なくもの哲学と歴史ブログ

哲学と歴史のブログです。
フォロバはします。気軽にフォローしてください。
西洋、東洋哲学
世界史、日本史
西洋神話

リオタールの「ポストモダンの条件」

2024-03-15 19:25:00 | 西洋哲学

【大きな物語】
 リオタールは「ポストモダンの条件」という著者で「大きな物語」という概念を提示しました。大きな物語は、リオタールの造語で「メタ物語」とも言います。物語とは、人々に要約して語るという意味です。これまでは、大きな物語が世の中に広められ、それが人々の思考を支配してきました。我々が現実世界だと思っているこの世界も、実は大きな物語が提示してきたものです。しかし、それが本当に正しいとは限りません。大きな物語の具体例は、共産主義や資本主義などのイデオロギーです。また、近代科学や、キリスト教のような宗教も大きな物語の一つとされます。

【同一性の思考】
 大きな物語とは、世界全体を「一つの理論」で解釈しようとする「思想的枠組」のことです。理論というものは、世界を物語として説明しようとします。思想的枠組みとは、世界を意味づける統一的な思考体系のことです。大きな物語は、万人が認めるような真理を普遍的に語ることによって、人々に世界観を提示してきました。人々は、その大きな物語に合意することによって、一つの世界観を共有しています。例えば「歴史」「哲学」「科学」などの正当性は、大きな物語によって維持されてきました。しかし、大きな物語は、同一性の思考であり、それは、例外を認めようとしません。大きな物語の目標は、現状を理想的に変えることです。それが現実社会とはズレていても、その理想を無理矢理、当てはめようとします。その結果生じるのが、基準に当てはまらない例外者の排除です。それが、社会的な差別につながることもありました。

【ポストモダン】
 大きな物語を「モダン」と言います。モダンとは「近代」「現代風」と言う意味です。これまでは、差異を排除し、統一化を求めるモダンの時代でした。それに対して、リオタールが提唱したのが「モダンのあと」を意味するポストモダンです。ポストモダンとは、モダンの脅迫、抑圧的な統一化に対抗する全般的な社会現象のことです。それは、モダンの中にあっても、統一化することを避け、文化や価値観などの多様性を目指します。ポストモダンとは、異文化、多文化を受け入れて社会を差異化する運動のことです。

【小さな物語】
 これまでは「近代理念」という大きな物語が、他の理念に比べて優位に立っていました。近代理念とは、人間理性による諸科学の進歩に、絶代的な信頼をおいた効率性重視の論理です。しかし、現代は、そうした大きな物語に対する不信感が蔓延する時代になりました。現代の知は「専門化」「細分化」が進み、個々が分立している状態です。しかし、それらを統一するような知がありません。そのため、何が本当に正しいのか分かりにくい状況になってきました。今日、大きな物語は終焉しつつあります。モダン「大きな物語」の次に生まれたのがポストモダンの時代です。ポストモダンの物語を「小さな物語」と言います。小さな物語は、個々の具体的な状況での思考です。それは、それぞれの差異を保持したまま、その差異を増加させようとするものでした。


マルクスの上部構造と下部構造

2024-03-14 21:20:00 | 西洋哲学

【下部構造】 

 下部構造とは、社会の基礎となる生産手段のことです。それを「経済機構」と言います。経済機構とは、社会の物質的生活の生産様式のことです。人間は、他人と相互に関係性を築きながら活動しています。マルクスは、人間同士の活動を「交通」と呼びました。その交通をとおした活動が、生活の物質的側面である「経済」です。人間が経済活動をする時、自分の体を動かしてさまざまな労働をしています。例えば、農業をしたり、工場で働くなどです。

 【生産様式】 

 人間は、社会の中で、それぞれの生活手段によって生産活動をしています。マルクスは、その生産の在り方こそが社会全体を決めているのだとしました。その生産の在り方を「生産様式」と言います。マルクスは、社会が上から命令して、生産様式を決めているわけではないとしました。もともと、どのような生産をしていたかによって、どのような社会になるかが決まるからです。生産様式は「人間と自然」「人間と人間」というような二重の関係性によって決定されています。

 【関係主義】 

 社会は、相互の関係性によって成り立っています。下部構造とは、経済的な関係性の総体のことです。それは、さまざまな人間活動の前提条件になっています。下部構造は、客観的な確実性がある自然科学的なものです。マルクスは、人間が、自分の意思だけで、行動を決定出来るわけではないとしました。下部構造が、人間の意識的な部分までも決定しているからです。その意識的な部分を下部構造に対して、上部構造と言います。

 【上部構造】 

 上部組織は、下部構造という土台の上に建てられた、建物のようなものだとされています。それは、肉体物質的な下部構造に対する、人間の精神的な活動のことです。上部構造は、個々人の精神的な生活において、具現化します。マルクスは、上部構造のことを「イデオロギー」と呼びました。イデオロギーとは「社会意識諸形態」と訳される観念形態のことです。マルクスは、イデオロギーという言葉を「思想」「学問」「芸術」などの人間の精神的な活動を説明する時にも使用しました。 

