気の向くままに

卒寿過ぎた私の日々の行動と昔の思い出の掲載です。北海道日本ハムファイターズのファン~元祖東急セネタース時代から

思い出の中国旅行 その10(1993年2月5日~8日)

2022-02-23 10:18:13 | 旅行
今日は朝から晴天ですが、座骨神経痛の痛みは相変わらずありますが、午後から週1回の運動するリハビリのディサービスに行きます。その前に昔を思い出す中国旅行の旅を私のHPからブログに再編集しています。

実施時期 1993年2月5日~8日
旅行先  天津 北京

11名で天津甘栗のルーツ探訪?北京では慕田峪万里の長城、蘆溝橋を視察。

2月5日 
NH905便で10時30分成田空港離陸。現地時間13時50分に北京空港に着陸。中国国際旅行社天津分社の女性ガイド趙さんがにこやかにお出迎え。ニイハオもそこそこに専用バスで天津目指して出発。高速道路を東南へ約170㎞、快走する車内で趙さんの天津案内「渤海湾に面し首都北京の海の玄関と呼ばれる天津市は、北京、上海とともに中央直轄市で、行政、産業、交通上の重要な位置をしめている」などなど。天津の歴史・沿革からみどころまでの名ガイドが続くが、肝心の「天津甘栗」が登場しない。しびれを切らして質問に、怪訝な顔の趙さん答えて曰く「甘栗は天津名物ではありません。たぶん天津港から積み出したのでそう言われるでしょう」に一同がっくり。趙さんが「季節外れだがどこかにあります。探してみましょう」と慰める。さて夕食は和平区山東路の「狗不理」総店。天津名物はなんと甘栗ならぬ包子(饅頭)。犬も食わぬ意味の「狗不理」は百年前の初代店主の頑固さに親がつけた名をそのまま店名にしたとか。あたかも今夜は旧の十五夜とかで、団子なるぬ肉まん、餡まんなどの月見包子攻め。

天津テレビタワー
2月6日
 市内観光。2月の寒風に晒された水上公園内の動物園に人影なし。パンダの「寨々」君もごきげん斜め。次は隣の「天津廣播電視塔(テレビ塔)」へ。湖上に屹立する塔をエレベーターで昇り、14階の回転展望台から天津市内を眼下に一望する。午後は「南市食品街」へ執念の甘栗探し、3階建てのレストラン、喫茶店の店舗とおびただしい出店をくまなく探しても甘栗らしきものは皆無。ついでに横丁の露店を覗いたが万事休す。甘栗は日本で買うにしかず、と悟って一行は気を取り直して、天津が誇る絨毯の「天津地毯二廠」(天津第2絨毯工場)へ。ところがなんと土曜日で休業。日本並みの週休2日制?と肩を落とす面々に、それではと非番?の男女2名の工員さんがサービスの実演「謝々」と熱意に応えて売店でショッピング、絨毯はもっぱら目の保養。天津凧や年画などのお土産購入し、高速道路を北京に向けてUターン。
  
天津動物園                       

天津動物園のパンダ 
  
天津食品街前で

北京・夜の故宮

北京・京劇観賞 

2月7日 
北京は快晴。おなじみの「万里の長城」も今回は慕田峪へ。八達嶺に比べこちらは閑散。名物ロープウェイからの眺望も素晴らしいが、料金も25元から40元に大幅アップ。蒙古高原から吹き渡る冷風に首をすくめて退散。午後は「盧溝橋」参観。北京南西20㎞、永定河にかかる白い石橋はマルコ・ポーロが「東方見聞録」で世界で最も美しい橋と述べて有名。全長266,5㍍、アーチ型の孔11個、欄干140本、欄干に彫られた486個の獅子像が見事だ。日中全面戦争の発端となった盧溝橋事件の起きた所。忌まわしい過去は別にして、今は由緒ある観光地。
 

                           
慕田峪万里の長城
 
                            
 
蘆溝橋

2月8日 
午前中、王府井街など散策後、北京空港15時30分発NH906便で帰途につく。

王府井街
コメント
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