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特別な日だった10月31日 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉓

2021-11-03 10:12:52 | 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆

【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉓

特別な日だった10月31日

 

岩崎邦子 

 

 


 10月最終日の31日は、衆院選挙の投票日だった。投票所になっている南山小学校に出かけた午前9時過ぎ。ん、雨になるかも? そんな空模様となったが、投票所に向かって行き交うのは年配の人たちが多かった。年齢はきっと私達よりは若いカップルである。奥さんの方が、杖をついて歩く姿を何組か見かけた。ああ、私もこうなるのかも。
 若手の有名俳優たちによって選挙への関心と投票を、若者に呼び掛けていたが、果たして成果は出たのだろうか。その日はハロウィーンの日でもあった。だから、若い人たちの関心事は選挙よりもそちらに気が行っていたのかも知れない。
 どのテレビ局も選挙速報がされる中、渋谷駅前交差点の若者たちの様子、仮装している人、見物している人たちの混雑ぶりが、放映されていた。
 ちなみに、ハロウィーンは元々、アイルランドでキリスト教の諸聖人に祈りを捧げる祝日「万聖節」の前夜祭。でも、昨今はアメリカの民間行事としてすっかり定着した。カボチャをくり抜いて「ジャック・オー・ランタン」をつくって飾ったりする。これは、日本の鬼火のようなもので、目・口・鼻をくり抜いて、中にキャンドルを灯す。
 他にも魔女をはじめ、お化け、ゾンビ、ドラキュラ、骸骨、黒猫、狼男などに仮装する風習も。仮装するのは悪霊から身を守るためという説もあるようだ。
 子供たちも仮装して、「トリック・オア・トリート」(お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ)と言って、家々を回る。孫たちが小さい頃は、娘も可愛い仮装をさせたくて、お姫様やミツバチマーヤを苦労して作っていた。
 子供たちの来訪に、大人は「ハッピー・ハロウィーン」と言って、お菓子を手渡す。しかし、この風習も、昨今のコロナ騒ぎのせいか、今はしない人たちもいるとか。
 ところで私が初めて「ハロウィーン」なるものを知ったのは、アメリカに住む娘の所に出かけた時であった。娘のママ友たちとも連れだって、農家の家に出かけて行ったことも。広々とした畑にはオレンジ色の大きなカボチャがごろごろと転がっていて、初めてのその光景に驚いたものだ。
 それぞれの好みの大きさや形のものを選んで購入するのだ。ランタンにして窓辺に飾って魔除けとするが、大きなカボチャが、ヤード(前庭)や、玄関先などに置いている風景も、見かけたりした。
 さて、10月31日は夫の84歳の誕生日でもあった。思うことは、「お互いに、よくもまぁ、元気にこの年まで来れたことよ」である。特に夫は68歳で現役を引退した頃は、腰痛が酷く、体のあちこちの器官もボロボロの状態。救急車のお世話にまでなったこの頃のことは、ずっと以前にもブログで書いたことがあった。
 お酒を飲まない夫にとっての一番の趣味というか、関心事はゴルフである。不本意ながら彼の自慢話を書いてあげたというわけだ。人様から嫌われないためには、「過去の栄光を語るな!」が筋だが、男性の平均寿命が81.64歳とか。それを過ぎても元気でいられることなので、ま、勘弁してあげよう。
 夫のゴルフ好きが始まったのは、30歳が目前の頃に北海道に転勤して広大なゴルフ場に出会ってからだ。まだゴルフをする人も少なくて、のんびりと家族連れで行くことも許された。私は子供と一緒にのんびりと温泉に入り、夫が一人でゴルフをすることも度々である。
 そんな北海道から東京の会社に戻ることになったので、千葉県の市川に住むようになった。プレーは、千葉や茨城の奥の方に出来たコースに出かけるように。ま、ゴルフ場の会員権の獲得では、オープン予定のゴルフ場が頓挫してしまい、大失敗した苦い経験もある。
