気の向くままに

卒寿過ぎた私の日々の行動と昔の思い出の掲載です。北海道日本ハムファイターズのファン~元祖東急セネタース時代から

思い出の中国旅行 その3(1985年8月8日~14日)

2022-02-10 11:24:20 | 旅行
霙交じりの雨の今日は、朝から炬燵に入って腰を温めています。座骨神経痛の痛みは立ち上がる時に柔らいた居る気がしています。
今回の中国旅行の思い出は私のOB会組織の仲間でツアーを組んでの第1回の中国旅行です。人集めは1978年1月に訪中をされた仲間が主体に参加者を募集しました。

訪問地 北京・西安・上海の旅

実施時期 1985年8月8日~14日

19名のお仲間で、日本からの添乗員と中国国内でのスルーガイドなし、北京のガイドは20歳の女性大学生・麻さん
8月8日
JL781便は午後1時過ぎ北京空港に到着。入国手続き完了。さて「通訳さんヤーイ」となる。何しろ日本からの添乗員同行無しの丸腰訪中団。紙切れの現地認識番号「Tー1394団」をめざとく見つけたのは何とうら若き女性通訳、外語大学日本語科4年生の麻さん。旅の疲れも無視され「行って見よう」とさきたてられ、早速バスに乗車。猛暑の中を一路天壇公園めざして快走。第1夜の宿は八達嶺万里の長城の麓の「天壽山飯店」およそホテルとはにつかぬ、珍しく純中国風の旅館だ。彼方に明の13陵が見える。

天壇公園                                   

八達嶺万里の長城近くにあった天壽山飯店

8月9日
八達嶺万里の長城、明の13陵の指定のコースを見学観光。中国、全世界的夏休みでどこも凄い人出だ。全世界の人種が汗だくでぞろぞろ歩く。夜は体育館演芸場で雑伎をみる。今夜と明日の宿は「友誼賓館」
  


万里の長城で

北京の雑伎

8月10日
頤和園、故宮、栄宝齋などを朝から汗を流しながら歩く。そして友誼商店で買い物。両替した兌換券を握ってここでも汗だくだ。夕食は名物「北京ダック」を600元(一人30元)払い特別にオーダーするも2皿提供されただけ、高い。生温かいビーチュウのせいか、オプション料金30元の割には感激もうすかった。
 
頤和園の石の船                      

天安門広場でガイド麻さんと(右の娘さん)

8月11日
次に見えるときは立派なガイドになっていると言われた「麻さん」と別れ、民航206便で西安へ。4発プロベラ機で2時間20分、13時着。
気温36度出迎えの中国国際旅行社西安分社の李さんと対面。炎暑の中を昼食のレストランへ直行「西安はその昔長安といわれ・・・」と早速、通訳氏の名調子。油と酒と煙草の臭いが渦巻くレストランの2階は外人専用で。クーラー抜きで天井にプロベラ扇風機がトロトロ回っている。乾杯のビールは「西安ビール」生温さを通り越して、まさに燗ビール。冷やしたのは無いの?に、怪訝な面持の通訳氏「我が中国にはビールを冷やして飲む習慣無し」とたっていうなら、と氷をどさっと投げ出された。デザートの西瓜も勿論あたたかかった。
昼食後、大雁塔から玄宗皇帝の気分で西安市内を眺め、興慶公園で阿倍仲麻呂を偲ぶ。今夜と明日の宿は西安を代表するホテル「鐘楼飯店」

西安・大雁塔で                   

大雁塔からの西安市内

8月12日
今世紀最大の発見と言われる秦の始皇帝の兵馬俑、華清池で楊貴妃の風呂場を覗いてにやにやし、碑林では碑石が1905基が林のようにあり驚く。夕食はスッポン、ウズラ、ウナギなどの料理を堪能。

西安・兵馬俑(この頃は兵馬俑全体は撮影禁止) 

西安・華清池

8月13日
朝早い西安発7時40分の便で上海に11時に着き、上海の通訳・付さんのお出迎え。付さんは日本の商社マンとのこと。一日中市内観光。上海展覧館、紅口公園、南京路、友誼商店で買い物。今夜の宿歴史のある「上海大履」部屋割りが同階で無く。3つの階に分かれてしまった。

蘇州河のジャンク
   
宿泊した上海大履よりガーデンブリッジ

8月14日
上海動物園を見学後、

上海動物園のパンダ
上海発JL792便13時30分で帰国の途につく。機内で落ちていたスポーツ新聞を回し読みして初めて御巣鷹山の日航機の大事故を機内の人が知る。17時10分成田着陸の時に拍手が起こり帰国。


コメント
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