江戸時代、4人に1人は武士だったと云われる薩摩藩では、「人を人ともって城となす」という考えのもとに外城制度(とじょうせいど)を採用していた。つまりは、武士が多くて鹿児島城下にすべての家臣を集められないので、領地を"外城”という行政に分けてそれぞれの外城に家臣を住まわせたということか。有事にはすぐに軍団が形成され殿を守れる体勢だっという事だ。藩内には102箇所あったといわれている。現在も県内に数か所が残っているが、ここは質実剛健な屋敷の佇まいに、曲折ある道路に沿って石垣と生垣の美しさが評価され重要伝統的建造物群保存地区に選定されたとのこと。興味ある人は転勤族のバイブルに分りやすく楽しく紹介されているのでクリックしてしてみて! ちなみに知覧は島津家の分家佐多氏が地頭となり、十六代目に知覧の私領地化と島津姓の使用が認められていた。この武家屋敷群は十八代目に造られたらしい。
正直な話、花のない季節だったせいか日本庭園にはさほど感動を覚えなかったが、知覧型二つ家の説明書きに感動した。梨木香歩著『海うそ』←(感想はこちら)の小説にあった”二つ家”を実際に見れた事! 舞台となった甑島も薩摩藩だし、両者とも琉球の影響を受けたことはまちがいないでしょう。
屋敷内が見えないように工夫された屏風岩も、沖縄のヒンブンの影響を受けている
武家屋敷群途中で「cafe de fo」でコーヒーブレイク。統制の取れた日本庭園より自然を生かすイングリッシュガーデンが 好きな私は、吸い込まれるように店内へ誘われた。名前の由来を尋ねるとホッとして欲しいからの ”fo”ですって! 店主は4年前に関西からユーターンし改装してオープンにこぎつけたと関西弁で語る素敵なWOMANだった。
やっと最後の森重堅庭園にたどり着く。他の6庭園は枯山水でしたがここは唯一の池泉式庭園。だからかぁ、雨が好きな私は水けのない庭園に心動かされなかったのは・・・。「西郷どん」初め時代劇の撮影に一役かっているらしい。「屋敷入口の蔵の屋根は取り外しができるように紐を取り付け、火事が発生しても中身が無事であるように」と説明されている。夫と不思議だと話している所に、男性が来て詳しく説明された。「通常、蔵内は燃えることはないので大事な物を入れてある。焼失は防げるが蒸されて使えなくなる。それで屋根を外し大事な宝物が蒸されて使えなくなるのを防いだ」。なるほどと合点していたら、現在の当主でした!
霧島神社→指宿→知覧→鹿児島というルート。
南国とは言え流石に2月。途中で雹に降られ、知覧でも雨交じりの残念な天気でしたが、そのぶん人が少なくしっとりした雰囲気が味わえたかな。特に石垣の道は雰囲気が有って良かった。
でも、しずくさんの写真を見ると、やっぱり晴れて良い気候が良いなぁ。
そうか、二ツ家って『海うそ』に出てきたやつですね。実物を見ていたのに本を読んだ時には気づかなかった。軒先でお茶とお菓子をいただいたのに。。
http://blog.livedoor.jp/todo_23/archives/52184853.html
>軒先でお茶とお菓子をいただいたのに。
私らもそうでした・・・。
といっても焼き芋でしたが。
鹿児島のお芋は同じ種類でも全然違います。 特に安納芋、種子島産の蔵出し安納芋は長崎で作られているのと濃厚さが極上です。道の駅ではひとコーナーを占めていました。