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嘯くセリフも白々しい

主に、「バックパッカー」スタイルの旅行情報を体験記のかたちで書いています。少しでもお役に立てば嬉しく思います。

成田~仁川 韓国旅行4

2011年09月27日 | 韓国旅行(2011年9月)

2011年9月5日

 イースター航空のチケットを買ったら、メールで最終確認書が送られてきた。それをプリントアウトして当日カウンターに示せとあり、場所が書いてある。成田の第2ターミナルで「S アイランド 6~8番カウンター」とのことだが、行ってみてなるほど、これが格安航空会社の扱いかと思った。見事にフロアのいちばん端っこである。私は成田を何回も使っているが、今まで一度も来たことがない場所だった。

 メールには「チェックイン時のご注意事項」として、「受託手荷物はお1人様15Kgまでは無料。機内持込手荷物はお1人様7Kgまでとなります。」とある。私は荷物を預けない人間なので15キロはどうでもいいが、7キロには敏感だった。体重計などを持っていないから可能な限り荷物を減らして、それでもオーバーしていた場合は諦めるしかない。
 カウンターの前で作った列が進んでいくうち、チェックインしてしまう前に荷物の重さや大きさを確認できる器具がある所へ来た。だが載せてみたら6キロに満たなかったので、拍子抜けしてしまった。ガイドブックを手に持ち、スウェットなど重い服は身につけるなどの工夫をする覚悟だったが。しかもカウンターでは手荷物の重さなどまったく気にしていない雰囲気で、訊いてみたら見た目で判断し、超過の可能性がある場合のみ実際に計るとのことだった。

 搭乗ゲートもいちばん端っこだった。機内へ乗り込むと乗務員が出迎えるが、韓国人のみのようである。座席は狭い。機内誌が一応あるものの、日本語はおろか英語の併記もほとんどないので主に写真を眺めるしかない。さらに音楽やビデオの設備がないので、機内へ入って初めて得られる娯楽はほぼ皆無といっていいだろう。無料のサービスは紙コップ入りの水かジュースのみで、ほかはすべて有料。各種ソフトドリンク、ビール、インスタントのラーメンやビビンバ、毛布などがあった。

 仁川(インチョン)空港の構造を知らないので、着いた時も端っこのゲートを使ったかどうか定かではないが、入国審査の場所までかなり長く歩いた気がする。


旅行の韓国語 韓国旅行3

2011年09月26日 | 韓国旅行(2011年9月)
 今回の旅行では、言葉の準備に関してほぼ完全に失敗した。
 詳しくは各行程での記述に譲るが、特に入国初期において現地でのやりとりに苦労した。それは主に、数字を憶えていかなかったためであった。たとえば、宿代に関する会話である。出発前にネット上で各種の情報を調べた時点で、自分がよく接することになるであろう金額は容易に想像できたはずだった。それは大体15,000ウォンから40,000ウォンまでの、5,000ウォン刻みの値段である。しかし私はこれらの数字について、事前に憶えていくことを怠った。そのため実際の交渉でもたつき、現地のひとびとを困惑させ、挙句の果てには価格交渉ができるようになるまで結構な時間を費やしたのである。
 こうした失敗の原因は何か。
 それは主として、今までの20年間で約5回この国を訪れ、ほとんど言葉で苦労しなかったことが挙げられる。過去の訪問はいずれも今回のような、「バックパッカー」スタイルの旅行ではなかった。カネをふんだんに使うことを自分に許し、日本語や英語を話す従業員がいる場所へ出入りするような旅行だったのである。しかし今回はそういう種類のものではない。外国語をほとんど解さず、場合によっては私がそのひとの会う初めての外国人になるかもしれない、そんなひとびとの只中へ飛び込んでいく種類の旅行である。こうしたことを忘れ、今までと同じ行動でも何とかなるだろうとタカをくくっていたのだった。

