みなさんこんにちは
皆さんは『人の目が気になる』ことってありませんか?
そう思うのならあなたの勘違い。
無理して人の目を気にする必要はありません。
この世間の目を親から教えこまれた人はいるのではないでしょうか?
【世間の目とは?】
辞書に乗っていたものでは
『世の中。社会。人々の間』
という意味になっています。
知っている人・知らない人の集合体。
それが世間です。
知っている人はいいとして、知らない人まで気にするのって
正直生きづらくないですか?
うちの親も人の目を気にする人で、
『周りから見て恥ずかしくない?』と教えられてきました。
自分はそれに反対です。
その理由をある出来事とともに解説します。
①『周り』というのは幻想
②誰からも好まれたいの?
③おかしくてもいつもどおり
【①『周り』というのは幻想】
第一に周りというのは幻想です。
あなたが『周り』と呼ぶのはほとんどあなたに無関心の人ばかり。
あなたがちょっとおかしいことしても気に留めない人ばかりです。
忙しい社会人が、おかしい人をいちいち記憶するエネルギーなんてないのです。
覚えていたとして、いつか忘れてしまいます。
例えば、1〜2年前にあなたは電車に乗っていたおかしい人を見つけたとします。
その人の顔の特徴、服、髪型、どこにいたか…それらの情報を全て記憶していますか?
おそらく極度の『変人マニア』でない限り
覚えていないはずです。
記憶は、自分にとって無関係のものは処理するようにできていません。
自動車で走ったときの、景色の細かい部分は見れない。
それと同じように、おかしい人をいちいち
記憶するようにはできていないのです。
『周りから見られたい』とファッションを勉強しても、周りは気に留めないのです。
【②誰からも好まれたいの?】
人の目を気にする理由、それはあなたは世間から悪い目で見られたくない?
その理由で通じるなら、誰にでも知られているような人でも嫌われています。
(かの有名な『ヒカキンさん』だってアンチがいるくらいですから)
職場で自分を嫌っている人が一定数いるにも関わらず
世間では嫌われないように努力している
小さなコミュニティーでも無理なことを、世間に対しては求めている。
そこまで世間に溶け込んで、あなたは何を得たいのでしょう?
学校を思い浮かべてみましょう。
学校では一学年に大体300人いるとしましょう。
その生徒たちが同じ給食を食べて
『美味しい』という人がいる。
『まずい』という人もいる。
同じものを出されても感想は人それぞれ。
300人全員が同じ感想でしょうか?
あなたの信じている『世間の考え』とは
人が集まってできた考え。
だから『みんなから嫌われる』というのは
幻想に過ぎないのです。
【③おかしくてもいつもどおり】
ここからは自分の経験則による考えです。
自分は人から見られるようなことを、たくさんやってきました。
しかし、どれだけおかしいことをやっても
友達はいつも会ったら話しかけてくれるし
いつも一緒のメンバーは歓迎してくれる。
おかしいことをやっても、いつもどおりの日常。
確かにおかしいこと、違ったことをやったときの人の目は気になります。
誰だって抵抗はある。
しかし、よほどネットに映る迷惑行為や犯罪
行為をしなければ、大丈夫ですよ。
おかしいことをやった後、同じ電車に乗っても、相手は知らない顔をしている。
つまりあなたは見られていない。
かなりきつい口調で話しましたが、世間からの目を気にしなければかなり楽になるはずです。
その状態を目指してみませんか?
【④まとめ】
いかがだったでしょうか?
人の目を気にしなければかなり楽になります。
あなたは誰も見ていない。
幻想にとらわれず堂々と生きてください。
Twitterのほうでも、ノーレッジ・ホームズとして活動しているのでぜひ遊びに来てください。
本日も最後まで見ていただきありがとうございます。
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