【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」(68)
年に何回か会っている同級生たちとの会合が、2カ月ぶりに開かれた。都心に出るため駅へと向かうが、冬ばれの青空も冷たい風が頬に刺さる。そうだ、そうだ、マスクをしよう。バッグに忍ばせていたマスクを取り出した。このマスク、今まで持っていたものとは、ちょっとばかり違うのだ。
三鷹の学生寮にいる孫娘が、正月に我が家に来た時、少し風邪気味だからと薄ピンクの可愛いマスクをしてきた。
「あぁ、良いね。私も欲しいな」
というわけで、同じメーカーのマスクを『ドンキホーテ』に行って買い求めた。残念ながら色は白しかなかったのだが…。
我が家には箱買いをしているマスクはある。でも、付け心地が悪かったこともあって、ほとんど使うことがなかった。孫がお勧めのマスクの素材は「新ポリウレタン」「立体網目構造(フィルター性能)」「通気性が高く息がしやすい」「長時間かけていても耳が痛くならない」「3回洗っても花粉カット99%」、などと説明書きが。使ってみると、顔へのフィット感が良く、眼鏡も曇らない。
午前10時前の時間帯の電車内には、大きなスーツケースを持った旅行客が乗っていたりするのだが、それらしき人達はいない。乗客はほぼ全員が座っており、大半の人がマスクをしている。冬のインフルエンザの流行時期でもあり、新型コロナウイルス肺炎の脅威がマスコミで伝えられているからだと、察しられた。
見渡してみると私が以前から持っていたものに似たようなものばかりである。などと観察をしていたが、急にのどがイガイガして咳き込んでしまった。例えマスクをしていても、クシャミや咳をすると、その飛沫は驚くほど四方八方に飛んで行くという。
私は顆粒の咳止めをいつも持ち歩いている。しかし、この時は急いでいたので、マスクの上から口元と鼻を手で覆い、バッグから飴を取り出して口に含んだ。周りを見回すが誰も私の行為などを気にしてはいない様子にホッとする。
電車が進み、途中の駅から客が乗って来た。マスク姿を気にするより、電車の遅れが気にかかる。どこかの路線で人身事故があったらしく、その影響が響いている様子だ。集合駅の乗降客はいつもより少ない感があり、マスク姿は少ない。待ち合わせ場所には時間にギリギリで着いた。友人たちは誰もマスクをしていない。ニコニコとおおらかな顔で、私を迎えてくれた。
同級生たちとの令和2年の初会合である。最近の身近な出来事やドジ話なども交えて、大笑いをしながらのランチ。春に出かけるバス旅の行先と、次回の会合の日も決まった。こうして必ず約束事をすることで、日々を元気に過ごすことを心掛ける気持ちを強くしてくる。
さて、比較的暖かな今年の冬であった。私のおっちょこちょいの転んだ話は棚に上げるが、風邪もひかず、穏やかに日々を送ることが出来ている。しかし、中国・武漢市の海鮮市場を発祥の地とされた新型コロナウイルス肺炎が、世界中に拡散されていくニュースには、日々驚かされ続けている。
このことを最初に聞いた時、偏見と言われるだろうが、「中国の人って不潔なことも平気だからなぁ」と思った。
私がアメリカにいた時に接した中国人や、旅行で北京や万里の長城で見かけた時の風景は、日本人はしない行動の数々である。だが、今の状況はそんな小さなことではなく、国の党首の初動に大きなミスがあったと思わざるを得ない。
中国は春節になると、人口が大移動する時期でもある。人々が行き行き交っているテレビの映像は、老若男女から小さな子供まで、ほぼ全員がマスクを着用した、異様な光景だ。
つい先日のことだが、スーパーマーケットの買い物籠2つに、マスクを一杯詰め込んだ女性を見かけた。テレビでもドラッグストアやコンビニを何件も駆けずり回って、マスクを買いあさっている人が映されている。中国へ持ち帰るのか、又は知人に送るのだろうか。
マスクの工場では製造に拍車をかけている様子だが、その需要に追いつかないのだとも。こうした使い捨てマスクでも、はたして感染対策に効果はあるのだろうか。「ウイルスや細菌のサイズを考えたら、マスクでは防止できないのは明白」という説がある。
マスクの着用は、風邪を引いた時、人に迷惑をかけないためのものらしい。が、効能はどうであれ、着用していることが重要視されている。職業によっては、自身がウイルスには感染することも、人にうつすことも、許されない。
日々更新されていくニュースの画像は、医療機関に従事する人たちが、感染を避けるための防護服の重装備ぶりに驚く。このコロナウイルス騒動だが、一向に収束される気配がない。それどころか、拡大の一途をたどっている。マスクの着用も大切だが、しばらくは不要の外出を避けるしかないかも。