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800年経っても人々に愛される時代の生き証人 ~阿弥陀寺(山口県防府市)

2017年07月01日 | お寺・神社・特別公開

阿弥陀寺 本堂

 

山口県防府市の海が見える高台にある阿弥陀寺は、東大寺の別院で、重源による東大寺の鎌倉復興に大きな役割を果たした。

 

平家が壇ノ浦で滅んだ2年後の文治3(1187)年、周防国が東大寺の復興資金をねん出する造営両国となり、復興資金を集める勧進の出先拠点となる「別所」として創建されたという。周防の別所は大仏殿再建に用いる木材の調達が重要な役割で、阿弥陀寺の住職は周防国の国司(こくし、現代の県知事に相当)にも任命されていた。阿弥陀寺はいわば“県庁”として、木材調達を中心とした周防国の経営の拠点となっていたのである。

 

阿弥陀寺の近くを流れ瀬戸内海にそそぐ佐波川(さばがわ)の上流、現在の山口市徳地の付近の山林が、大仏殿再建に必要な40m長もの真っ直ぐな巨木の切り出し地となった。重源は巨木を通せる道を切り開き、100か所以上の関水(堰)を作って、瀬戸内海までの運搬路を確保した。巨木は瀬戸内海を通って大阪から淀川・木津川を遡り、京都府木津川市から東大寺まで約7kmを陸路で運んだ。

 

大仏殿のような巨大木造建築には、数十mも真っ直ぐな巨木が大量に必要となる。背の高い木はさほど珍しくないが、通常は曲がりくねっており、柱や梁に必須条件となる真っ直ぐで、かつ長い=背の高い木は、樹齢数百年以上必要でかなり限定される。

 

飛鳥時代から巨大な寺院建築が時の権力者が残したランドマークとしてもてはやされたこともあり、貴重な真っ直ぐで高い木は大量に消費され続けた。重源の頃には畿内近辺(京都周辺、現在の近畿地方)では伐採しつくされていたようで、周防のように畿内から離れたところで探さざるをえなかった。

 

800年前に大変な土木工事の拠点となった阿弥陀寺では、今も当時をしのぶことができる。人夫たちが疲れを癒したサウナである石風呂、重源が鋳造した国宝・鉄宝塔、そしてこの寺の絶対的な偉人である重源上人坐像。周防国が国家の一大事業を担った証である。

 

今の阿弥陀寺は、6月にアジサイ寺として親しまれている。11月には紅葉も見事だという。奈良の東大寺は年中、日本はもとより世界中の観光客によりにぎわっているが、花の季節以外の阿弥陀寺に賑わいは厳しいであろう、どこまでも静かである。

 

でもだからこそ私は、阿弥陀寺の空間が好きだ。アジサイを植えたのは戦後で、歴史的価値はない。しかしその時を生きる人々に、訪れる価値を提案し、受容されたことが素晴らしい。境内は手入れが行き届いており、雑草を感じさせることなく清潔だ。この寺を愛する人々の思いを感じる。

 

重源の活躍で西国の阿弥陀寺が脚光を浴びていたころ、当時の最果ての奥州では、奥州藤原氏の理想郷である平泉が最後の時を迎えようとしていた。中尊寺や毛越寺に残る浄土世界は、京の都から遠く離れた地方にも、周防の阿弥陀寺と同じく、京の都の最先端文化が伝わっていた証なのだ。

 

 

日本や世界には、数多く「ここにしかない」名作がある。

「ここにしかない」名作に会いに行こう。

 

阿弥陀寺

休館日 なし(主な美術文化財を収める宝物館拝観は要事前連絡)

(例外が発生する可能性もあるので訪問前にご確認ください)

防府 観光情報 http://www.city.hofu.yamaguchi.jp/site/kankou-site/amidaji.html

 

 


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