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日本人の心配性は生まれつき 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㊹

2024-03-09 05:33:07 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㊹

日本人の心配性は生まれつき

 

 

 

 東日本大震災が発生したのは、平成23(2011)年3月11日金曜日14時46分。ロンドンでは早朝の5時46分だった。6時頃、連続する電子メールの着信音で目が覚めた。
「うるさいなー、一体何事?」
 手探りでベッドサイドの携帯電話に手を伸ばし、パスワードを入力した。目に飛び込んで来たのは、日本に残してきた妻と娘二人の間で慌ただしく飛び交う尋常ではないメールの文面だ。
「大丈夫? 今、何処? 怪我していない?」「私は、大丈夫。今、職場。」「私は、外出中、今銀座。大丈夫だよ」「交通機関は何も動いていない、これからどうしよう…」
 
 事態が飲み込めぬまま直ぐ妻に電話した。経験したことのない激しい地震に見舞われ、社会は混乱の真っ只中にあるが少なくとも家族3人が無事で、今夜の寝場所は確保できたということだけは確認できた。ひとまず胸をなで下ろした。妻は、俳句雑誌の編集作業をしている事務所で、娘二人は友人宅で夜を明かすとのことだった。
 当時の手帳を見ると、3月11日の欄にこんな走り書きが残っている。
「東北太平洋沖地震 JST(注:日本標準時)14:46 M8.9」
 メモを記した時点では、津波と福島第一原発事故の恐ろしいニュースが流れていなかったことがわかる。手帳のメモによると、地震の名称が「東日本大震災 (The Great East Japan Earthquake)」に統一され始めたのは、3月15日からだった。

 現地時間3月11日の昼前から、テレビは日本の報道を引用する形で、瓦礫と化した市街地、交通機関が麻痺し路頭に迷う人の群れ、静かに或いは猛々しく、情け容赦なく陸地を飲み込んでいく津波の映像を繰り返し繰り返し流し始めた。現実とは思えぬその光景に息を呑み、静かに、じんわりと涙が溢れてきた。
 テレビも新聞もネットメディアも地震の被害状況を克明に伝えるのと同時に、凄惨な状況の下で、泣き叫ぶことも、パニックに陥ることも、暴動や略奪もなく、秩序を維持し続けている日本人の姿に驚嘆し、称賛する声で溢れていた。英国内外の友人、取引先からお見舞いの電話やメールが相次いだが、皆等しく、未曾有の災害に冷静に立ち向かう日本人の姿に感銘を受けたというメッセージが添えられていた。

 

 

▲BBCの津波報道 NHKの映像を使っている


 世界から称賛される日本人の資質は勿論素晴らしい。また誇りにも思う。そのような日本人の特性が如何にして育まれて来たのか、昔から強い興味を抱いてきた。数年前、たまたまある雑誌で、「幸せホルモン」と呼ばれる、セロトニンという神経伝達物質に関する記事を目にした。
 脳内のセロトニンが減ると、人は不安を感じたり、気分が落ち込んだりしやすいらしい。セロトニンの分泌量を左右するのが、「セロトニントランスポーター遺伝子」と呼ばれる遺伝子だが、この遺伝子には、セロトニン分泌量の少ない「S型」と、分泌量の多い「L型」の2種類があり、その組み合わせによって、「SS型」「SL型」「LL型」の3つに分かれている。
 SS型の人は不安を感じやすく、LL型の人は楽観的、SL型はその中間だ。不安を感じやすいかどうかは、ある程度、生まれつき決まっているらしい。