 【イデオロギー】 

 イデオロギーとは、意識の文化的産物です。例えば、資本主義を土台とする経済機構においては、資本主義的な文化が展開されます。上部構造は、その時々の経済体制のたんなる反映にすぎません。基本的に、その国の文化は、下部構造よって変化し規定されるものです。ただし、上部構造が圧力を加え、一部の範囲内ですが、下部組織を反作用的に規定することもあります。また、上部構造は、まず政治や法律などの制度があり、さらにその上に、宗教や道徳といった精神的なものがあるという二重構造です。

 【問題点】 

 イデオロギーの問題点は、現実社会の矛盾や、利害対立を隠蔽してしまうことです。現実の社会とイデオロギーは、必ずしも一致していません。マルクスは、イデオロギーを現実の矛盾点を覆い隠してしまう煙幕のようなものだとしました。たとえ矛盾があっても、無理矢理一つのイデオロギーに当てはめようとするからです。イデオロギーは、人間の思考が生み出した空想の産物にすぎません。しかし、それが自分自身の特殊な利害を社会全体の共通の利害であるかのように思わせることもあります。



ヘラクレイトスと「火」

2024-03-13 09:47:00 | 西洋哲学

【火】 

 古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、世界を永遠に生きている「火」だと考えました。その火は、誰かが創ったものではありません。そのため、新たに生まれることも、消滅することもありませんでした。火とは、はじめも終わりもなく常に存在するものです。それは、決まっただけ燃え、決まっただけ消えます。その内部は、絶えず変化をしていました。しかし、その総量は、常に変わりません。

【万物流転】

 ヘラクレイトスは、火を万物の交換物だとしています。交換されることで、万物は、絶えず変化しました。火の本性は、交換することです。そのため、静止することがありません。 ヘラクレイトスは、常に変革する状態を川の流れに喩え「万物流転」と呼びました。

 また、存在というものは、相反するものがあってこそ、成り立っているものです。ヘラクレイトスは、流れを起こさせている原因を対立「戦い」だとしました。その対立こそが、万物を生じさせているからです。そのため、ヘラクレイトスは、戦いを「万物の父」だとしました。

 【理法】 

 ヘラクレイトスは、万物に共通している根本法則があるとしました。それが理法「ロゴス」です。万物は、このロゴスに従って、配置されています。例えば、それによって、ある者は奴隷となり、ある者は自由人となりました。人間の運命も、その理法によって決められています。ただし、理法というものが、世界とは個別に存在しているわけではありません。 各々の本性に従った結果が理法になるからです。例えば、太陽の運行は、自らの軌道から外れることがありません。太陽が、ただ自分の本性に従いることが、毎日の決まった通りの運行になっています。確かに、全てのことは偶然であり、そこに決まりがあるようには見えません。しかし、ヘラクレイトスは、そこには一つの理法が働いているとしました。 

 【共同】

 それぞれのものは、相互に共同して働いています。そのため、全てのものは、例外なく公共的な存在です。万物は、それぞれつながっており、一つのものとして連携して働いています。そこに完全に孤立しているものなどありません。協働して働いた結果は、常に同じになります。それは、世界がただ一つの同じものだからです。そのため、世界は、永遠に同じ過程を繰り返してきました。世界とは、一つの行為の総体です。特定の条件が揃った時に、ただ特定の出来事が起きます。例えば、円周上では、初めと終わりが共通です。それと同じように世界は、一つの決まった周期を巡っているとされています。その全過程は、常に同じであり、そこには、完成されるべき目的などありませんでした。

 【智】 

 多くの人間は、自分だけの「ものの見方」に従って生きています。そのため、あることを正しいとし、他のことを間違いだとしてきました。しかし、ヘラクレイトスは、人間には、何が本当に正しいのかを判断することは出来きないとしています。ただし、神にとっては、全てが正しいことだとしました。真の知恵とは、万物が一つであることを認めることです。それぞれのものには、ただ違った呼び方があるだけです。ヘラクレイトスは、博識は、真理を教えるものではなく、むしろそれを覆い隠すものだとしました。



ソクラテスの「無知の知」

2024-03-11 19:26:00 | 西洋哲学

【無知の知】 

 ソクラテスの「無知の知」とは、「自分は何も知らない」ということを知っているという意味です。無知の知は、不知の自覚とも言います。ソクラテスは、誰より自分の無知を自覚していました。しかし、ソクラテスは、自分が一番の知者であるという神託を受けたとされています。それを確かめるため、いろんな知者たちを訪ねることにしました。当時、知者とされていたのが職業教師「ソフィスト」たちです。ソフィストは、何かを知っているかのように思い込んでいました。しかし、ソクラテスによって、自分たちが実は何も知らないことを暴かれたとされています。

【善と神】

 ソクラテスは、人間を知恵と無知の中間にいる有限な存在だとしました。それに対して、完全な知恵を持っているとしたのが神です。そのため、出来だけ神に近づこうとしました。ソクラテスが、自身の哲学の出発点としたのが無知の知です。無知を自覚し、知恵を探求し続けることが、神から与えられた自分の使命だと考えていました。ギリシャの格言に「汝自らを知れ」とういう言葉があります。これは、デルフォイのアポロン神殿の柱に刻まれた箴言です。この箴言は、ソクラテスの座右の銘となりました。