 ところで、『ディープ・コリア』において根本敬は、次のような漫画を描いている。
 「会話本の活字通り、キチンと云っても通じない・・・そんな時は」と書かれた最初のコマで、スーツを着てネクタイを締め、髪型は七三分け、眼鏡をかけた端正な紳士が、店のばあちゃんに「オルマイムニカ?(幾らですか)」と商品の値段を訊いている。だが彼女は「んが?」と要領を得ない。しかし次のコマで同じ紳士が、スーツもネクタイも髪型もヨレヨレ、眼鏡は曲がり無精ヒゲを生やして「オゥマイイングアァ」と尋ねると、ばあちゃんは「あー300ウォン」と明確に答え、「と、ゆう具合に少しダラシなくいいかげんにモゴモゴやるとよい」と書かれているのだった。
 また、「会話のミニ知識」と題されたこういう漫画もある。
 「タクシーなどで駅へ行く時、運ちゃんに『ヨク(駅)』といってもなかなかつうじない。そんな時は」として、客に「えあ?」と問い返す運転手が登場し、次のコマでは「街で、好感を持つ知人に出会った時、声をかけるよう『ヨッ!』と元気よく云ってみよう」とあり、そのとおりに言われた運転手が今度は「OK」と応じ、ハンドルを握りしめ前方を見据える様子が描かれている。
 今回の旅行で、私はこのふたつを混ぜたような経験を何回かした。
 値段を訊く際によく使ったのは「オルマイエヨ」だった。しかしこの言葉を、自分にとってごく普通に話しても通じないのだ。相手は「んが?」とか「えあ?」とか漫画と同じ反応をするので、そのたびに笑いを堪えるのに苦労したり、あー本当にこう言うんだと感心したりした。そこで今度は「オルマエヨォオ?」と大きな声で、自分としてはかなり乱暴、かついい加減に発音すると、やっと答えが返ってくるのだった。そしてこんな話し方をされても、相手は特に気を悪くした風でもなければ、怯えたりもしていない。しかしだからといって、そうだその言い方でいいんだ、やっと会話が通じたなと安堵している雰囲気もない。それこそごく普通にしているのだった。
 ああそうか、これが、ここでの「ごく普通」なんだなと思った。

 ハングルについても少々触れる。この丸と棒を組み合わせた不思議な文字は、その憶えやすさからいえば世界でも一、二を争うのではないだろうか。作家の関川夏央は、さまざまな留保条件を書き添えながらも「朝鮮語の文字は、まったく合理的な法則で構成されているから読むのはたやすい。数時間ないし十数時間の学習でこと足りる」と述べている(「海峡をこえる前に」、『東京からきたナグネ』所収、筑摩書房、1987年)。
 ところが私はこの文字について、数字と同じく特別な用意を何もしなかった。解読する作業を毎日少しずつしているうちに、なんとか店の看板くらいは読めるようになった程度である。
 退屈な一般論ではあるが、ハングルなど読めなくても、この国で「バックパッカー」スタイルの旅行をすることは可能だ。それを補う会話能力はもちろん必要だが、その力がきわめて限定的であっても何ら問題はない。こうした事情は、東南アジアや中東を貧乏旅行する際と同じである。ラオ語やアラビア語の文字は読めなくても、口頭での簡単なやりとりができればいいわけだ。
 しかし、文字が読めるとより旅行しやすくなることもまた、ほかの国と事情は一緒である。この国で交通機関などの各種表示にアルファベットが併記されている確率は、決して高くはないように感じた。地方へ深く分け入れば分け入るほど、それが書かれる度合いはより低くなる。ソウルや釜山(プサン)のみを訪れるのなら話は別だが、そうでなければハングルを読めるに越したことはないと思う。
 自分自身に関していえば、僅かでも解読能力を身につけたことは大いに役立った。私は常日頃からなるべく他人と接したくない種類の人間なのだが、外国を旅行中でもそれは同じである。ハングルを少々読めるようになったお蔭で、いちいち現地人へ尋ねることなく宿を探し、食堂で食いたいメシにありつき、街をうろうろすることができたのだった。

