なくもの哲学と歴史ブログ

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西洋、東洋哲学
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西洋神話

アッシリアについて

2024-03-23 10:58:00 | 世界史

【アッシリア】 

 メソポタミア地域は、だいたい北はアッシリア、南はバビロニアが支配していました。アッシリア人は、現在のイラク周辺に住んでいたセム系の遊牧民だったとされます。紀元前9世紀頃、オリエント全域を最初に統一したのがアッシリア帝国でした。アッシリアの語源は「日の出」で、現在のシリアの由来にもなっています。アッシリア人が信仰していた神は、国家神「アッシュル」や「パズズ」などです。翼は、聖なるものとされ、神聖な場所には、有翼の日輪や神人が描かれました。アッシリアは、有翼人面雄牛の「ラマス」を守護神とし、ライオンを象徴としています。王のスポーツとしては、ライオン狩りが行われました。

 【古アッシリア】 

 古アッシリア時代は、弱小勢力だったので、ミタンニに隷属していました。そのミタンニの支配者層だったのがアーリア人です。アッシリア人は、商業を得意とし、銅や錫などを交易していました。商業を発展させたのは、土壌が農耕に不向きで、気候的に雨が少なかったからです。アッシリアは、ロバを用いた中継貿易によって、交易ネットワークを整備しました。この頃に、各地に有力な商業都市を築いたとされています。アッシリアは、ヒッタイトから鉄器の製造技術を学び、交易で築いた財で軍備を強化しました。 

 【中アッシリア】 

 アッシリアでは、男子が全員徴兵され、強力な常備軍を保持することが出来きました。また、中アッシリア時代に「鉄製の武器」と「戦車」による軍隊が編成されたことで、古代最強の軍事大国になったとされています。それ以外にも、当時としては、画期的な攻城用の工兵隊をも配備していました。 

 アッシリア人は、好戦的で残忍な性格だったとされます。そのため、戦争に明け暮れ、労働力獲得のため組織的な強奪を繰り返していました。その労働力とされたのが、戦争で敗れた人々です。中アッシリア時代に、もともと商業国家だったアッシリアが、軍事国家へ変貌したとされています。内政では「官僚制」や「アッシリア法典」が整備されました。

 アッシリアのライバルだったのがバビロニアです。その強力な軍事力によって、バビロニアを攻略し、ミタンニやヒッタイトにも勝利しました。アッシリアの領土が拡大されたのが、この時期です。エジプトとは、対等な関係を築き「エジプト王の兄弟」と呼ばれました。


 【新アッシリア】 

 新アッシリア時代、「あらゆる敵を殲滅する方式」をとり、オリエント全域を支配する最初の世界帝国となりました。この頃のアッシリアの方針は諸民族の反乱防止のため、国内を州に分け「総督」を派遣しました。それを「駅伝制」と言います。駅伝制によって、中央集権化が強化されました。アッシリアは、バビロニアに比べて、行政と軍事制度の面では優れていたとされています。オリエント全域に同一の統治体制と法体制を行き渡らせたのは、アッシリアです。イスラエル王国滅ぼし、エルサレムを破壊したのが、サルゴン2世です。サルゴン2世は、イスラエル人を強制連行し、新都建設の労働力にしました。版図が最大になったのは、騎兵隊を組織したアシュールバニバル王の時です。

 アッシリアの首都ニネベには、全オリエントの工業技術や、優れた美術工芸が集約されました。オリエント文明を集約した情報センターとして機能したのが、ニネベの図書館です。ただし、アッシリアの文化は、バビロニアに依存していました。どちらかと言えば、アッシリアが、軍事大国で、バビロニアが、文化大国だったからです。最終的には、アッシリアの残逆な軍隊や過酷な税が、被征服民の反感を招き、内乱や反乱に乗じて、新バビロニアとメディアの連合軍に滅ぼされました。


バビロニアについて

2024-03-21 19:31:00 | 世界史

【アッカド王国】 

 バビロニアとは、下メソポタミア周辺、シュメールとアッカド地方に対する呼称です。その地にセム系アッカド人が侵入し、高度なシュメール文化を吸収しながら、征服しました。最初に統一帝国を築いたのが「四方世界王」と称されるサルゴンです。アッカド人は、シュメール人の文化を基盤としながらも、民族、言語学的には支配したとされています。なぜなら、アッカド王国の公用語は、アッカド語でしたが、使用された文字は、シュメールの楔形文字だったからです。アッカド王国では、人種や文化的に混合が進み、それがバビロニア文化の母体となりました。

