世界の国からこんにちは♪

10年続くかなとおもった自分のブログ。 9年目にこちらにひっこしてきました。

坂本龍一さん

2020-02-02 19:32:12 | 音楽
なんだか坂本さんについてもっとわかってきた 笑

年取ってどんどん過去のこと忘れていく自分なのですが
「神奈川県民ホールで高橋悠二さんとエリックサティのピアノコンサートがただであった」ときに見に行きました。
ハワイアンみたいなシャツをきてひょこひょこ歩いてわざとあんな歩き方してるのかなと思いました。
*伊勢イオンのポスターで高橋さんの妹さんのあきさんのコンサートのポスターがあって思い出していました。
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https://ameblo.jp/atom2460/entry-12418266928.html より
坂本龍一は自伝『音楽は自由にする』で、自らの性格を「気が短い」としています。しかしその具体的なエピソードを明かしているわけではありません。すこしは触れてもよさそうなものなのに、若き日の黒歴史として封印したのでしょうか。ただ彼の記した他書には、自身の性格をあらわす振るまいなどが、いくつか散見されます。すこし、以下に紹介させてもらいます。

まずは「軽い」エピソードからです。

僕個人としては歯科医院などでかかっているリラクゼーションミュージックやヒーリング音楽がとても不愉快でストレスが増してしまうんです。ああいう音楽は流れていると、ガッと立ち上がって、ぱっと電源を抜きに行きたくなってしまう。歯医者さんだけでなく、ヨガとかマッサージとかでもちょっと東洋的だったりする安易な音楽がかかっていると、本当に電源抜きたくなっちゃうんです。

この程度のことなら、音楽家としてむしろ当然のことなのかもしれません。レベルの低い音楽に対する不満を、正直に吐露しているだけといえます。電源を抜くまでは、普通の人なら思わないはずですが、虫の居所が悪ければ、ありうる感情でしょう。

なお最近、これに類するニュースがネットにあがりました。坂本龍一が、ニューヨークのレストランで使われているBGMプレイリストを、自ら申し出て編集し直したというのです。その店は彼のお気に入りで、よく利用しているのですが、ある日、「BGMは誰がこれを選んでいるの? このひどい寄せ集めのミックスは誰の決定なの? 私にやらせて。あなたの料理は桂離宮と同じくらい素晴らしい。だが、BGMの音楽はトランプタワーのようなものだ」と、ノーギャラでやると提案したとのことです。そこまでやるかとは思いますが、ほほえましいエピソードといえます。

しかし、次からは笑えない話になります。2009年の『ユリイカ』という雑誌に載っていた、ミュージシャン大貫妙子が綴った一文です。彼女は坂本龍一とほぼ同年代の、音楽的な関係がきわめて深い間柄です。その親密さゆえでしょうか、他の人なら活字にできないような、龍一の若き日の人となりを、遠慮なく綴っています。

(二十代のころの)坂本さんはいつも何かを破壊したいという空気を纏っていて、それが内に向かう時もあれば、外に向いて噴火することも度々あった。レコーディング中であれ、コンサートのリハーサル中であれ、怒りが爆発すると、近くの物がすごい勢いで空中を飛んでいた。

同様の話を続けます。坂本龍一は自伝を出した3年後、2012年2月の月刊『文藝春秋』に寄稿しています。『坂本龍一60歳 還暦の悦楽』と題されたものですが、雑誌という気安さなのか、自伝という呪縛がないせいか、自身のかつての姿をありのままに語っています。


若いころの私は体力も自信も溢れんばかり。生意気で唯我独尊、傍若無人で傲岸不遜。今の私が会ったら「貴様、いい加減にしろ!」と、まず一発ぶん殴ってやりたいくらいの人間でした。

YMOで大ブレイクして、三十歳代半ばまでは、まさに人生の絶頂期。遅刻やすっぽかしもしょっちゅうでしたし、運転手が気に入らないとすぐに殴ったり蹴ったり、今思えばとんでもないことですし、私の理不尽な暴行に耐え切れず辞めていった運転手の人たちには申し訳ないと思っています。子供の頃、体格がよかったこともあって、力ずくで意思を通すことをあまりためらわない性格に育っていたんです。

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