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嘯くセリフも白々しい

主に、「バックパッカー」スタイルの旅行情報を体験記のかたちで書いています。少しでもお役に立てば嬉しく思います。

好きな言葉6

2012年10月03日 | 好きな言葉
がらすざいくのゆめでもいい あたへてくれと
うしなつたむすうののぞみのはかなさが
とげられたわづかなのぞみのむなしさが
あすののぞみもむなしからうと
ふえにひそんでうたつてゐるが

 大岡信による「水底吹笛 三月幻想詩」と題された詩の一節(『大岡信詩集 自選』所収、岩波書店、2004年)。だが私はこれに音楽を付けた、混声合唱組曲『方舟』(木下牧子作曲)の一部として好きなので、厳密にいえば「好きな言葉」ではなく「好きな曲」である。同組曲の第1曲「水底吹笛」が、この詩によっている。
 私はこの曲を聴く時、「とげられたわづかなのぞみのむなしさが」の部分でいつも泣く。遂げられた望みは、むなしい。そのとおりだと思う。私がこれまでに望んだり願ったりしたことの多くはかなえられなかったが、ほんの一部は手に入り、実現した。しかし、それらもいつかは空虚になる。望んで得た物はそのうちゴミとなり、愉快な気分や快楽が消えるのにさほど時間は掛からない。地位や名声、財産が永遠に続くという保証はどこにもないし、自分と自分以外の人間との関係は、どれほど長く続いても、必ず自分か相手のどちらかが死ぬという局面を迎える。
 だが、それでも私は、何かを望んだり願ったりするのをやめることができない。望みや願いの多くはかなえられず、遂げられたほんの一部もむなしい。そんなことは、十分に知っている。涙が出るほど、そのむなしさを理解している。それなのに私は、望んだり、願ったりするのをやめることができないのである。

好きな言葉5

2011年11月01日 | 好きな言葉
本には、ほかのひとが既に考えたことが書いてある

 誰の言葉なのかは忘れた。ひょっとすると、自分で考え出したのかもしれない。だが、気の利いたセリフをひねり出すような力が自分にあるとも思えないので、誰かの本で読んだ言葉であることはほぼ確実だろう。
 かつて読んだことのあるショーペンハウアーの著作中には、次のような言葉がある。
「読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。」(「思索」、『読書について 他二篇』所収、斎藤忍随訳、岩波文庫、1960年)
「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。」(「読書について」、同書所収)
 自分で考え出したとしても、こうした言葉に触発されてのことであるのは間違いないと思われる。
 最近は、読みたいと思う本がほとんどなくなってしまった。何百冊あったかわからない蔵書も、捨てたり売り払ったりしてどんどん処分し、今では繰り返し読んでいる100冊足らずになった。本に書いてあることは、他人が一度考えた内容ばかりである。そんなものを追い掛け回すより、自分の頭はどう考えるのか、自分の体はどう行動するのかに興味が向いてきたのだと思う。

好きな言葉4

2011年08月22日 | 好きな言葉
ひょっとすれば、あと何十年も生きられるのかもしれない、という希望。ただし、それはシラフでさえいれば、という括弧つきの希望だった。・・・煩雑でくだらないことの多い世界と正面からシラフで向き合うことになるのだ。

 中島らも『今夜、すべてのバーで』(講談社、1991年、原文では一部にルビあり)の一節だが、文意を明らかにするため途中を省略しつつ、少し長く引用した。私が好きなのは後半の部分である。
 私はもう何年も、アルコール依存症になる一歩手前のような状態で生活してきた。10か月以上にわたって一日も休まず酒を飲んだ時期もあったし、朝から焼酎に親しむことを休日における唯一の楽しみにしていた時もあった。飲酒が原因と思われる体の不調は何種類も経験し、そのうちのいくつかは今でも続いている。自覚症状のない病が進行中の可能性があることは、いうまでもない。
 なぜ、これほどまで酒を飲むのか。それは、「世間」とか「世の中」とかいわれるものと向き合う際、シラフではいられないからである。「飲まなきゃやってられない」「飲まずにいられない」などという言葉があるが、私の場合、「世間」や「世の中」で生きていくのは、まさにこの「飲まなきゃやってられない」「飲まずにいられない」ことなのだ。

好きな言葉3

2011年08月21日 | 好きな言葉
金がないのは首がないのと同じ

 近年、漫画家の西原理恵子が使って人々の目にとまる機会が多くなったこの言葉だが、歌舞伎『恋飛脚大和往来』に出てくるといい、その歴史は古いといえる。しかし、たぶんその作品が出典というわけではなく、それ以前からあった言い回しなのではないかと思う。
 私は、「金の切れ目が縁の切れ目」「貧すれば鈍す」など、金銭至上主義ともいうべき内容をもった言葉が大好きだ。そもそも、貨幣経済の只中で生きていれば、カネと無縁の生活をするのは不可能である。だが、ある種類のひとたちは、カネでは買えないものがある、と主張する。このひとたちは、「カネでは買えないもの」を手に入れるのにも、カネが必要だということに気付いていないか、気付いていながら目を背けている。誰しも、全裸で、飲まず食わずで、屋根がない場所で生活しながら、「カネでは買えないもの」を手に入れることはできないのに。

好きな言葉2

2011年08月20日 | 好きな言葉
余は正直に生まれた男である。然し社会に存在して怨まれずに世の中を渡ろうとすると、どうも嘘がつきたくなる。正直と社会生活が両立するに至れば嘘は直ちにやめる積りでいる。

 夏目漱石の短編「趣味の遺伝」にある言葉(『倫敦塔・幻影の盾』所収、新潮文庫、1968年改版、原文では一部にルビあり)。嘘について、独特の言い回しを使って、リズムよく、しかも簡潔に書いた部分である。
 私は嘘が大嫌いだ。一方で、私は今まで数限りなく嘘をついてきた。人と人との間で生きている以上、嘘をつくことは不可避だからである。しかし、それを理由に開き直ることはしない。必要に迫られて嘘をつくときは、嘘をつきながら、嘘と嘘をつく自分を心の底から嫌悪し、憎悪する。これまでそうしてきたし、これからもそうする。