山形厚史のブログ

セイカツは夢とシゴト

オカマの父さん

2017年05月03日 11時40分31秒 | 日記
「自分の代わりに、誰か風呂に入ってくれないかなー」とか。

「代わりにトイレにいってくれないかなー」と、口に出して言うようになりました。

風呂場も個室のトイレも、心が安らぐ場所ですから今も好きですよ。

一応言っておきますけど、汚いのは遠慮するよ。

いまブログを書いてる個室は、椅子があまり良くないけど快適です。。

今日はこれが終わったら、車庫の中の荷物の片づけです。

そんなことやって一日も終わりに近づくと、そのあとに続く風呂やトイレが面倒になってくる。

「代わりに誰かやってくれよ」となる。

東京にいたころは、寝る前にご先祖様に手を合わせていたけれど、

札幌に越して来たらパタリとやめてしまいました。

どこか無理をしてたんでしょうか。


30年ぐらい前になりますか。

訳があって、統一教会という宗教団体にいましてね。

そのころは朝と晩に祈祷ですよ。

毎日毎日ね。

これは飽きるよ。

特に早朝はしんどくて、何を祈ってるのか分からなくなる。

眠いのをこらえて目をあけてるんだけど、黒目が上にいっちゃって、

白目向いて祈ってる人がいたぐらい。

なんでこんな話になるのかというと、

安倍首相がオカルトや占いに依存してるとか、

首相夫人が波動の先生を信奉してるという記事を読んでるからなんですけどね。


ぼくが入信していた統一教会には、勝共連合という顔もありまして、

そこには安倍首相の祖父の岸信介さんの名前もでてくる。

たぶん統一原理を知ってるんじゃないかと思いまして。

孫の晋三さんは祖父の岸信介さんを尊敬してるというから、影響うけてるんじゃないかなー。


統一教会はキリスト教の聖書が土台になってる。

だから神はGOD。

この神を協会ではどう教えていたかというと、

神は「親」であると。

親である神は堕落した人間が、再び神のもとに帰ることをいつまでも待っているというんですね。

情に訴えてくるんですよ。

「いつまでも息子の帰りを待ってる親」というと、『岸壁の母』を連想します。

だから僕の中では、神というのはGOD+母親というイメージをもっていたんです。

マンガにすると「オカマの父さん」ということなんでしょうけど、そこには無意識にボカシをかけていたわけです。

しかしこの歳になって、日本の神話から続く天皇の歴史に興味がわいてくると、そのボカシのむこうに「オカマの父さん」が見えてきたというかね。

信仰してたといっても、キリスト教の神も全然わかってなかったというのが分かってきたんですよ。

やはり、ここでも無理をしていた。

だから、安倍首相をはじめとする、一神教のドグマにはまった男系神を心に崇める人たちも、自分の神を疑ってみてはどうだろうか。

心の中の神殿の奥にいるのは、もしかしたら「オカマの父さん」かもしれない。


厚化粧した籠池理事長みたいなのが出てきたら卒倒するだろうけど、

それは冗談です。



ブラ~ザ~サ~ン シスタ~~ム~ン🎵




今日も来ていただいて、ありがとうございます。

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