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海上自衛隊練習艦「かしま」乗船記 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㊶

2024-02-17 06:02:57 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㊶

海上自衛隊練習艦「かしま」乗船記

 

ポーツマス(英国)

 

                    

▲「かしま」の大野敏弘艦長(当時)他幹部と

 

 海上自衛隊の練習艦「かしま」がイングランド南部の港湾都市ポーツマスに寄港した。2013年7月23日のことである。「かしま」の目的は何だったのか。
 広島県江田島市にある海上自衛隊幹部候補生学校を卒業した初級幹部(3等海尉=旧軍少尉)」を半年に及ぶ遠洋航海を通じて教育するのだ。

 当時ロンドンに駐在していた私は、「かしま」船上で催されるレセプションに招待され、造船重機会社の駐英代表らと共にポーツマスまで出かけた。
 ロンドンのビクトリア駅から列車で1時間半ほどの距離にあるポーツマスは、「偉大なる海岸の街(The Great Waterfront City)」と呼ばれている。
 トラファルガーの海戦でネルソン提督の旗艦として活躍した帆船HMSヴィクトリー号や英国海軍最初の装甲艦(鉄・鋼の装甲が施された軍艦)HMSウォーリア号が今も往事の姿そのままで、展示されていた。因みに、HMSという文字は英国の軍艦総てに冠されており、「Her (His) Majesty’s Ship(女王陛下の船)」の意味だ。


▲HMSヴィクトリー号

▲HMSウォーリア号

 

 世界各国の海軍には練習艦隊があり、寄港地では親善のために、船上でレセプションを開催するのが慣例だ。中でも、我が日本国海上自衛隊のレセプションは、世界で人気ナンバーワンらしい。
 それはそうだろう。何しろ、寿司、天ぷら、刺身、そば、焼き鳥などの日本食がずらっと並ぶ。それに加え、寄港地の名物料理までが供される。
 もちろん料理だけではない。鏡割り(開き)や和太鼓の演奏でいやが上にも気分は盛り上がるのだ。日英両国の有名な楽曲を奏でる軍楽隊の演奏も素晴らしかった。

 

▲鏡割りのパフォーマンスに歓声があがる

 

 英国人の友人で、軍事コンサルタントのサイモン・チェルトンもレセプションに参加していた。にぎり寿司を頬張りながら、彼は「海上自衛隊の食事は最高だ。HMSと比べると虚しくなるよ」と英国人らしく自嘲気味につぶやいた。


▲「かしま」を背景にサイモン・チェルトンと

 

 英国海軍の軍人だったサイモンは、2003年から2007年にかけて駐日英国大使館付き駐在武官として東京で勤務したことがある。現在は、チェルトン・コンサルティングの代表取締役として、日英の防衛産業の橋渡しに奔走している。彼は楽しい飲み仲間であり、安全保障問題で激論を交わすことも度々あった。

 そんな彼と一緒に林圭一・駐英特命全権大使(当時)のスピーチを聴くことになった。林大使のスピーチは、百年ぶりの日英同盟(Anglo-Japan Alliance)復活と言われる現在の日英関係を先取りするものだった。

 さて歴史を振り返ってみたい。明治維新後の富国強兵路線で日本は国際政治の重要な位置を占めるようになった。当時、いかにアジアを支配下に置くのかを模索していたのが、日本の隣国ロシアである。
 中国と朝鮮半島での利害が一致していた日本と英国は明治35(1902)年、同盟を結ぶ。どちらか一方が二国以上と戦争状態に入った場合、片方の国も参戦するという軍事同盟だった。

 日英同盟を締結したことで、その後の日露戦争でも有利に働く。そして日本が第1次大戦に参戦してドイツと戦うことに。結局、英国、フランスの連合国がドイツに勝利、日本もドイツが占領していた中国の青島を手に入れる。
 ところが20年余り続いた日英同盟は大正11(1922)年に廃止される。第1次世界大戦での日本の貢献で同盟継続が英国の主流派だったが、植民地相だったチャーチルらが中国の利権を狙う米国に影響されて日英同盟破棄に動いたのだ。
 その後、日本はナチス・ドイツと日独防共協定、さらにムッソリーニのイタリアも交えた日独伊三国同盟を締結、米英と戦火を交えることになった。

 そして今、日英同盟の復活がささやかれている。英国は2015年11月、新たな国家安全保障戦略を採用した。米国以外の国々との安全保障関係を拡大することを強調し、日本を「同盟国」と認定したのである。
 そして2年後の平成29(2017)年8月、英国のメイ首相(当時)が来日し、日本の安倍首相(当時)の間で「日英安全保障協力」の合意をまとめた。
 メイ首相は日英首脳会談後に行われたNHKの単独インタビューでこう語っている。
「英国と日本は両国とも海洋国家です。私たちは民主主義や法の支配、人権を尊重します。私たちは自然なパートナーであり、自然な同盟国だと思います」
 この発言からもわかるように、日英両国の関係は「パートナー」から「同盟」へと発展したと思っていただきたい。英国の指導者がお互いを「同盟国」と呼んだのは、日英同盟が解消された1923年以来のことだった。

 それから90年後、林大使が「かしま」で日英同盟に触れたのである。安部・メイの日英両首脳が「日英安全保障協力」の合意をまとめ、日英が「パートナー」から「同盟」に一歩踏み出し始める4年前のことだ。私は林大使の慧眼に驚くしかない。

 たまたまフィリップ・シェトラー=ジョーンズという英国人ブロガーの記事に林大使のスピーチの一部が引用されていたので、その一部を意訳して転載してみよう。

「日英同盟を語るに当たって、私は単に過去の栄光にこだわろうとしているのではない。確かに、私たちは互いに戦い、常に正面から向き合わなければ別の戦争の悲劇を経験した。戦った過去の悲惨な戦争に正面から向き合わなければならない。しかし、日英両国は、防衛と安全保障分野で新たなパートナーシップを育んでおり、それは新しいタイプの同盟と呼べるものかも知れない」

 英国では現在、外交文書上で、日本との関係を「新たな同盟=New Type of Alliance」と定義づけている。「日英部隊間円滑化協定」「イタリアも巻き込んでの次世代戦闘機の共同開発」など両国関係は益々深化しつつある。

 世界情勢は米ソの冷戦崩壊以来、もっとも混沌としている。中国の急速な台頭で、米国の一国支配がまさに崩れようとしているのだ。当然、日本はいつまでも米国の軍事的庇護に頼ってはいられないだろう。
 林大使は11年前、「かしま」艦上のレセプションで近い将来の日英関係について予言的なスピーチをした。はたして林大使が言うように、日米同盟とはまた違った形の日英「同盟」になるのか。英国に長期間駐在した者として、気になって仕方がない。

 
▲船上で知り合った英国海軍の退役軍人、フランク・アンソニーと意気投合。彼の日英関係発展への期待と日本食称賛は途切れることがなかった


▲これから日本の防衛を背負う若き自衛官をロンドンの地下鉄に案内

 

 

 

 

 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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