晴山雨読ときどき映画

“人生は森の中の一日”
山へ登ったり、本を読んだり映画を観るのは知らない世界を旅しているのと同じよ。
       

アコウの老木を訪ねて

2020年07月16日 | ウォーキング
近所で結成している山クラブのメンバーで結が浜(ゆいがはま)までウォーキング。途中の池下集落にアコウの案内板があったのは知っていたのですが、入り込んだことはありませんでした。新興住宅地に住んでいる私たちと違い、地元の海辺集落は昔から伝わる暮らしが今も残っている佇まい。
由緒ありそうな家の石垣から繁った樹々の枝がはりだしています。



看板を読んだ後で、自分が何代目になるのか定かでないと云われる品の良いご主人の許しを得て敷地内へ入りました。



南の島々に近い門構えです。集落の他の家々の屋根にも鶴、鯛、鯱を象った飾り瓦が乗っているのは珍しい!



大きな庭園に巨大な木が数本生え、枝や幹からは多数の気根が垂れ、回り込んだ幹には硬いコブらしきものがくっついています。叩くと乾いた音がする。このコブは推測するに幹生花の実ではなかろうか。幹生花とは5月頃アコウが幹や枝から出た短い柄にイチジクのような小型の隠頭花序のこと。







池神社内に建っていた弥生時代石棺碑も興味を惹きます





たまたま歴史番組で観たのですが、縄文時代までお墓は集落の真ん中にありそれを囲むようにして竪穴式住居があったというのです。埴輪に女性像を象っているのは、亡くなった人がまた母親のお腹に宿ると考えられていたからだろうと言ってました。

ウィキペディアより
縄文時代は、住居のそばに埋葬することが一般的であり、弥生時代になると集落の近隣に共同墓地を営むことが一般的となった。また、縄文期には地面に穴を掘り遺体を埋葬する土壙墓(どこうぼ)が中心だったが、弥生期は甕棺・石棺・木棺など埋葬用の棺の使用が中心となっていく。板石を箱状に組み合わせて棺とする墓である。箱式石棺墓ともいう。石棺墓は弥生時代前期に、支石墓に伴う形で現れた。石棺墓は北部九州から中国地方西半部まで広がったが、内陸には見られず海岸地域に集中していた。

海辺の町なのに何故『池』という地名になったのだろうか? 疑問は今も解決されないままです。 



結が浜から見える島に、アチさんと2人カヌーで渡ったなぁ~。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いいですね~ (こに)
2020-07-19 09:22:07
充実したウォーキングでしたね。
梨木香歩さんの世界みたいで素敵!
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嬉しいコメント (bamboo(しずく))
2020-07-19 15:27:20
梨木香歩さんの世界みたいなんて褒められると舞い上がっちゃう
彼女、好きな作家さんなので!
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コメントをありがとうございました (bamboo(しずく))
2020-07-19 20:01:55
梨木香歩さんの「海うそ」でしょうか!?
そう云われればそうかもしれません。
梨木香歩さんは独特な世界観を描かれて好きな作家さんなので、とても嬉しいです。
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