東日本大震災が発生してから9日ぶりに80歳の女性とその方のお孫さんである16歳の男性が救出されたというニュースが駆け巡りました。災害時には、よく、発生から72時間経過すると生存している可能性が極めて低くなると言われますが、正にその3倍の期間を生き延びられたことになります。大変寒い中、よくぞお孫さんはお婆さんを守りきったと思うのと同時に、恐らく、お孫さんにとっても、お婆さんと一緒だったからこそ、「お婆さんを守らなければ」という強い意思、目標を持つことができ、時には励まされて、その結果、厳しい環境を耐えることができたのだろうとも推察致します。
昨年発生した、チリの鉱山での落盤事故も同様だったろうと思います。33名の作業員が、事故発生から救出されるまでの69日間を地下数百メートルの坑道で生き抜きました。事故後18日目に発見され、その後しばらくしてからは地上から様々な支援を受けたわけですが、特に、この発見されるまでの18日間を如何にして全員が生き抜いたのか。33名いたために食べられる食料はわずかでしたが、現場監督だった方を中心に33名が互いに協力し合い、そして励まし合うことができたことが、生存を可能にした大きな理由だと思います。もしも坑道に残されたのが一人だったらどうだったでしょうか。食べ物は十分にはなりますが、一人で出来ることは限られますし、そもそも、救援が来る保証が全くない中で発見されるまでの18日間、あるいはその後の51日間を一人で行き抜くことは、特に精神的に極めて困難だったことでしょう。お婆さんとお孫さんの場合も、幸運にも一人ではなく二人だったからこそ、生き抜くことが出来たのだと思います。
災害時だけでなく、普段の生活でも同様だと思います。私が現在、駿河区で活動ができますのも、家族だけでなく本当に様々な方々とのご縁や多くの方からのご支援があったからです。また、これからも、縁やご支援、ご協力が無ければ、本当に何も出来ないと思います。日々、ご縁やご支援の有り難さを痛感し、また、決して「当たり前」と思わないように心掛けています。
今はインターネットが使える環境にあれば、外に出なくても大抵の物が手に入ります。しかし、災害時にはインターネットも使えなくなってしまいますし、誰にも存在を知られていなければ、誰も助けに来てくれません。昨今は地域コミュニティが崩壊し、隣に誰が住んでいるのか分からない、一人暮らしの老人が誰にも知られずに亡くなるという「無縁社会」になりつつあると言われます。現時点でも東日本大震災に遭って行方が分からない方が大勢いらっしゃいますが、誰も捜索願を出していない、行方不明者の数に含まれていない、つまり、「忘れられた行方不明の方」も相当数いらしゃるのかもしれません。やはり、人は一人では生きてはゆけません。何処に誰が住んで何をしているのか互いに知っているという、昔では当たり前の地域コミュニティを再生することが、災害に強いまちづくりにも不可欠なはずです。
昨年発生した、チリの鉱山での落盤事故も同様だったろうと思います。33名の作業員が、事故発生から救出されるまでの69日間を地下数百メートルの坑道で生き抜きました。事故後18日目に発見され、その後しばらくしてからは地上から様々な支援を受けたわけですが、特に、この発見されるまでの18日間を如何にして全員が生き抜いたのか。33名いたために食べられる食料はわずかでしたが、現場監督だった方を中心に33名が互いに協力し合い、そして励まし合うことができたことが、生存を可能にした大きな理由だと思います。もしも坑道に残されたのが一人だったらどうだったでしょうか。食べ物は十分にはなりますが、一人で出来ることは限られますし、そもそも、救援が来る保証が全くない中で発見されるまでの18日間、あるいはその後の51日間を一人で行き抜くことは、特に精神的に極めて困難だったことでしょう。お婆さんとお孫さんの場合も、幸運にも一人ではなく二人だったからこそ、生き抜くことが出来たのだと思います。
災害時だけでなく、普段の生活でも同様だと思います。私が現在、駿河区で活動ができますのも、家族だけでなく本当に様々な方々とのご縁や多くの方からのご支援があったからです。また、これからも、縁やご支援、ご協力が無ければ、本当に何も出来ないと思います。日々、ご縁やご支援の有り難さを痛感し、また、決して「当たり前」と思わないように心掛けています。
今はインターネットが使える環境にあれば、外に出なくても大抵の物が手に入ります。しかし、災害時にはインターネットも使えなくなってしまいますし、誰にも存在を知られていなければ、誰も助けに来てくれません。昨今は地域コミュニティが崩壊し、隣に誰が住んでいるのか分からない、一人暮らしの老人が誰にも知られずに亡くなるという「無縁社会」になりつつあると言われます。現時点でも東日本大震災に遭って行方が分からない方が大勢いらっしゃいますが、誰も捜索願を出していない、行方不明者の数に含まれていない、つまり、「忘れられた行方不明の方」も相当数いらしゃるのかもしれません。やはり、人は一人では生きてはゆけません。何処に誰が住んで何をしているのか互いに知っているという、昔では当たり前の地域コミュニティを再生することが、災害に強いまちづくりにも不可欠なはずです。