江戸川教育文化センター

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PISA学力テストに翻弄されるフランス(2)

2024-01-04 | 随想
この他にもフランスにおける教育見直し案は存在する。
それは、制服制度の導入である。
これも口火を切ったのはマクロン大統領だ。
YouTubeのインタビュー番組で「制服復活」を示唆したというのだ。
さらに加えてガブリエル・アタル教育大臣もまた、学校での制服着用に「実験的な試みが必要だ」と発言したようだ。

フランスでは1800年代から1960年代後半まで一部の私立学校で制服が着用されていたが、あの60年代末の学生運動で「自由を奪うもの」だとして廃止になった歴史があるようだ。
その後も、大統領選挙の度に極右のルペン候補などが制服の導入を訴えたことがあったというが、ついぞ義務化されることはなかった。

今回の実験的導入も地域や学校に応じて、保護者と相談しながら決めるものであり国として一律に行うわけではないようだが、こうした動きが出てくる背景にはいくつかの根拠があるのだと思う。
あくまでも予想ではあるが、マクロン大統領が肯定的なのは夏休み短縮と同じよう経済格差による子どもたちの服装の違いを緩和させるためだと思う。

かつて日本でも同様な論議がされたこともあるが、金持ちが華美な服装をして貧乏人は質素な服装というふうなステレオタイプ化した見方は次第に崩れてきたように思う。
それより、日本で問題なのは制服購入の経費がかなりかかるということだ。
公立の中学校でも季節に合わせた制服や体操着は一式揃えると相当な金額になるというのは多くの人々が知っている。

ところがフランスのある世論調査では保護者の60%あまりが制服に賛成しているというのだ。
これは、「いじめを和らげる」「格差社会をなくす」効果が期待できるとする考えからきているという。

さらに制服という所まで決めなくても「Tシャツとジーンズ」で統一してはどうだろうかという議論もあり、マクロン氏もほぼ同様な考えを抱いたという。
実際にパリ18区の私立学校で昨年9月に「Tシャツとズボン」という一律の服装を求めたことが話題になった。

ところが、スカートやワンピースを禁じられた女子やサッカーのユニフォームが認められない男子は反発しているというニュースもあった。

自由と多様性が定着したような国にあって、今さら何かを統一させることには大きな反発があるに違いない。
しかし、制服導入という考え方は、そうすることであまりにも自由が奔放となった世の風潮を是正すべく出されたものとも考えられる。
少々穿った見方をするなら、学ぶ自由を放置したから学力が低下したのであって、それを制限したり自重させることにより学業に専念させ学力を向上させるという考え方なのではないだろうか。

PISA学力テストで毎回上位を占めるアジアの国々では、制服に限らずかなり多くの部分まで学生たちの自由は束縛されているのが現実である。
これを真似るとなると、フランスにとっては文化大革命規模の変化が必要となるだろう。

ここまで考察すると制服による学力向上はまず無理だと言わざるを得ない。
残すは夏休みを中心とする休みをどうするかという件である。
要するに日本の学校でよく言われる授業日数の確保に向かうことになるだろう。
これは重複するが、週の中日の休日を止めるのが現実的かもしれない。
現に中学生になった私の孫は、今年度から水曜日は午前中だけ授業が行われるようになった。
小学校の時は水曜休みで学校週4日制であったが、中学になりようやく半ドンながらも水曜日が授業日となり週5日制になったわけだ。
しかし、地域によっては中学も週4日制の学校が少なくないようだ。

フランスの学校は日本のように学校行事がほとんどなく、登校日は基本的に学業に専念できるが、時には美術館や博物館や劇場やスポーツ施設等に出掛けることもある。
それも時間をかけ余裕を持って活動するが、美術や音楽や体育の学習と考えれば良いのかもしれない。
これがけっこう本格的なので、それを契機でその道に入っていく子もいるのではないだろうか。

こうしたフランスの学校の教育内容は既に定着しているように見える。
いくら学力トップのシンガポールのメソッドを採用しようと、気質の異なるフランス人に適合するかは分からない。
因みにシンガポールでは現在、小学校6年間だけが義務教育で中学進学時に受ける試験でその後の進路が決まるようだ。
つまり、小学校の卒業試験のようなもので、約6割程度が上級学校進学コースに進学して残りの4割が技術系や芸術系の中学校へ進学するようである。

また、バイリンガル教育も特色の一つとしてあげられる。
イギリスを旧宗主国とするため、英語を基本としてもう一つはその人間の母語であるマレー語、中国語、タミル語を学ぶそうだ。
歴史が残した文化とも言えよう。

そんなシンガポールの教育システムも今後大きく変わっていくように報じられているが、それはある意味で当然かも知れない。
そんなことから考えても、昨今のフランス教育界の困惑ぶりは少々滑稽な気がしないでもない。

私、個人的にはフランスの持つ教育の良さをあらためて見つめ直し、より学習者の意を汲んだ内容にシステムを変えていく方向しかないように思えるが、果たしてどうだろうか…。



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