 【古バビロニア】 

 その後、一時的にシュメール人の王朝が成立したりします。しかし、最終的に、この地域を統一し、古バビロニア「バビロン第一王朝」を築いたのは、セム系の遊牧民アモリ人でした。アモリ人は、家を持たず、天幕に住み、生物を食べる屈強な民族だったとされています。最盛期の王は、メソポタミア一帯を支配したハムラビです。ハムラビ王は、シュメール法典を集大成し、アッカド語で書かれた「ハムラビ法典」を作りました。ハムラビ法典は「目には目を、歯には歯を」の復讐法です。また、身分によって適用が異なる階級法典でした。バビロニアは、混合民族です。それをまとめるために、国の誰もが閲覧できる神殿にハムラビ法典は掲示されました。

 それ以外に、ハムラビ王が整備したのが「官僚制」「軍隊」「駅伝制」「灌漑用水路」などです。また、国家を発展させるために交易や商業を保護をしました。最終的に、その古バビロニアを滅ぼしたのが、ヒッタイトです。ヒッタイトは「鉄製の武器」「騎馬戦」「戦車」という革新的戦術を持っていました。

 【親バビロニア】 

 親バビロニア「カルディア王国」は、セム系の遊牧民カルディア人によって築かれました。最盛期の王は、ネブカドネザル2世です。ネブカドネザル王は、ユダ王国を滅ぼし、ユダヤ人を首都バビロンに連行し、捕虜としました。旧約聖書では、これを「バビロン捕囚」と言います。この時、ユダヤ人の聖地エルサレムは破壊されました。バビロニアの「バベルの塔」「イシュタル門」「空中庭園」などは、そのネブカドネザル王が建設したものです。空中庭園は、世界7不思議の一つに数えられています。

 ネブカドネザル王は、文化の向上と国力を充実させバビロンを再建しました。しかし、その新バビロニアを滅ぼしたのが、アケメネス朝ペルシャのキュロス大王です。この時、バビロンに捕囚されていたユダヤ人は、解放されました。そのため、キュロス大王は、ユダヤ人からは「解放者」と呼ばれています。新旧バビロニアは、バビロンを首都としました。バビロンは、バビロニアの大宗教都市です。マケドニアのアレクサンドロス3世も、バビロンを王都としました。ただし、旧約聖書では、快楽がはびこる不道徳な街だったとされています。 

 【社会】 

 バビロニアは「自由民」「高級奴隷」「奴隷」に分かれた階級社会でした。このうち、奴隷は、主人の財産とされています。バビロニア人とシュメール人の宗教観は似ていました。例えば、人間は、神々の労働を肩代わりするための存在とされていたことなどです。労働は、最も基本的な生活の基盤であり、国家に捧げる義務だとされました。 バビロニアの生活基盤は、農耕と牧畜です。もともと、メソポタミア地帯は、農耕に適した土地でした。なぜなら、豊かな太陽光が降り注ぐ、肥沃で平坦なデルタ地帯だったからです。そこに灌漑を整備し、穀物耕作やナツメヤシを栽培しました。 

 バビロニアでは、幾何学などの数学が発展し「占星学」「黄道十二宮」「円周率」などが発見されています。地図が描かれるようになったのもこの頃です。また、バビロニアには、交易ネットワークが築かれ、物資の集積場として、オリエント文明の経済の中心地ともなりました。




ニーチェの「永劫回帰」

2024-03-19 12:21:00 | 西洋哲学

【永劫回帰】 

 ニーチェ哲学の中核であり、その大前提となる思想が永劫回帰でした。永劫回帰とは、全てのものが生成し、永遠の円環運動を営むことです。その全過程は、まったく同じ順序に従っています。ニーチェは、この世界には、始めと終わりがないとしました。世界は、何もないところから、突然生まれたわけではないとしています。原因もないのに、何が起こることはないからです。 また、この世界が生成し終えて、無という完成された状態にならないとしました。もし、そのような状態があるなら、それは、すでに達成されていたはずであり、また、そうなる理由や根拠もないからです。そのため、あるのは永遠の繰り返しだけだとしました。

 【時間と瞬間】 

 この世界は、無限回の反復のうちにあります。反復するのは、世界が、無際限に新しいものを創造することも出来ないからです。そのため、世界は、永遠に同じことを繰り返しているのだとしました。ニーチェは、それを目的を持たない、赤子の戯れに例えています。

