【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」⑦
言葉尻がというか、あまり気にしないで話している言葉の中にも、聞く者にとっては大いに気になることがある。先日、夫も交えて数人でテニスの話になり、大いに盛り上がっていた。
「テニスならSさんもかなり詳しいですね」
と夫がSさんに話を向けた。夫もテニスを楽しんでいたことがあるが、それは昔のこと。今はもっぱらゴルフである。
夫より少し年上のSさんは、時間があればコートで汗を流している。そう私は聞いていたので、夫の言葉遣いが気になった。いかにも、Sさんがその他大勢と同じようにテニスをやっているような、そんな「上から目線」の言い方だったからだ。
(ちょっと、ちょっと、Sさんに失礼でしょ。もとはでは大違いじゃないの!)
私はとっさに夫の肩を叩き、こう注意した。
「あなた、Sさんもじゃなくて、Sさんはでしょ!」
「………」
言われたことが咄嗟に理解できないらしく、夫はキョトンとしている。私が夫を叱り飛ばしたように聞こえたのか、Sさんの表情が心なしか白けたように見えた。それも一瞬で、Sさんはすぐにいつもの温厚な笑顔に戻り、
「アハッ、僕、今もテニスしています」
と夫に言った。
「あ、そうなの」と返事しながら、夫は自分の失策に気づいたのだろう。「いやー、ごめん、ごめん」
そんな夫だが、今ではすっかり「長老」の部類に入った。だから、私は夫の言動が心配でならない。もしかしたら、行くところ行くところで、知らず知らずのうちに「上から目線」で話しているのではないだろうか、と。帰宅してから私は、夫に釘を刺した。「分かっているよね。なんたって、『上から目線』が一番ダメだからね!」
夫への「キツーイ言葉」である。ひと昔というか、以前なら私が夫に向かって、このような威張った口を利くなんてことはなかった。逆ならあったが……。でも、今は違う。立場が完全に逆転したのである。
ところで、夫が「オレ、そんなつもりはないよ」と抗弁し、「上から目線」を否定したとしても、「あ、そうなの」と素直に聞けない私がいる。なぜかというと。私の中には「男(夫)はどうしても『上から目線』なのよねぇ」という根強い感情があるからだ。
ちょっとした集まりで起きるトラブル話などを友人から聞いてみると、特定の男性が発した「上から目線」の発言が原因であることが少なくないらしい。「昔は偉かった男性で、悪気はないようだが、その性格は治らない」のだそうだ。
「長幼の序」という言葉がある。年長者は本来、人生経験が豊富だということで、周囲の人からも尊敬されてしかるべき存在だ。ところが、場の雰囲気をぶち壊す年長者が少なからずいるのも事実である。
かつて采配を振ってきた人にありがちなことだが、自分の言動を疑問に思うことがない。しかし、高齢になって職を離れれば、職場での地位や年齢差なんか関係なくなってしまう。つまり、みんなが対等な立場になるというわけだ。元社長も、ごく平凡な専業主婦も、みんな対等である。
それを忘れたら嫌われること間違いなし。相手が誰であっても、普通に話せる人が本当の意味で「できた人」であろう。いつも偉ぶらず、一歩引いた眼で全体を見渡せる人が、「あの人は人格者ね」と称賛されるのだ。
さて、くぎを刺す私に対して「絶対にそれはない!」と、ゴルフ仲間との関係などを例にして、「上から目線」を否定する夫なのだが……。腰も体の状態も良くなり、ゴルフを楽しむようになった夫は、16号線にあるゴルフ練習場を基盤としているゴルフの「名球会」の仲間に誘われたことを、非常に喜んでいた。この会の入会には紳士のスポーツである「誇り高きゴルファーが集う会」として、人間性が問われる関門があった。
実際にプレーをした上で、推薦人からの紹介と既会員の賛同が得られなければならないのである。おかげで、入会してからの夫は、スコアの付け方や行動・考え方などが、名球会の会長から大変に好意を持たれ、信頼も得られるようになった。
関門が厳しかったはずなのに、いつの間にか人格を疑うような不始末を起こす人も出た。その人を退会させることも会長の役目である。そこで穏便に「辞めざるを得ない」という方向に、夫が一役買うことにもなった。と、まぁ時効なので、書いても許されるでしょう。
年齢が上がるということは、「いつ、何が起きるか」という問題をいつも抱えているということだ。コンペでは、何度も優勝するほどの猛者とも思えた人(夫より8歳ほど若く、ゴルフに対する考えも態度も尊敬していた)が、あっけなく亡くなった。
見るからにして偉丈夫な人も、じつは大きな病気を抱えていたりする。奥さんの看病でゴルフが出来なくなる人も。あれほど元気で人格者であった名球会の会長にも病魔は訪れて、ゴルフを楽しむことが出来なくなった。
何となく最盛期の頃の会の勢いやプレーヤーたちの誇りも、薄れてゆく感がある。「名球会」の仲間の中には、他のグループと会をつくっている人たちもいて、その会からの入会やプレーにも夫は度々誘われる。
最近は「カラオケ」にまで誘われているようだ。酒は飲めない、歌は上手くない。が、その場のムードメーカーになっていることが、重宝されているらしい。「俺が上から目線の態度だったら、誰も誘ってはくれないよ」と夫は勝ち誇ったように言う。これが、私からの「上から目線禁止」に対する答えである。
なるほど、外面だけは、昔から良かったからなぁ。電話での応答ぶりは、誰に対しても抜群だったけれど……。しかし私の目の届く所では、監視の目は緩めないつもりでいる。
何だかんだと言いながら、はたしていろんな会に所属している私自身の「上から目線」はどうなのか。とりあえず、夫に対して「長幼の序」がない。長年の恨みやつらみがこうした態度に出ているのだろう。
女は怖いぞ。そう、女房はもっと怖い。いつまでもあのとき、このときの悔しさを絶対に忘れない。そのことを知っておいて欲しいものだ。ヤクザの姉さんだったら、きっとこう言うに違いない。
「ええか、覚悟しときや!」
ここまで書いたところに、夫がゴルフ練習場から帰ってきた。今日のサロンでのもっぱらの話は、ゴルフ仲間の奥さんの体調が優れず、家を空けられない、看病をすることになったという話である。それも立て続いて3人も。しかも皆私よりかなり若い人たちのようだ。
そこで我が家の場合を尋ねられ、夫はこう答えた。
「今のところ、女房の体はいたって元気ですよ。ただ、口のほうがもっと達者で参ってます」
「いやぁ、それが本来の奥さんのあるべき姿ですよ」
と仲間のひとりが諦めた表情で言ったという。どうやら、殿方にはお見通しのようだ。いかん、いかん。私が偉そうに他人の「上から目線」をとやかく言うのは、「目糞、鼻糞を笑う」ことになるのかも。