小さな花
原作:James McCulcheon 翻訳:polo181
※ これは1935年に起きた実話です。中心人物は英名で表記します。
Fiorello LaGuardiaは世界大恐慌やそれに続く第二次世界大戦当時にニュウヨーク市長を務めていた人物です。彼の身長はわずか155㎝しかなく、左胸にはいつもカーネーションを付けていたので、彼を敬愛するニューヨーカーから”小さな花”と呼ばれていました。彼は多彩な性格の人で、自ら市の消防車を運転して消火活動に参加したり、警察官と一緒に不法酒場を急襲したり、市内の孤児を全部球場に招待したり、はたまたN.Y.の新聞がストライキで休刊したりすると、みずからラジオ局に乗り込んでマイクを持って愉快な話を喋り続けたりしました。
1935年の一月、あるとても厳しい寒さの夜に、市長は市内で最も貧しい人たちが住む地域の夜間審判署に出かけました。そしてLaGuardiaさんはその夜の判事を家に帰らせて自ら審判席に座りました。しばらくすると、ボロボロの衣服を着た老いた女性が彼の前に連れてこられました。罪状は食パンを盗んだとのことでした。聞き取り調査の結果、彼女は夫に逃げられ、病身の娘を抱えて働きにでられず、おまけに腹を空かせた孫が二人家で待っていることが分かりました。でも、パンを盗まれた店主は「こいつは泥棒野郎で、この地域に住む人たちへの見せしめの為しかるべく罰すべきだ」と申し立てて、訴状を引き下げませんでした。
LaGuardiaさんは、深いため息をつきました。彼はその女性の方を向いてこう言い渡しました。「残念だけれど、私は貴女を罰しないわけにはいかない。法を曲げることはできない。この場合、10ドルの罰金か10日間の拘留となる。」と言い渡しました。しかし判決を言い渡したにもかかわらず、彼はポケットから10ドル紙幣を取り出し、それを彼お好みのカウボーイハットに入れて並み居る人々にこう言いました。「これは私の心からのカンパだ。飢えた孫の為にパンを盗まねばならないほど貧しいのは、私たちの側にも責任がある。どうかみなさん、一人50セントをカンパしてくれないだろうか。」 そして、その帽子は人々の手から手へと回ってゆきました。その帽子が、LaGuardiaさんの手元に戻ってきたときには、47ドル50セントのお金が入っていました。もちろんあの赤ら顔のパン屋もカンパをしたのでした。
このことが、次の日の新聞で大々的に報じられて、すべてのニュウヨーカーの知るところとなりました。議場に現れたこの市長に向かって、議員のすべての人が立ち上がって惜しみなく拍手を贈ったのでした。
今の世の中、他人の痛みなどは見て見ぬふりを決め込むどころか、一切顧ない傍観者の何と多いことか、poloさんのこのブログ多くの方々に読まれて欲しいものです。
(ヴェニスの商人にはユダヤ人差別があるような気がします)
日本にも欲しいですよね、小さな花の市長さん。
poloさん、楽しいですよ。負担にならない程度で続けてほしいです。