呂に行った。その間に源次楼は権左と酒を酌み交わしながら、矢切の渡しの一件を語った。
「ぷっ、じゃあ兄いは、駆け落ちを押付けられ、不細工な押しかけ女房に取り憑かれちまった、てえわけだ。おまけに鉄砲まで射かけられて」
「欲しいなら、あの女くれてやるぜ」
「名前は」
「百合の香」
「綺麗だね、名前だけは。けけけ。だが面倒の種になりそうな女だなぁ」
「どうだい、もらうか」
「うーん、考えるまでもねえが……あ、それより兄い、手形を失くしちまったから、また作ってもらえめえか。礼はしますぜ」
「そうか。おめえなら一両にしといてやらぁ」
「た、高え」
「前と同じだぁな。ほかの人間なら二両だぜ」
「そうだっけか」
半目の権左用に「お伊勢参り」の通行手形を認(したた)めながら、源次楼は考えていた。たしかに百合の香には面倒の種が宿っているのかもしれない。柴又の村の衆もなんとなく腫れ物に触るような雰囲気だった。世間知らずなところもこわい。簡単に騙されるおそれが多分にある。それが大事(おおごと)に発展しないとも限らない。
後日判明したことだが、相部屋の老婆と孫娘が路銀を無くしたと悲しんでいたというので、百合の香は同情し、自分の金を貸してやったという。源次楼と権左がいない間の出来事である。
「そりゃ騙(かた)りだよ。道中に多い寸借の騙りさ。やられたな。その金は金輪際かえってこねえぜ」
権左に指摘され、百合の香は呆然とした。
ぼそりと「返してもらおうとは思っていません」と言ったが、これは強がりではなく本音だろう。仮に相手が返す気になっても、どこを訪ねればいいのか判らないのだから。「めぐんであげる」というのは相手に失礼だから「貸す」と言ったまでのこと。はなから返済は当てにしていない。
それより、もし騙りが本当なら、悲しい。人間を信じてはいけないのかしら、と思い惑う。呆然としたのはそのためである。
三 奇人!国定忠治
国定忠治は、源次楼の予想を超えていた。
型どおり仁義を切って挨拶すると、険しい目で源次楼と百合の香を睨(にら)みつけた後、ニッと笑う。
「若夫婦にゃ、田部井の農家を一軒貸してやろう。しばらく、のんびりするがいい」
子分らの話を聞くと、忠治親分は恐ろしいほど型破り、常識なんざ糞くらえの人だ。任侠道もへったくれもない。頑固で気が短い。ぞっとするほど残忍。頭の回転は速い。親しくなるとめっぽう優しい。面倒見の良さは天下一品。剣の腕は、念流の免許皆伝と聞く。並の侍じゃ太刀打ちできぬ。強盗や賭場荒らしで荒稼ぎするが、金離れもいい。貧乏な百姓には金をばら撒く。堅気にゃ手をかけない。
子分は、一声かければ七、八百人は集まるというが、ふだんは数十人しか見かけない。忠治親分に対しては、もう絶対服従である。逆らえば文字どおり首が飛ぶ。腕一本なら好運だという。
どんな人間なんだか一言で表現しにくい。大物であることは確かだが、気ちがいかもしれない。とにかく恐るべき人間のようだ。
源次楼はなぜか忠治に気に入られた。権左から見れば、自分と大差ない無宿人なのに、源次楼ばかりが特別待遇をうけるのが納得できない。といって不満でも漏らそうものなら、一刀のもとに斬られるか、追放されるかであろう。誰もが怖気(おぞけ)をふるうほど、わけのわからぬ親分なのだ。
国定忠治の本名は長岡忠次郎という。故郷の国定村の住人たちは、徳川の世になってからは帰農して百姓だが、戦国の世までは武士だった家が多い。みんな苗字があるだけでなく、刀剣や銃砲も、ほとんどの家が隠し持っていた。百姓とはいえ剣術も盛んだった。忠治が剣に強いのも、そんな背景があったからだ。
源次楼と百合の香が住む田部井村は、国定村の隣り村である。源次楼の家には、必要なものは何でも子分たちが届けてくれる。なぜ、そこまでしてくれるのか不思議だった。別格の客人扱いだ。はなから三下扱いの権左とは大違いである。
忠治は、軍師とも智恵袋とも呼ばれる日光の円蔵を呼んで聞いた。
「円蔵どん。ありゃ只者じゃねえな」
忠治が「どん」と敬称で呼ぶのは、子分の中でも円蔵に対してだけである。
「いや親分。あっしにはどうもわからねえ」
「源次楼じゃねえ、あの嫁のほうよ。百合の香とかいう」
「ええ、なんか、普通じゃねえのは感じるんですが……、元坊主のくせに面目ねえ」
円蔵は元「晃円」という名の僧侶だった。晃を分解して日光、円を円蔵としたのである。
「ふむ。円蔵どんでもわからねえか。あやかし(妖怪)みてえな……、うーん、もうしばらく様子を見るか。すぐにゃ手を出せねえな」
忠治はゲテモノ喰いだった。食べ物も女もゲテモノを好む。美味・美女も好きだが、異類にも目がない。百合の香にそこはかとないゲテモノ臭を嗅ぎ取った忠治は、子分を使って密かに、交代で二人を見張らせた。権左もまた、命じられたわけでもないのに、二人を監視していた。やっかみ半分である。
四 満月の夜の変身
数日後、満月の夜に突然、異変が起きた。駆け落ちしてから最初の満月の夜である。
源次楼は農家の庭に面した縁側で、まん丸い十五夜の月を眺め、莨(たばこ)の煙を月影に吹きかけながらぼんやり考えていた。
(百合の香は丸髷に結って妻となる覚悟を示しているのに、俺は夫婦(めおと)の契りも何も未だしていない。どうするか?)
そんなとき、蚊帳(かや)のなかで寝ていた百合の香が不意に、声を殺して苦しみだしたのである。源次楼が異変に気づいたのは、発作から小半刻(こはんとき、約三十分)も経ってからだろう。
「どうしたい。塩梅(あんべえ)が悪いのか」
近づいて声をかけると、蚊の鳴くような声が返ってくる。
「すみません、大丈夫……」と。
行灯(あんどん)の明かりを点(とも)した源次楼は、女の姿を見て驚愕し、声を失った。
そこにいるのは絶世の美女だったからである。否、そんなありきたりの言葉では表現できない。この世のものとも思われぬ神々しいまでの美人が、そこにいたのである。ほのかに、ユリの花のかぐわしい匂いにつつまれて。
垣根越しに見張っていた子分の甚太(じんた)も、その後ろの岩陰にいた権左も、若い娘の妖しい変貌を目撃して喫驚(きっきょう)し、目を瞠(みひら)いていた。
(続く)
【池田一貴(いけだ いっき)さんのプロフィール】
福岡県生まれ。団塊の世代。東京外大卒。産経新聞社を経てフリーランスのジャーナリスト。現在、ノンフィクションおよびフィクションの作家として執筆活動。