ベンガラが茶屋街の趣を今に伝える
金沢の「ひがし茶屋街(ちゃやがい)」は、江戸時代から明治にかけての花街の趣を色濃く残している。国の重要伝統的建造物群保存地区(=重伝建)として選定されており、その景観はとても美しい。茶屋町としての重伝建選定は他に、同じ金沢の主計町(かずえまち)と京都の祇園、小浜西組だけである。
江戸時代の金沢の人口はおおむね10万人で尾張徳川家の名古屋とほぼ同じだった。江戸・大坂・京に次ぐ大都会であり、城下町を流れる犀川・浅野川の近辺を中心に茶屋も相当数あった。黒船が来航する30年ほど前の1820(文政3)年になって、時の藩主・前田斉広(なりなが)は、金沢城下の茶屋を2か所に集約した。これが犀川西岸の「にし」と浅野川東岸の「ひがし」の両茶屋街の発祥である。
斉広は今の兼六園の敷地の7割を占めたという巨大で壮麗な「竹沢御殿」を建造し、その跡地が今の兼六園となった。竹沢御殿の一部は移築されて成巽閣として現存する。また50年ほど途絶えていた九谷焼を復活させ、現在国内シェアほぼ100%の「金箔」産業を京都から職人を招き定着させた。現在の金沢ブランドの礎を築いた藩主と言っても過言ではない。しかし彼は政治よりも能にふけるようになり、能を楽しむための竹沢御殿の建設に心血を注いだとも言われる。まるで室町幕府の8代将軍・足利義政と重なるイメージの藩主だ。
「ひがし茶屋街」は現在金沢市内に三か所ある茶屋街の中で、最も規模が大きい。集約にあたって町割りは整然と行われ、現在も当初とほぼ変わっていないことから、街並みはスマートで美しい。また無電柱化が完了しているため、電線に遮られずにきれいに揃った建物の屋根と青い空が連結して見える。開放的な雰囲気がとても素晴らしい。
茶屋街には内部が見学できる茶屋が三軒ある。街並みはもちろんのこと、今でいう超高級料亭兼会員制クラブだった室内空間の設えの見事さをぜひ見てほしい。「志摩(しま)」は、ひがし茶屋街の町割りが整えられた1820(文政3)年建築のお茶屋で、江戸時代の姿のままに残っており、重要文化財に指定されている。2階の客間の床の間は上質な赤い土壁の設えで、ここが一流の教養を持つ選ばれた男性だけが楽しむことができる“夢の国”であることを強く印象付ける。
「懐華樓(かいかろう)」は「ひがし」で最大規模の茶屋で、現在も夜に茶屋としての営業を続けている。一般客が夜の座敷を体験できる催しもある。日中は見学とともに抹茶も楽しめる。こちらもところどころに設えられた赤い土壁が実に優美だ。
ひがし茶屋街が重伝建に選定されたのは2001年だが、それ以前は地元でも知る人は少なくひっそりとした街だったと言う。金沢は、京都・奈良と同じく第二次大戦末期にほとんど空襲されていないため、古い町並みが多く残されている。「ひがし」も「にし」も中心繁華街からは離れていたため、開発の波にのみ込まれることなく残ったのだろう。
2001年の重伝建選定以降は、伝統工芸を活かした雑貨の店やカフェができ始め、観光客を楽しませるインフラが整ってきた。訪れる人は夜から日中に変わったが、今も金沢の街を楽しませる一画であり続けている。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。
金沢の奥深い文化にしっとり
ひがし茶屋街
http://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot_search/spot.php?sp_no=85(金沢市観光協会サイト)
原則休館日:なし
※内部が見学できる茶屋三軒
志摩
原則休館日:なし
懐華樓
原則休館日:なし
お茶屋美術館
原則休館日:木曜日