ガイドブック 韓国旅行2

2011年09月24日 | 韓国旅行(2011年9月)
 ガイドブックは迷わず「地球の歩き方」シリーズの『韓国』を選んだ。
 いわゆる「バックパッカー」スタイルの旅行をするのなら、「lonely planet」の『Korea』を使ったほうがいいと誰もが考えるだろう。しかし私には、そうできない理由があった。それは、過去20年間で5回ほどこの国を訪れているうちに、漢字による地名表記に慣れてしまったことである。ロンプラの中身を見たことがないので地名がどう書かれているのか知らないが、おそらくすべてアルファベットで、場合によってハングルが併記されているのだと思われる。「水原」「扶余」「大邱」といった表記に慣れ親しんできた身としては、その知識と経験を放棄し、改めて「Suwon」「Buyeo」「Daegu」などという記号を憶えることは、何かの罰ゲームとしか思えない。これらの地名はほかに類似するものがないようなのでまだ何とかなるかもしれないが、「光州」「公州」「広州」を「Gwanju」「Gongju」「Gwangju」へ読み替えることに慣れなくてはならないのなら、今すぐ韓国旅行などやめてしまってもいい。ロンプラを読む際にしかほとんど役に立たないそんなことへ労力を割き、旅行ではもっと実用性が高いハングルの解読能力向上が疎かになるとすれば、まさに本末転倒である。歩き方への不満が数限りなくあるのはもちろんだ。しかしロンプラを使う面倒臭さとの比較では、私にとって前者のほうが何十倍、何百倍も好ましい。

 もう1冊、ガイドブックではないが、今回の旅行をする際に何度も参照し、参考とした本を挙げる。それは「幻の名盤解放同盟」という団体が著した『定本 ディープ・コリア』(青林堂、1994年)である。この団体は、船橋英雄、湯浅学、根本敬の3氏により結成されている。
 各氏のうちで最も著名だと思われるのは根本敬だ。氏の名前と業績をご存じのひとなら、「特殊漫画家」を自称する彼が参加しているというだけで、この書籍がどんな種類のものなのか想像がつくと思う。内容を紹介するにあたり、ここでは多言を弄さず、この「特殊漫画家」が本の帯へ描いた漫画の文を引用する。
「大韓人に『日帝36年!!』――と、大上段にふりかざされると日本人は贖罪意識にかられ目の前が曇ってしまう。しかし、ふりかざした相手の下半身を見るとフリチンだったりするのだが大部分の日本人は見なかったり、見てないフリをしてしまう。が、積極的にフリチンに着目し、キン玉の皺から半島を語ったのが本書です」
 この本は1987年に、上記とは別の版元から最初のものが出ている。以来、2度出版社を変え、そのたびに増補されて辞書のように厚くなり、現在でも版を重ね続けているという。だが2回版元が変わっているといっても、出版社が潰れたり、絶版になって権利がほかの会社へ移ったということらしい。私が持っているのは2つめの出版社によるもので、「定本」とされている。3つめのは「豪定本」と銘打たれている由。
 「韓流」だの何だのと喧しい現在だが、彼の国に関しては20年以上前に、このような知見が存在していたのである。本書は「親韓」でもなければ「嫌韓」でもないと私は思う。いわゆる「韓流」が好きなひとは、この本を下品で気持ち悪いと嫌い、憎み、手に触れたり視界へ入ったりすることさえ避けるだろう。もっとも、そうした種類のひとたちはこの本に触れるようなチャネルをもたないだろうから、その存在さえ永遠に知ることがない可能性が大だ。一方で「嫌韓」のひとは、その内容に拍手喝采するかもしれない。
 しかし、いずれの態度もこの本とは無関係であろう。なぜなら、著者である同盟各氏の見識は、流行やナショナリズムから皮相的に影響を受けたものではないからだ。加えて、マスコミやインターネットなど、各種メディアを通じてのみ形作られたものでもないからである。
 本書には、彼らが何度も玄界灘を越え、実に多くの韓国人へ接してきたことが書かれている。旅行者として宿や交通機関の関係者、各種の客引きに会っているのはもちろんのこと、在日韓国人、ミュージシャン、在米実業家、道端では市井のひとびとに数限りなく接してきたようだ。
 そして彼らはまた、実に多くの場所を訪れている。観光地として有名な都市はいうまでもなく、順天(スンチョン)、清州(チョンジュ)、霊光(ヨングァン)などという、そんな所にいったい何があるんだというような場所へまで行っている。まあ実際何もなかったらしいが。そうして同盟は、その経験を通じて、また自らの知見に磨きをかけてきたらしいのである。
 私は、本書から多大な影響を受けている。よって、このブログを読む方々は、私がことあるごとにこの書籍へ参照した記述をするのに耐えなければならない。