 ある調査によれば、日本人の遺伝子はSS型が65%を占めており、SL型は32%、LL型はたった3.2%に過ぎない。つまり、日本人は不安を感じやすい民族だという事だ。
 一方、アメリカ人は、SS型が19%。SL型が49%、LL型が32%という結果だ。日本との差が際だっている。アメリカは多民族国家なので、この調査対象の人種分布が気になるが、話しを進めるためにそれは取りあえず脇に置いておこう。
 日本人に心配性のSS型が多い理由の一つは、昔から地震、津波、台風、火山噴火など災害が多いからだと言われている。日本の陸地面積は、世界の0.3%にも満たない。それなのに、マグニチュード6以上の地震発生回数は世界の20.8%、活火山数は7.0%、災害被害額は18.3%と非常に高い。もし、「なんとかなる」と楽観的な国民ばかりだと、いざというときに対応できないだろう。

 

 この点について、脳科学者の中野信子氏が、2016年に雑誌『ダイアモンド』で興味深い考察をしている。それらの記事を参考にしながら私なりの意見を述べてみたい。
 
 日本人に、セロトニントランスポーターの少ないSS型遺伝子が濃縮されていったのには、災害が多いことに加え、鎖国と明治以来の画一的な教育に原因があるのでないか。孤立した島国であることに加え、鎖国により人間の流動性が低下し、長期的で固定的な人間関係が続く。藩や村という、自分がいるコミュニティ内でどう生き延びるかがとても重要だった。「生き延びる」というのは、「自分自身がどう生きるか」ということだけではなく、「遺伝子をどう残すか」という問題でもある。村八分に遭うと、遺伝子を残せなくなってしまうので、人の気持ちを読み、社会的な配慮ができる、できないが、そのまま遺伝子を残せる、残せないにつながってくる。必然的に、楽観的で自己主張が強い傾向にあるセロトニントランスポーターが多いLL型の血が途絶えてきて、少ないタイプのSS型の血が増えていったのである。
 東日本大震災や、熊本地震でも「不謹慎バッシング」という現象が起こった。社会が危機に陥り、共同体意識の強い人々の「世のため人のため」という意識が高まると、調和を乱す人や目立つ人、自分だけ得をしている様に見える人に対して不寛容になり、バッシング(非難)が頻出した。コロナ禍全盛期の「マスク警察」もこの文脈で説明できるだろう。多少息が詰まる様な気がするが、その結果、社会の調和が保たれるという仕組みだ。日本の秩序ある社会の背景をこんな形で、説明すれば身も蓋もないようだが、文化や民族性は環境によって醸成されるものだろう。

▲やり過ぎ自粛警察

 

 世界の人々が日本人を見る目をざっくりとまとめてみると、「几帳面で真面目でお人よし、心配性で自己肯定感が低く、自信がなくていつも不安に駆られている、仕事はきっちりこなして信用できるが自己主張が弱く、面白味がない」といったところだろうか。
 一方、冒頭でも書いたように、冷静に困難に立ち向かう日本人の姿に畏敬の念を抱く人たちも数多い。
 コロナ禍の最中の報道や政府施策に対する日本国民の反応を思い起こすと、改めて諸外国との大きな差に気づく。他の国々では、政府の規制に反発し、自由を求める声が圧倒的多数を占めていたのに対し、日本では、もっと規制するべきだとマスコミが煽り立て、大半の人々も人々もそれに同調していた。
 だから、国ぐるみで、客観的、相対的そして冷静な状況判断を放棄して思考停止に陥っていたように思えたのである。得体の知れぬ臆病風が吹きまくり、この臆病風(邪)はコロナより怖いのではないかとさえ感じた。

 セロトニントランスポーター遺伝子が人間の行動に影響を与えるのは確かだろうが、人間はそれほど単純ではないだろう。我が身を振り返れば、時と場合によって、SS、SL、LL型のどれにでも当てはまるような気がする。
 私は、日本人論になると、否定的に語ってしまいがちだが、災害や不幸に際して、他国の様に泣き叫びながら訴えかけ、我先に支援に群がるのではなく、時には笑みさえ浮かべて、おとなしく列に並ぶ日本人は、楽観的にも諦念の心境に到達しているようにも見える。やはり、私は日本を誇りに思う。

                    

 

 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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