美の五色 bino_gosiki ~ 美しい空間,モノ,コトをリスペクト

展覧会,美術,お寺,行事,遺産,観光スポット 美しい理由を背景,歴史,人間模様からブログします

鎌倉時代の浄土の演出には今でも見惚れる ~浄土寺(兵庫県小野市)

2017年06月24日 | お寺・神社・特別公開

桜 浄土寺 浄土堂

 

浄土寺は、旧播磨国で兵庫県の神戸市と姫路市のほぼ中間の内陸部にある小野市に所在する。今はのどかな田園風景の中にある静かな寺だが、鎌倉時代初期に平重衡による南都焼討で焼失した東大寺の復興資金をねん出する造営料国に播磨国が指定されたことにより、光り輝く当時の文化財を今に伝える稀有な寺となった。南都の鎌倉復興に大きな役割を果たし、

 

東大寺復興の責任者である勧進職となった僧・重源(ちょうげん)は、大仏復興資金を集める勧進の出先拠点となる「別所」を東大寺の造営料国に設けた。浄土寺は「播磨別所」として建立され、建久8年(1197)年に本堂(浄土堂)が完成した。

 

浄土堂は、渡宋経験のあった重源により、現代に大仏様(だいぶつよう)と呼ばれる当時の中国(宋)の最新の建築様式が採用された。大仏様は、天井がなく構造材(梁・貫)がそのまま見える、屋根端に反りがない、屋根は瓦葺き、が特徴で、シンプルでダイナミックなデザインがスケールを大きく見せてくれ、美しい。

 

鎌倉時代以後の寺院建築に大きな影響を与えたが、重源が手がけた大仏様建築で現存するものは他に東大寺の南大門と開山堂にしか現存しない。現在の大仏殿も大仏様建築だが、重源による鎌倉復興期の大仏殿ではない。

 

境内の西、すなわち極楽浄土のある側に建てられた浄土堂は、屋根が四角錐の宝形造(ほうぎょうづくり)で、外見からは低く見えるが中に入ると、内部空間の高さに驚かされる。西側に格子窓が設けられており、夕方には西陽が差し込んで堂内が明るくなり、さらに西陽が屋根に反射して中央に鎮座する本尊の阿弥陀三尊像を赤く染める。後光の差した阿弥陀如来がまさに極楽浄土から迎えにやってくるように見せており、見事な光の演出効果を体験できる。阿弥陀様を見ていると時間がたつのを忘れてしまう。

 

屋根に反射する西陽の仕組み

 

阿弥陀三尊像に差す後光

(画像出典)小野市観光協会「浄土寺」リーフレット

 

この阿弥陀三尊像は快慶の最高傑作のひとつであり、建物・仏様とも国宝だ。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来、浄瑠璃寺の九体阿弥陀、毛越寺の浄土庭園と並んで、浄土美術の極上空間が残っていることには本当に感謝しなければならない。

 

浄土寺は遠方であるがゆえに参拝者は多くなく、結果的に静かにお会いできる可能性が高い。風の音と光の演出が会いに来た者を凛とさせ、五感で800年前の浄土空間を感じさせてくれる。

 

浄土堂の反対、境内の東側には「薬師堂(本堂)」が浄土堂と同時期に建てられたが、焼失したため室町時代に再建されたものだ。現世の苦しみから解放してくれる東方浄瑠璃世界に住む薬師如来と極楽浄土に迎えてくれる阿弥陀如来を一緒に拝めるという、勧進に効果的な演出を感じる。

 

重源は優れた僧であり、中国事情や建築技術に詳しい知識人であり、同時に優れたビジネスマンだったと思う。ビジネスのセンスがなければ大仏殿の復興という巨大プロジェクトを進めることはできない。各地の造営料国からの税収や勧進収入だけでなく、後白河法皇・九条兼実・源頼朝ら、当時の権力者からもしっかり寄付を得ている。

 

重源が大仏復興に情熱を注いでいた頃、欧州でも高い尖塔が特徴のゴシック様式による大聖堂の建設が始まっていた。パリやシャルトルのノートルダム大聖堂、イギリス国教会の大本山・カンタベリー大聖堂などが代表例で、その街のランドマークとして確立しているものばかりだ。

 

日本でも欧州でも、かけがえのない建築が大切に守り続けられたことに感謝している。

 

 

日本や世界には、数多く「ここにしかない」名作がある。

「ここにしかない」名作に会いに行こう。

 

 

浄土寺

休館日 年末年始(例外が発生する可能性もあるので訪問前にご確認ください)

公式サイト http://ono-navi.jp/spot/463/(小野市観光ガイド)

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 繊細な仏のお顔が人々の心を... | トップ | 800年経っても人々に愛される... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

お寺・神社・特別公開」カテゴリの最新記事