【エピステーメ】
エピステーメとは「知の枠組み」のことです。知の枠組みは「解釈の格子」とも言います。知とは「認識」や「解釈」のことです。エピステーメは「総合知」とも言います。総合とは、それが大きなものの捉え方だからです。エピステーメによって、人々の「ものの見方」が規定されます。ものの見方とは、世界の分類の仕方のことです。エピステーメは、それを押し付けてきます。それは、ある特定の解釈です。
エピステーメによって、人々の思考様式は、ある一方向に固定化されます。しかし、人間は、ある程度固定化しないと、何も認識することが出来きません。自分だけの判断ではなく、ある一定の枠組みによって、世界を認識しているからです。エピステーメは、それ以外の見方を隠蔽し、ある特定のものの見方を強制します。
【時代と文化の基底にあるもの】
エピステーメとは、知のパターンです。それは、時代とともに変化してきました。そのため、エピステーメは、時代ごとに異なります。例えるなら、それは「時代精神」のようなものです。エピステーメは、その時代特有の「雰囲気」や「空気」のように存在しています。それは、特定の時代と文化にただ1つだけです。 文化が違えば、エピステーメも違ってきます。エピステーメは、特定の文化全体の基底にあるものです。同じ文化共同体に属する者には、共通の思考様式があります。それを決めているのがエピステーメです。人間は、自分が属する文化のエピステーメと共に生きてきました。そして、それとともに運命をともにします。
【言説】
エピステーメは、ディスクール「言説」を編成します。言説とは「言語表現の総体」のことです。それは、特定の時代と空間の文化に内在しています。言説は、人々の会話を可能にするものです。それがあることによって、同じ言語共同体に属している者同士では、会話が成立します。エピステーメは、その言説に秩序与えるものです。それによって、人々に「世界観」を与えています。世界の見え方は、全ての人が同じではありません。エピステーメが違えば、世界の見え方が異なるからです。
【学問】
エピステーメは、総合的な知識のあり方です 。通常、個々の学問は「物理学」や「生物学」などに細分化されています。エピステーメは、学問が、それぞの分野に分かれる以前に存在しているものです。個々の学問を横糸で結ぶ基本的な「土台」として存在しています。エピステーメは、知「学問など」の全体系です。それは、あらゆる知を可能にする「成立条件」になっています。このエピステーメがなければ、どんな学問も成立しません。
【権力】
エピステーメは、社会を支配している「枠組み」です。それは「ものの見方」を提供し、社会の諸制度に浸透しています。エピステーメを形成するのは「権力」の側です。権力は、枠組みを押し付けることによって、人々の行動を制約しています。近代は、人々を「規律」に従うように「訓練」し「規格化」してきました。その規格化によって生まれたのが「普通」や「常識」と言う概念です。普通という概念によって、その規格から外れた人間は、生きづらくなりました。