あつみ風

その時、あつみ風が吹いた。

あつみ風友達遍歴。

2007-06-13 05:36:00 | Weblog
夏の夜のにおいは、私にとっては懐かしいにおいです。





…といっても、ほんの3年前の話です。





大学生になると、高校までと違って実家を離れ、毎日接するのが年の近い友達や先輩ばかりの環境で、何もかもが初めての経験ばっかで、刺激的な自由に浮かれるわけです。

大学入ってすぐの頃、寮に入って新歓や寮祭を経て、自然とお決まりの仲良しグループができたわけです。

男子3人女子4人、計7人で『ごはんの会』なるものを創り、適当に一緒にごはんをよく食べました。
メンバーの誕生日を祝ってケーキ食べたり、初任給っつってトマオニにごはん食べに行ったり、花火したり、いろいろ一緒に遊びました。
何も理由が無くても、ただ一緒に食堂や談話でごはん食べることがたくさんあって、すごく楽しく思えました。
ほんとに仲良しな7人でした。

このメンバーが全員いたから、私は温泉同好会に入ったんです。
このメンバーが仲良かったから、1年のときの温泉同好会はほんとに楽しかったです。
私の温泉の歴史の中で、最初の1年ほど楽しかった年は無かったです。
それを超える楽しさは、いまだかつて知りません。



そんなごはんの会は、夏休みに入るまでのはかない命でした。

サークルやなんやらで個々に忙しくなったり、余計な感情が行き交ったり、自然に集まるのが困難になりました。
医学部の子は米子に行ってしまって帰ってこなくなり、ごはんの会は二度と集まることはありません。
これからも。




で、夏の夜のにおいが何だって話ですが、初夏のある日にごはんの会が晩ごはんを一緒に食べるといって寮前の階段に座り込んで集合し、知り合って間もない間柄であるからこその長話が止まらなくって、気づけば朝になってしまったという思い出があります。

いい集合場所が無いからって外で集まり、階段っつっても荒れた草むらの中にあるからほぼ地べたなところで、虫もたくさんいるのにお構いなしに座り込んで、ちょうど今のような夜明け頃に肌寒さと眠気に耐えかねてようやく解散するまでの長時間、ずっとなにやら難しい話や恋話や方言の話なんかを延々としてました。

ほんとなつかしい。
あの時もこんなにおいがしていた。






メンバーのうちの1人が夏休みだかいつだかに台湾に旅行しに行って、そのお土産をごはんの会のメンバー全員にくれました。

それが、写真の首飾り。

もらったときは嬉しくてしょっちゅうつけてて、見た目も可愛いからすごい気に入ってたのに、気づけば石の先が欠けてて、少し不恰好になってしまってからはもうつけてません。

でも、これを持っているのがごはんの会の1員だという証明な気がして、いつまでも捨てられずに残してあります。
思い出を捨てられないというか。

喧嘩別れしたわけじゃないから、私はみんなと今でも友達だと思っているし、3年前の今時分は本当に仲良しで楽しかったから、貴重な思い出として残しておきたくて、この首飾りも残しています。
これをくれたのが誰だからとかではなく、ごはんの会に配られたものだから、大切にしたいと思うのです。

…なんてことを思うのは実は私くらいで、これを残しているのも実は私くらいだったりして。
ほかの6人はとっくの昔に捨ててたりして。
…そう思えば思うだけ、そんなメンバーに思えてきたし。





ま、寮の思い出として、私が最初に形成した仲間たちのお話でした。















考えてみると、大学での私の友達たちというのは、なんともはかない間柄になってしまう人が多いように思います。



1年のときのごはんの会も、あの時はあんなに仲良かったのに、いまや顔を見ることすらそうそうない。

2年のときに仲良かった友達たちは、免許とりたてで車の運転が好きなメンバーが集まって「カー(車)部」と題し、一緒にレンタカー借りて鳥取県内旅行を楽しんだり、お好み焼きパーティーしたり、誕生日会したり、メロン食べたり、で、毎日毎日いろんなことしゃべって、実現しそうに無い話ばっかしては盛り上がってたのに、いまや話すことすらほとんどない。

3年のときの友達は、一緒に買い物とかに出かけたり、私がご飯作って食べたり、部屋でまったりしたり、寮の事件を相談したり、で、しょっちゅう一緒にいたのに、いまやたまにすれ違っても無視で。

(なんでこんなに詳細に友達関係を公表しちゃってもよいのかというと、これらに関係して疎遠になった人たち全員が、このブログを見ていないと私は踏んでいるからです。)



結局のところ、私の友達の作り方や扱い方が問題なのでしょうか。
特定の私の旧友、計12人に対して、このように「はかない間柄」という共通性が導き出された背景には、きっと私の性格が関係しているのではないかと思えてならないわけです。
“たまたま”では片付けられない共通性を持って、私とこの12人は関連してきたのではないでしょうか。

私はひどいやつなんでしょうか。
3年間通して仲良くしてる友達は、その子が我慢強くて立派なだけなんでしょうか。













あまりに仲良すぎると、いつも一緒で、存在が近すぎて、その人を飽きるのも早いのが私の性格で。
逆に、程よく距離を置いた友達は、途切れることなく長く友達でいれるのです。

でも、私の性格上、仲良くなったらその人にべったりしてしまうのが常で、うんざりするのはお互い様だろうから、どーにもうまくいかないんです。
いつまでたっても。
いくつになっても。

ほとんどが、喧嘩して別れたわけじゃないから、いまでもみんな友達なんだけど、決して仲良いとは言えない間柄に落ち着いてしまってます。
みんな。
小学校から。



いつも友達から離れられて置いていかれるポジションにいる私は、毎日寂しくて、誰かと関わっていたいのに誰に一番に連絡してよいかわからなくて、結局自分ひとりで過ごしていることが多いです。

もっと、先を見据えた付き合いを心がけるべきなんでしょう私は。
たくさんの友達を一人一人大切に思いながら、仲良く付き合いながら、満遍なく人当たり良くいるべきなんでしょう。
付き合いがどうしても偏りすぎるから、いざ取り残されてしまうと、周りには誰もいないってことが多いんですね。













今、仲良いと感じる友達はいます。
今、大切にしておかないと、大学を卒業してからはもっと疎遠になりますから。
今、死ぬまでずっと友達でいれる友達を作っておかないと。

近くにいる間だけでなく、離れてもずっと友達でいれる友達が欲しいから。

最終学歴の友達は、ずっと友達でいれるって言うけど、私に限ってそうはならなかったらショックだから。




これを読んでいる私の友達の皆さん。
先輩も、後輩も。

この先もずっと、よろしくやっていきましょうね。

私はそうなる努力を、します。
自分なりに。

「アドレス変わりました。」っていう連絡を、いくつになっても送り続けたいから。
いくつになっても、「会おう!」って思ったときに会える関係でありたいから。