 住まいに近い鎌ケ谷カントリーの会員になってからは、会社関係の人と出かけるようになった。そして、帰りは我が家が家庭麻雀の場となった。すっかり「ゴルフ未亡人」となってしまった私だが、精一杯の反発も。「私の前では一切賭け事をしない」という約束を夫から取り付けたのである。こうして、アフターゴルフを満喫していた。
 その後、アメリカに転勤になって、マンハッタンでアパート暮らしが始まる。夫は隣のニュージャージー州のゴルフ場には出かけていた。ロサンゼルスに移ってからは、カルバサス・ゴルフ場の家族会員に。そう、私も下手ながらゴルフ・デビューをしたのだ。気候も良いので緑の芝生を歩けること、帰りにはプレー仲間と日本食や韓国のBBQを食べに行けることが楽しみでもあった。
 日本に戻ってから私たち夫婦は白井の住人に。夫は休日になると、ふらりと一人で鎌ケ谷カントリーに出かけ、どなたか空いている所のプレー仲間に入る。誰からも嫌がられずに、行けばあちこちから声をかけれたとか。こうしたことが功を奏しただろう、鎌ケ谷カントリーの理事長杯をかけて、夫も含めて130人がエントリーした。そして、なんと準優勝。53歳のときである。
 2年後の理事長杯争奪戦では優勝してしまった。このときも対戦相手は、見事な体格でスポーツ万能の人たちばかり。誰が見ても夫は不利な中、最後は3人でのプレーオフになった。淡々とプレーをしながらも、お互いに励まし合ってのプレーが出来たことが一番の思い出だという。
 優勝できたことの感謝として、いつもこの時の爽やかな気持ちだったことを、私に聞かせる。優勝杯を掲げた夫の大きな写真が出来てくると、居間の目立つところに飾って、喜びを爆発させていた。
 ま、夫にゴルフのことを自由に語らせれば、嬉しかったことの数々のエピソードを話し出す。ホールインワンを達成したことが2回あって、その記念にゴルフ場に植樹の贈呈をしたとか、ミッドシニア関東大会(静岡から北海道までの65歳以上の500人以上がエントリー)で決勝進出したとか。
 最たる喜びは、何といっても80歳のときに、77というスコアでエイジシュートを達成したことである。エイジシュートとは、自分の年齢と同じか、それ以下のスコアでプレーすること。八千代ゴルフクラブ場からは、共にプレーをした3人と、キャディ2人の名前が入った証明書と共に、会を主催した人からのメッセージが添えられている。
「全てのゴルファーが一度は夢見るだけで終わることを、貴殿は日頃のたゆまぬ技術の研鑽により達成されました。ゴルフに対する情熱の高さを示すものと……」
 私にすれば、ただの紙切れだが、夫には殊の外嬉しい出来事だったに違いない。で、その後も2回、3回、4回とエイジシュートを相次いで獲得し、今年7月28日に行われた総武カントリーのゴルフコンペでは5回目を。まだ83歳のときだから、83のスコアで達成出来たのである。
 仲間からは大仰な称賛を受けたようだが、私が薄い反応だったことが、夫は不満の様子だ。とは言っても、夫にとって、たくさんのゴルフ良い仲間に恵まれて、元気に過ごせていることが何よりの幸せなことだろう。
 最近はまた、ゴルフブームが来ているのか、ホームコースの鎌ケ谷カントリーは、都心からも近いせいか、予約がなかなか取れないらしい。残念だ。でも、千葉県には他にも多くのゴルフ場があるので、予約も比較的取りやすい。それがゴルフ好きには、何よりも救いだ。
 10月31日は、ハロウィーンということもあって、夫の誕生日を家族の誰もが忘れることはない。息子や娘、孫たちからは「これからも元気でいて」の言葉は送られて来る。可哀そうなことに、ゴルフの事は一切触れられないので、夫は少し不満かも。でも、このエッセイで、またまた夫のゴルフ人生を綴ったから、少しは気が済んだだろうか。

 

 

【岩崎邦子さんのプロフィール】 

昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。


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