ルート設定、航空券を手配 韓国旅行1

2011年09月23日 | 韓国旅行(2011年9月)
 ふと思い立って昔のパスポートを押入れから引っ張り出し、眺めていたら、初めて韓国を訪れてから今年で20年めということに気付いた。その間5回くらいこの国へ渡っているが、ソウル、釜山(プサン)、慶州(キョンジュ)という3つのメジャーな街にしか行っていない。ここはひとつ、ほかの地方都市を訪れてみようと思った。

 地方行政区分でいちばん大きいのは道(ド)という単位である。これと並ぶ区分に特別市と広域市というものがあり、これらはひとつの都市でも道に匹敵するらしい。だが、旅行ルートを考えるにあたってはこのことを気にせず、それを取り囲む道に含めて考えた。そうして、以下の条件を満たすやり方を検討した。
・なるべく多くの道へ行く
・過去に訪れた都市は省く
・国を一周する
 忠清道(チュンチョンド)、全羅道(チョルラド)、慶尚道(キョンサンド)にはそれぞれ南北の道があるが、どちらかを訪れればよしとした。
 しかし計画は一応立てたものの、行きと帰りの航空便以外、宿や交通機関の予約は一切行なわなかった。途中で気が変わるかもしれないし、台風シーズンなので現地の状況が変化するかもしれなかったからである。

 今回の旅行で私は初めて、格安航空会社、英語ではLow-cost carrier、略してLCCと称されるものの飛行機に乗った。
 イースター航空という会社が成田と仁川(インチョン)を結んで毎日、往復1便ずつ飛ばしていた。帰りの成田へ行く便は仁川を朝の8時40分とやや早い出発だが、行きの仁川へ向かう便は昼間に運行され、到着は14時50分である。私はかつてソウルへ夜に着き、帰りは午前中に現地を発つ航空券を何回か買ったことがあり、それに比べればずっとマシだ。
 ほかの航空会社では同じFIXのチケットでも、1週間のものと30日のものとでは大きく値段が異なったりする。しかしイースター航空ではこうした期間設定が存在せず、乗る便を自由に選ぶことができ、価格の違いは日付のみによっている。このことも自分にとっては好都合だった。
 だが値段に関しては、ネット上で何とおりかが存在し、少々戸惑った。skyscannerというフライト検索サイトでこの会社を知ったのだが、そこで表示される価格に釣られてリンクを辿りイースター航空のサイトへ行くと、はるかに高い金額が出てくる。さらにそのサイトでも、英語で調べると値段が違うかもと思っていろいろやってみると、もっと高いものが提示された。私の知識が足りなかったり検索方法が間違っていたりしたのだろうが、それ以上追及する気もなかったので、おとなしく日本語版のサイトが案内するとおりに従った。それでも他社より条件はいいし値段も安く、2011年9月5日~21日の往復で総額が約36,000円だった。ネット予約だがカード決済ではなく銀行振り込み。
 なお同社は日本語でイースタージェット、イースタージェット航空などと呼ばれるが、サイトではイースター航空となっていた。