白井健康元気村

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村民の丹野勝さん逝く ダンディーに生きた76年

2020-02-05 17:42:01 | 白井健康元気村だより

村民の丹野勝さん逝く 

ダンディーに生きた76年

▲丹野勝さん(武石正一さん撮影)

 

 白井健康元気村(以下=元気村)の村民、丹野勝さんのお通夜(2月4日)と告別式(2月5日)が白井市内の葬祭式場で執り行われました。間質性肺炎で急逝されのは1月29日のことです。享年76歳。
 お通夜には白井市の笠井喜久雄市長を始め約150人の市民が参列しました。予想をはるかに上回る数だったので、準備した椅子では足りません。80人近い人たちが立ったままの状態で別れを惜しみました。この参列者の多さからも、故人の人望の厚さが推し量れます。
 元気村での丹野さんは、月2回実施している児童公園の清掃活動を陣頭指揮していました。その責任感の強さは人一倍だったと言えるでしょう。
 地元では亡くなるまで清水口第四住宅の自治会会長を務め、防災会でも大活躍をされるなど大活躍。そんな元気一杯の丹野さんでしたので、突然の訃報に誰もが信じられない思いでした。
 丹野さんはダンディーな人でもありました。「着道楽」と言ってもいいくらいです。遠くから見ても丹野さんと分かるほど、オシャレそのもの。ウイットに富み、カッコいい人でもあります。お通夜・告別式の参列者に配られた「お礼の言葉」には、こう記されています。

〈厳しい物言いで誤解を受けることもあったけれど、おしゃれで、ゴルフも歌も何でも上手な、優しい人でした。あまりに突然のお別れに皆戸惑っているけれど、『いや、中々面白い人生だったよ』と言っているような気がしてなりません。
今頃大好きなお日様の下でお仲間と歌ったり、お酒を飲んだりしているでしょうか。
大好きなお父さん、どうぞ安らかに。〉

 喪主を務めた夫人の丹野和子さんも、参列者への挨拶の中で、丹野さんの「お日様」好きに触れられました。不思議なことに、亡くなる前の日まで雪が降るような曇天だったのに、亡くなった朝は真っ青な空で、とても良いお天気だった、と。また、告別式でも、出棺から荼毘に付され、うっすらと月が出る頃になっても青空でした。丹野さんを「お日様」が見送ったとしか思えません。
 太陽が大好きだったせいので、丹野さんの顔はいつも日焼けしていました。トライアスロンにも挑戦されていたとか。そんなスポーツマンが突然に、あまりにも突然に私たちに無言の別れを告げました。しかし、私たちの心には「みんな、楽しくやってよ」と伝わっています。
 
「私より早く逝きやがって」と元気村の玉井秀幸村長(79)がつぶやきました。「けど、最期までカッコいい男だった」
 そのとおり。カッコよかった。丹野さんはいつも元気で、しかも楽しそう。そして誰にも迷惑をかけることなく旅立ちました。カッコいいにも程があります。よく考えてみると、元気村のモットーである「ピンピンコロリ」を身をもって実践した第1号ではありませんか。丹野さん、さようなら。

 

▲思い出の家族写真

 

▲1994年に長男と一緒にアメリカ大陸横断のトランスアメリカフットレースをサポート

 

▲地元でも大活躍

 

▲誕生日を祝う(亡くなる10カ月前の2019年3月16日)

▲カツオしゃぶしゃぶ&たたきの宴で得意の歌を披露(2019年9月)

▲元気村の児童公園清掃活動を指揮する丹野さん(左端)

▲パークゴルフにも挑戦(2019年11月)

 

▲元気村主催の慰安旅行に参加(前列右から2人目、2019年11月)

 


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