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それはプーパッポンカリーから始まった 【連載】呑んで喰って、また呑んで③

2019-07-18 07:47:24 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで③  

それはプーパッポンカリーから始まった

●タイ・バンコク

山本徳造(本ブログ編集人)   

 

 

 

「お腹、すいたわね。さあ、行きましょう」

 そう言うが早いか、ピクンさんは、私を愛車に乗せた。着いた先は、バンコク中央駅近くの中華街、ヤワラーである。
 潮州人の血が流れる彼女とは、週刊誌の取材が縁で知り会った。世界の平均的なサラリーマンの生活ぶりを紹介する連載があって、そのバンコク編を取材するよう依頼されたのである。しかし、当時のタイはまだまだ発展途上の国だった。
 日本ならいざ知らず、タイで「平均的なサラリーマン」なんて、そんな簡単に見つかるものではない。はて、どうしたものか、と思案に暮れる私である。
(そうだ、バンコクには日本の報道各社の支局がたくさん置かれているではないか。そこの特派員に尋ねてみよう)
 最初に訪れたのが、日本を代表する通信社のバンコク支局である。私が支局の中に入っていくと、眼鏡をかけた20代の女性が近寄ってきた。
「何か用ですか?」
 上手な日本語である。何でも津田塾大学に留学していたとか。それがピクンさんとの出会いである。生憎、特派員が留守だったので、彼女に来訪の趣旨を伝えると、
「サラリーマンなら、私の友だちの兄さんがいるわ」
 と話が早い。その日のうちにアポを取ってもらった。取材も大成功である。翌日の夕刻、支局に御礼に出向くと、
「今晩、あなた、ヒマ?」
「ええ、暇ですよ」
「ダンナと晩御飯を外で食べるの。彼も東大に留学していたから、最近の日本のことを知りたがっているわ。だから、あなたも一緒にどう?」
 で、連れていかれたのが、市場や飲食店、衣料問屋が密集しているパトゥナーム地区である。テーブルが並べられた一角を飲食店が取り囲む。空いていたテーブルに着席するやいなや、ピクンさんがさっそく何かを注文。まずはキンキンに冷えたビア・シン(タイ国産のシンガー・ビール)で乾杯だ。

▲病みつきになるプーパッポンカリー


 しばらくして運ばれてきたのが、カニをカレーで炒めた「プーパッポンカリー」である。それまで何度も食べたことがあるが、いやあ、このときのプーパッポンカリーが断トツで美味かった。辛みと甘みが絶妙である。私は思った。ピクンさんについていけば、不味いものに出会わない、と。しかし、それには代償が伴うことになる。
 ピクンさんと知り合って数年後のことである。彼女も通信社を退社して、実業家になっていた。着いた先は小汚い食堂。だが、バーミーナム(汁そば)を一□すすると、旨味が口中に広がった。「アローイ・マー(めちゃ、美味い)」である。あまりの美味に目を細める私に、ピクンさんが勝ち誇った表情で言う。
「どう、美味しいでしょ。この店、大臣クラスがお忍びで来るの」
 グルメなら貧富の差にもかかわらず、店構えが少々汚くても美味い料理を出す店をこよなく愛するのだろう。そういえば、店の前にはベンツやBMWなどの高級車が何台も駐車しているではないか。ちなみにピクンさんの車は、高級車の中でも一段と格上のジャガーである。簡単な食事を終えると、彼女がのたまった。
「さあ、夕食にしましょう」
 ん? さっきのは夕食ではなかったのか。そんな疑問を抱く私を、ピクンさんは有無を言わせず車に乗せた。そして景気よくアクセルを踏み、ジャガーを発進させる。

「ど、どこまで行くの?」

「近所の友だちの家。その人、本職はヤクザだけど、演歌歌手もやってCDも作ってる面白い人」
 何、ヤクザ? 何もそんな友人のところに行かなくても、その辺のレストランでいいんだけど……。
 着いたのは、バンコクのはずれにある一軒の大豪邸だった。リビング・ダイニングに入ると、床は総大理石である。いかにも成金といった感じだ。その家の主ほ華僑で、ヤクザの親分だというではないか。ひとしきり豪華な夕食をご馳走になり、さあ帰ろうとしたのだが……
「行きつけのホテルで美味い潮州料理を食わせるんだ。これから行こう」
 親分が私の肩をつかむ。
「いえ、結構です」
 とは言えません。
 深夜の3時に解放されたときは、もうお腹が爆発寸前だった。何、潮州料理の味? 正直言って、まったく覚えていない。ただ、ブランデー・ソーダをしこたま呑んだことだけは、うっすらと記憶している。いずれにしても、彼女と行動をともにしたら最後、食い物には困らないどころか、しばらく料理を見たくなくなってしまう。
 こんなこともあった。学生時代の友人とゴルフをするため、バンコクに飛んだときのことである。ピクンさんに電話すると、
「あ、ちょうどよかったわ。これから出掛けるとこなの。一緒に行きましょう」
 不吉な予感がした。連れて行かれたのは前内務大臣の家だった。ちょうどセンセイは地方政治家数人と昼食のまっ最中だった。
「う―、いいときに来た。キミたちも食べなさい。さ、遠慮しないで」
 皿のご飯がなくなると、センセイ自らご飯を盛ってくれました。そして激辛の料理をたっぷりと。食った、食った。その辛さといったらタダものではない。脳天を直撃し、全身がワナワナと震える。友人なんか顔から汗を吹きだし、椅子から落っこちそうになっていた。
 センセイ宅を逃げるように出た私たちに、ピクンさんが言った。
「さ、これからもう一軒行くわよ。友達の家なの。夕食はそこで食べるから」
 友人が泣きそうな顔で私に訴えた。
「いかん、オレ、喰いすぎて死にそうだ。も、もう帰ろうよ」

 


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