 永遠回帰では、時間は直線的ではありません。あるのは、それぞれの瞬間の配置だけだからです。その配置は、各瞬間の相互の位置関係によって決まっています。我々が体験しているのは、ある特定の瞬間だけです。それぞれの瞬間は、永劫回帰全体の特定の位置にすぎません。全ての瞬間は、すでに無限回達成されてきました。「未来」「過去」「現在」は、絶対的のものではなく、事物の総体的歩みの位置でしかありません。

 【関係性と連続】 

 多様に見えるこの世界も、一つの連続した全体的生成だとされています。それらは、相互に連携していました。一つの結合関係は、全ての結合関係の条件となっており、それぞれは、相互の関係性によって、制約されています。その中で、孤立しているものは何もありません。それらは、常に全体として動いているからです。世界の全過程は、正確で間違うことがありません。そのため、世界で起こる出来事は、いつでも同じになります。 

 【権力への意志】

 世界の生成は、一定量の有限な力です。ニーチェは、それを「権力への意志」と名付けました。権力への意志は、物理学のエネルギーのようなものです。その全体は、恒常不変で、減りもしなければ、増えもしませんでした。相互に変換はされても、その全体量は、常に保存されています。権力への意志は、静止することがありません。ニーチェは、権力への意志は、一つの全体であり、世界は、それ以外の何者でもないとしました。世界には、一つの総体的な性格があります。権力への意志は、永遠に渡って、ただ一つのこの世界だけを生成し続けてきました。 

 【運命愛】 

 永劫回帰では、運命が決まっていることになります。何者も、その運命からは、逃れることは出来ません。我々も生成の全連鎖の一つであり、その条件になっているからです。同じ出来事が、無限に繰り返えされているとするならば、そこに救いというものがありません。そのため、永劫回帰は、実に重い思想だとされています。それを告知するのが超人です。超人は、運命が既に決まっているものだとしても、それを愛せよと説きました。それを運命愛と言います。


ニーチェの「ルサンチマン」

2024-03-18 09:59:00 | 西洋哲学

【ルサンチマン】 

 ルサンチマンとは、フランス語で「怨念感情」や「反感」という意味です。ニーチェは、ルサンチマンを社会的弱者が抱く、支配者に対する復讐心だとしました。ルサンチマンは、高貴なものを引きずり下ろそうとします。ニーチェは、それを弱者の復讐心だとました。大多数の人間は、一般大衆であり、社会においては、支配される弱い立場にあります。ニーチェは、ルサンチマンが、その大衆たちの精神世界で、一つの敵対運動として働いたとしました。それは、想像上の復讐にとどまり、実際に行動するわけではないとされています。

 【価値の転倒】 

 ルサンチマンは、一般大衆の中で、創造的となり、価値を生み出すようになりました。人間は、自己保存の本能として、不幸に耐えるための手段を考え出すものです。そこで、これまでの価値観を根本的に転倒しようとしました。ルサンチマンは、高貴なものに対する一種の抵抗だとされています。例えば、古代ローマ時代の支配者は、ローマ人たちでした。ローマ人にとって「善い」とは、強くて優秀なことだったとされています。しかし、大衆が力を持つようになってからは、それが変わってきました。大衆によって、報復しない無力さが「善さ」に、臆病さが「謙虚さ」に変えられたとされています。そうした価値観を持っていたのは「キリスト教徒」でした。また、キリスト教には「同情」「平等」「博愛」と言う価値観もあります。ニーチェは、それを弱者が自分を正当化するために復讐心から生み出したものだとしました。

 【キリスト教】 

 古代ローマ時代、大衆が力をつけた背景には、キリスト教の影響があったとされています。キリスト教とは、もともとユダヤ教から派生したものです。ローマ帝国時代、異民族のユダヤ人たちは、支配される側の人間でした。そのユダヤ人たちが信仰していたのがユダヤ教です。ニーチェは、そのユダヤ人たちが、ある種のルサンチマンを持っていたと考えました。キリスト教では、柔和で善良な弱者だけが、神によって救われると信じられています。しかし、ニーチェは、そうした考え方が、ルサンチマンから生まれたのではないかとしました。キリストでは、神に従う善良で従順な人間が「善い」とされます。しかし、それは支配者側のローマ人に対する反対運動にすぎないとしとしました。

