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彦根城 ~江戸の面影が残るかけがえのない城郭

2018年04月11日 | 城・屋敷・歴史遺産


青空に映える本物の天守閣

彦根城は国宝・天守を持つ城として知られ、400年以上彦根市民に愛されてきた端正な姿を今に伝えています。小高い丘にあるため360度のパノラマ眺望は抜群で、琵琶湖の美しい湖面も存分に楽しめます。

明治維新の廃城令や第二次大戦の空襲を免れた強運の持ち主で、遺構がよく残されていることから江戸時代の城の面影を存分に味わうことができます。

彦根・米原・長浜の琵琶湖の東端部の都市は、京の都から北陸に向かう北国街道と東国に向かう中山道が分岐し、かつ琵琶湖の水運の重要拠点でもあったため、古くから戦略上の重要拠点でした。信長は丹羽長秀、秀吉は石田三成、家康は井伊直政と信頼のおける重臣を配置したことからもその重要性をうかがえます。

関ケ原の戦いの後、石田三成の領地と城下町を井伊直政が受け継ぎ、彦根のまちづくりが始まります。現在の彦根城の2kmほど東にある光成の居城だった佐和山城を廃し、天守は京極高次の大津城から移築して築城されたと伝承されています。

彦根城全体が完成したのは1622(元和8)年、2代藩主・直孝(なおたか)の治世でした。以来譜代大名では最大の35万石の居城として、現存する楽々園・玄宮園などの庭園も徐々に整備されていきます。

明治に取り壊された藩主の政庁だった表御殿は昭和に再建され、彦根城博物館として井伊家のかけがえのない伝来品を展示しています。

明治維新の際には、新政府からの廃城令が実行される寸前に行幸した明治天皇の鶴の一言で存続が決まっています。第二次大戦でも彦根は空襲の目標にはなりませんでした。こうしてたくさんあった江戸時代の城の中では奇跡的に、二度の歴史の大きな荒波を生き抜くことになります。

なお天守が国宝指定されている城は全国に5つありますが、その中で城跡も「特別史跡」指定されているのは姫路と彦根だけです。それだけ江戸時代の遺構と面影がよく残っています。


廊下橋を渡って天秤櫓を通ると天守はすぐ近く、

城のある小高い丘の迷路のように曲がりくねった階段や坂道をゆっくり登っていくと、「廊下橋」が見えてきます。橋の下には登ってきた坂道が通っており、絶好の写真撮影スポットにもなっています。この橋は有事には切り落として敵の侵入を防ぎます。城ファンにはたまらない構造物でもあります。


天守のある高台から琵琶湖を一望

天守付近は広い高台になっており、四季の花が楽しめます。散策したり、お弁当を広げるには絶好のスポットです。

天守は35万石の大藩の割にはやや小さく感じるかもしれません。しかし漆喰の白壁と黒い瓦のコントラストが建物を引き締まって見せ、とてもシャープな印象です。姫路城の優雅さとは対照的な魅力です。

内部からてっぺんに上がることができます。柱や床の板の風合いは、かけがえのない本物の天守の魅力です。階段がとても急なのも本物の天守の特徴の一つです。有事の際にのぼってきた敵兵を上から突き落としやすいようにしたものです。ただし上り下りの際は細心の注意が必要です。梯子のような急角度です。

彦根の町や琵琶湖をパノラマのように眺望できます。交通の要所のどこからでも見え、支配者の権威を見事に示しています。とても城らしい城であることがあらためて確認できます。

最寄りのJR彦根駅から歩くと見えてくる城は、堀の水、石垣、櫓の白壁と瓦、木々の緑、てっぺんに天守と段々と積み重なったとても端正な光景です。何度見てかけがえのない光景です。

こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。



建築技術の粋を集めた天守閣を解剖


彦根城(彦根観光公式サイト)
http://www.hikoneshi.com/jp/castle/
原則休館日:なし
※展示作品は、展示期間が限られているものがあります。


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