 ソクラテスの目的は、ただ生きることではありません。善く生きることでした。しかし、それには何が善であるかを知らなくてはいけません。ソクラテスは、常にその善を探求していました。ソクラテスにとっての善は、全ての人々に共通しているものです。そのため、他人にも教えることが出来るものだとしました。それに対して、悪とは、認識の欠如のことです。それは、自分自身に背くことでした。

 【助産術】 

 ソクラテスは、哲学者でしたが、自分自身で思想を生み出しませんでした。その代わりに、対話の相手に真理を生み出させる手助けをしたとされています。その手法を人間の出産に喩えて「産婆術」と呼びました。ソクラテスは、産婆術「マイウティケイ」を使って、哲学を展開させたと言われています。対話によって、色々な事例を上げ、問答を繰り返すうちに、相手に無知を自覚させました。ソクラテスは、自分は何も知らないふりをして、相手にひっきりなしに質問をあびせ、その結果、相手に思いがけない結論を導き出させたとされています。産婆術は、問答を繰り返すので「問答法」とも呼ばれました。ソクラテスは、その問答法「ディアレクティケー」によって、対話相手をより高い次元の真理に導いたとされています。

 【皮肉】 

 普段、ソクラテスは、無知を装っていました。しかし、実際に無知だったわけではありません。表面的に、たとぼけた態度をしていただけです。この意図的に装われた無知を皮肉「アイロニー」と言います。アイロニーは、もともとギリシャ語で「偽装」や「仮面」と言う意味です。ソクラテスは、肯定するように見せかけて、相手の矛盾点を暴きました。それによって、相手が自己否定せざるを得ない状況に追い込むためです。ソクラテスは、相手を真理へ導くためにあえてこのような態度をとったとされています。



プラトンの「イデア論」

2024-03-10 10:46:00 | 西洋哲学

【実在するもの】 

 プラトンは、移ろいゆく現実世界の原型や規範を「イデア」と名付けました。イデアとは、もともと「外見」や「姿」という意味です。プラトンは、イデアを不生不滅で不変の客観的実在だとしました。イデアは、現実とは異なる別種の超自然的な存在だとされています。プラトンは、日常の現実世界にあるものは、不完全な時間的存在だとしました。イデアは、現実世界の物のように時間の経過によって変化しません。現実にあるものは、イデアの不完全な模像であり、影のようなものだとされています。そのため、プラトンは、それらを知性の対象とはしませんでした。 

 【本質】 

 プラトンは、イデアこそ、ものの本質であり理想のものだとし、魂は、それを求めるものだとしました。イデアは、魂の眼によって、初めてみることが出来るものです。プラトンは、感覚がとらえる現実のものと、イデアを別々のものとして分けました。そのため、プラトンのイデア論は、二元論的です。プラトンは、現実のものには、それぞれイデアがあるとしました。例えば、正義には正義の、美には美のイデアが存在するとされています。そのため、イデアは、いたるところにありました。

 イデアとは、ある特定の事物に共通する本質のことです。それは、純粋な一つのものとして、永遠に自己同一でありつづけています。プラトンは、多様に見える現実世界は、真の存在であるイデアを反映したものにすぎないとしました。イデアは、物質ではないので、空間を占めることがありません。また、イデア自身は、神が作ったものだとされています。

 【想起説】

 プラトンは、人間の魂を、輪廻転生を繰り返す不滅の存在だとしました。その人間の魂が、もともと住んでいた場所がイデア界です。魂は、この世へ誕生した時に肉体に閉じ込められたとされています。プラトンは、イデア界こそが、現実世界の故郷であり、真の実在の世界だとしました。現実世界で、あるイデアと似たものを見た時、魂がかつて見たことのあるイデアを思い出すとされています。プラトンは、人間が学習することが出来るのは、そのイデアを思い出すからだとしました。それを想起説と言います。

 【善のイデア】 

 プラトンが、個々のイデアの頂点としたのが「善のイデア」です。善のイデアは、イデア世界の太陽だとされています。プラトンは、善のイデアこそが、無前提であって、他のものの根拠をなしている究極の存在だとしました。イデアの知識は、経験からは導き出せません。それは、理性によってのみ認識することが出来るとされています。プラトンは、イデアを知ることこそ最高の知識だとしました。イデアを認識する者は、永遠の生命を獲得することが出来るとされています。

 【洞窟の比喩】 

 プラトンが、現実世界を暗い洞窟に喩えたのが「洞窟の比喩」です。その洞窟には、縛られた囚人たちが住んでおり、太陽の光が壁に映しだす、さまざまな影を見ているとされています。太陽が光り輝く外の世界こそがイデア界だとしました。囚人たちは、その洞窟の影を現実だと思いこんでいます。プラトンは、その洞窟を抜けイデアの世界に進むことが、真の知恵だとしました。