 【奴隷道徳】 

 キリスト教は、一般平民の道徳です。そのため、貴族的ではありません。キリスト教では、人間は、神の前で全て平等だとされています。しかし、現実社会の人間は平等ではありませんでした。その矛盾を解決するために作り出されたのが、精神的なもう一つの世界である「天国」だとされています。キリスト教は、肉体「生命」的なものより、精神的なものを重視しました。そのため、現世に対して否定的だとされています。キリスト教徒は、たとえ、現世では支配されていても、精神の世界では優位に立とうとしました。その精神の世界では、民衆が勝利をおさめたとされています。ニーチェは、それを道徳上の一揆と名づけました。その結果生まれのが、キリスト教や民主主義だとされています。

 また、キリスト教は、きわめて禁欲的です。そのため、人間の本能的な部分に否定的だとされています。ニーチェは、それを反自然的だとしました。そもそも、自然というものは、道徳とは関係がありません。ニーチェは、人間の道徳化というのは、健全な生命に対する病気のようなものだと考えました。 



ニーチェの「運命愛」について

2024-03-16 21:21:00 | 西洋哲学

【運命愛】

 運命愛とは、たとえ運命が初めから決まっているものだとしても、別のあり方を望まないことです。もし運命が既に決まっているものだとしたら、人生の選択肢というものはありません。たとえどんな選択をしても、結果が同じになるからです。ニーチェは、世界が永遠に同じことの繰り返しだと考えていました。それを「永遠回帰」と言います。永遠回帰の世界では、決して運命に逆らうことが出来きません。そのため、ニーチェは、世界をニヒリズム的だとしました。ニヒリズムとは、目的がないという意味です。しかし、運命愛では、それをそのまま肯定する立場をとります。なぜなら、運命愛とは、たとえ人生が永遠に同じものだったとしても、それにも関わらず「これが生だったか、よしもう一度」と考えることだからです。ニーチェは、それこそ哲学者が到達しうる最高の状態だとしました。運命愛とは、たとえ、運命が決まったものであったとしても、あえて創造的に生きていこうとすることです。ニーチェは、それこそ、存在との大いなる和解であり、自己を超克することだしました。

 【永劫回帰】 

 永遠回帰とは、永遠に円運動を反復することです。そこに目的はありません。しかし、運命愛では、あえてそれを欲します。円運動には、過程しかありません。その一瞬一瞬は、無限回達成されています。各瞬間は、相関関係にある特定の位置でしかありません。永遠回帰で生起する全行程は、常に同じ順序に従っています。また、その行程は、経過し終えることがなく、究極の完成状態というものを持ちません。もしそれがあるのなら、既にその状態は達成されていたはずだからです。ニーチェは、世界には、無際限に新しいものを創る力もないとしています。そのため、永遠に同じものを創らざるを得ないのだとしました。また、存在しているのは、ただ一つのだけのこの世界だとしています。 その総体的歩みには、何一つ孤立しているものがありません。

 【力への意志】 

 ニーチェは、この世界の実体をエネルギーのようなものだと考えました。物理学のエネルギーは、いろいろ姿を変えても、その全体の量は恒常不変です。それをエネルギー保存の法則と言います。ニーチェは、このエネルギーを「力への意志」という言葉に置き換えました。力への意志は、疲れを知らない力だとされています。それは、凝固停滞することがない変化の形成力です。その力の量は、固定しており、常に一定の量が協働で作用しています。力への意志には、起源がありません。それは、初めも終わりもない一つの巨大な力だとされています。ニーチェは、この世界は、それ以外の何ものでもないとしました。

 【ディオニュソス】 

 力への意志は、踊り戯れながら永遠に世界を創造するものだとされています。ニーチェは、それを古代ギリシャの神ディオニュソスに喩えました。ディオニュソスは、舞踏と酒神です。酒神として、陶酔による忘我のうちに根源的な全一者と合一する神だとされています。ディオニュソスは、自身自身も人間となり、個体化の苦悩を体験する神でした。人間というものは、個体化によって束縛されています。それを解放する者が、ディオニュソスでした。ディオニュソスは、死んで蘇る神です。そのため、永遠に破壊と再生を繰り返しているとされています。ディオニュソスだけは、変転する世界にあっても、変わることがありませんでした。ニーチェは、世界の無尽蔵な創造力を「生」に喩えました。ディオニュソスとは、その生の象徴です。