
【連載】頑張れ!ニッポン㉛
かつて「現場力」が改善点を見つけた!
釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)
NECが先端を切ったZD運動
1960年代半ばから80年代半ばまでの約20年間、私は半導体工場にいた。以下に述べるのは、その当時の体験に基づくものである。現在はかなり状況が異なるかも知れないが、時代が変わっても変わらないこともあると思う。だから、少し話を聞いて欲しい。
当時、ZD運動と言うものが盛んであった。ZDとはZero Defects(無欠陥)のことで、チャットGPTに聞くと「元々はアメリカ発祥の運動であり、日本ではNECが1965年にZD活動を導入し、QCサークル活動と統合してZDグループ活動として展開させた。この活動は日本能率協会を通して広まり、多くの企業で品質改善の手法として採用された」という。
私の居た会社でも、半導体工場に限らず、全社的にZD運動が展開された。各現場ではZDを合言葉に不良や欠陥を絶対出さないように頑張る訳だが、それがやがて小集団活動へと発展して行った。
製造現場では、工程のいくつかをまとめて20名前後の「班」が職場での管理単位となった。いくつかの班で小集団を作り、そのメンバーが日常の作業を通して気付いた改善点を提案するのだ。提案内容は、作業手順、治工具、製造装置など何でもいいから改善点を所定の用紙に記入して、班長さんなどの上司に提出するのである。
半期ごとに工場全体で提案者による発表会が行われた。優勝者は、社長以下本社の幹部も出席する全社大会に出場する。こうして職場のやる気を引き出しながら細かい改善を積み上げて行く。そんな活動が日本中の工場で展開されていたのではないだろうか。
貨物列車の通過が歩留まりの原因に
ある時、ふと目にした一つの記事が記憶に残っている。記事の要旨は次の通りだった。
〈NECの半導体工場で周期的に歩留りが低下する問題があったが、なかなか原因がわからず苦労していた。ところが、ある女子作業者が歩留まりの変動が、工場の近くを走る貨物列車の通過時刻と同期している事を発見し、小集団活動の場で発表した。それを受け専門の技術者が調査と対策を行って、見事に問題が解決した〉
その記事は、現場で働く人の視点がいかに大事であるか、小集団活動による改善活動が非常に有効であるかを強調していた。当時、NECの半導体は業界をリードしており、数年後には売り上げ世界一になったものだ。
NECでのエピソードは説得力があり、各社こぞって現場重視の品質管理活動を強化したのだった。今は自動化が進んでおり、作業者の関与する割合は減っているかも知れないが、やはり現場作業者のレベルで品質が決まる事は大いにあるだろう。
マニュアルでは伝えきれない事は沢山あり、現場作業者の創意工夫は重要である。それは品質のみならず現場の生産性向上、ひいてはコスト削減にもつながる。「現場主義」や「現場力」という言葉も。さらに「机上の空論」という言葉もある。現場の実態を把握せずに事を進めれば、失敗する確率は高くなるのだ。
▲中国にあるiPhoneの工場(ライブドアニュース)
話は変わるが、前号でトランプ大統領の高関税政策は、米企業にも影響を与えるのではないかと述べた。案の定、トランプ大統領はiPhoneやパソコンへの関税は見直しすると言い出した。スマホやパソコンの殆どは中国で生産しているという実態を、トランプ政権の高官はどこまで把握していたのだろうかと疑いたくなる。
ところで近年はこの現場力が低下しているのではないかと疑われることが度々起こった。私の居た会社でも起こった事だが、製品の検査基準を勝手に変えて、本来あるべき合格基準に達していない製品を出荷する事例が多発している。中には10年単位の長期にわたって不正が行われていた例もある。
基準値はかなり余裕をもって決めるものであり、基準値以下でも直ちに不具合が起こることは無い。だからと言って、基準に達しない不合格品を出荷するなどは言語道断である。
熟練労働者の不足で技能伝承に支障が
現場力低下を疑わせる事例は製造業だけでは無い。ビルの工事現場などで大型のクレーンが倒れる事故が昔より増えた気がする。ビルの工事現場を通る時に上から何か落ちてきたら大事故になる。現場力の低下を外人労働者が増えたせいにしたくは無いが、熟練した現場作業者が少なくなったのではないだろうか。
▲クレーンの倒壊事故 (産経新聞)
製造工場では、熟練労働者が定年退職することで、技能の伝承に支障が生じていると聞く。「現場力」は現場で作業する人達の気配りや創意工夫に支えられており、日本はその点で強みを持っていると思う。
が、今やその強みが薄れているように感じる。技術者の間でも団塊の世代が定年退職したり、それ以前にリストラで中堅技術者を早期退職させたりして、技術の継承が出来なくなっている。現に北海道で立ち上げ中の半導体会社「ラピダス」では、先端プロセスを知る技術者が不足しており、多くの日本人技術者がIBMに習いに行っているという。
トランプ大統領は製造業をアメリカに戻したいようだが、果たして米国企業に現場力がどの程度あるのだろうか。
そもそも米国では低コストで効率よくモノづくりが出来ないから、中国をはじめとする海外へ生産が移ったのではないのか。水が高い所から低い所に流れるように、経済合理性を追求してオフショア生産を進めてきたのではなかったのか。それを強引にもとへ引き戻すのであればそれなりの時間がかかるだろうし、相当なエネルギーが必要となろう。
【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】
昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。本ブログには、平成6年5月23日~8月31日まで「【連載】半導体一筋60年」(平成6年5月23日~8月31日)を15回にわたって執筆し好評を博す。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)