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京の冬の旅「林光院・相国寺」 ~現代襖絵アートがお見事

2018年01月23日 | お寺・神社・特別公開


私は猫ではありません

2018年の「京の冬の旅」は、明治150年にちなんで幕末にゆかりのある寺社が多いことが特徴で、相国寺では三か所が公開対象になっています。その内の一つ塔頭の林光院(りんこういん)は、襖絵と梅が見事な寺で、足利義満や薩摩・島津家と深い関係がありました。

林光院は、足利3代将軍・義満の四男で、4代将軍・義持(よしもち)の弟にあたる義嗣(よしつぐ)の菩提を弔うため、現在地から西寄りにあった紀貫之の屋敷跡に創建されました。

足利義嗣は当初、嫡男以外の男子は出家する慣例に従って家を出ますが、父・義満はその慣例を破って義嗣を還俗(げんぞく、僧をやめて俗世間に戻ること)させます。この不自然さから、南北朝統一を果たし権勢を誇った義満が義嗣を天皇に据えようとしていたとう説があります。

還俗後、義嗣は異例のスピードで官位を高めていきますが、父・義満の死で状況は一変します。義満の溺愛と出世の早さから兄の4代将軍・義持に冷遇され、ついには兄によって命を絶たれることになります。

島津家とは江戸時代に縁ができています。関ヶ原の戦いの敵陣中央突破で知られる島津義弘は、薩摩への逃避行の際、大阪の豪商・今井道與の助けにより無事帰国を果たします。これをきっかけに今井家が島津義弘の供養を行うようになり、江戸時代に今井家の子孫が林光院の住職になると、供養の場は林光院に移されます。

その後も島津家との関係は続き、幕末の蛤御門の変や鳥羽伏見の戦いの際の薩摩藩士の戦死者の墓が、現在も寺の近くで大切に守られています。


寺というより武家屋敷の趣の境内

境内に入ると、寺のような感じを受けない人もいます。本堂が武家屋敷を移築したものだからでしょう。本堂内は見応えのある襖絵で彩られています。画家・藤井涌泉によって2017年に完成したばかりの力作です。

梅・松・虎・龍といった寺の書院らしいモチーフが、遠近感を駆使した水墨画で描かれています。不思議なことに2017年という現代の作品には見えません。もっと古い作品のように見えます。現代と古の両手法を上手に調和させて表現しているのでしょう。

拝観者の多くは黒い虎の前で立ち止まります。水墨画で黒く、「炬燵で眠くなる」ポーズをしていることから限りになく猫に見えますが、よく見ると確かに虎の模様が描かれています。かすかに開いた瞼から見える瞳がチャーミングです。京の冬の旅のガイドブックの表紙に採用された理由がよくわかります。

【公式サイトの画像】 イベントガイドブックの表紙

紀貫之の屋敷にゆかりがある「鶯宿梅」が、庭でとても存在感を放っています。1月中旬ではまだ咲いていませんが、梅らしい隆々とした枝ぶりが見事です。例年、会期終了間際の3月には花を咲かせるとのことですので楽しみです。書院の襖絵にも見事な枝ぶりが描かれていますので、こちらもお忘れなく。

こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。


第52回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 「相国寺 林光院」
https://www.kyokanko.or.jp/huyu2017/huyutabi17_01.html#09

主催:京都市観光協会
会期:2018年1月6日(土)~3月18日(日)
原則休館日:なし

林光院の沿革(相国寺サイト内)
http://www.shokoku-ji.jp/img/sanpai_img/s/rinkoin.html

※この寺は常時公開されていません。次の公開時期は未定です。



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