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嘯くセリフも白々しい

主に、「バックパッカー」スタイルの旅行情報を体験記のかたちで書いています。少しでもお役に立てば嬉しく思います。

大邱~江陵 韓国旅行14

2011年10月11日 | 韓国旅行(2011年9月)
2011年9月17日~19日

 大邱(テグ)から江陵(カンヌン)を目指す当日である。まずは大邱の北部市外バスターミナルへ。行き方は、ツーリストインフォメーションの中年女性職員から教えられた方法に、忠実に従うこととした。部屋を出る際にテレビの画面で時刻を見ると、9時を少しまわったところだった。

 歩いて東大邱駅へ行き、インフォメーションの裏手にあるバス停へ。そこで708番へ乗るのだが、車両を待っている間に停留所の掲示を読んだ。パルタル市場(パルタルシジャン)という所で降りるので、そこまでにバス停がいくつあるのか数えておく。目当ての車両が来たので、1,200ウォンを払い乗り込んだ。

 通過する停留所を数えていったが、予定の数を超えても目的の場所に着かない。どうやら私が読んだ掲示には、屋根やベンチのあるような主だったバス停だけが書かれていたらしい。道端に標識だけ立っているような所がそれ以外にたくさんあって、そういう停留所は省かれていたようなのである。
 一方の車内では、韓国語と英語の両方でバス停に関するアナウンスが流れ、電光表示もあった。しかしどちらも何だか心許ない。車両が次の停留所へ向かっているタイミングと、音声や表示が同期しているのか疑わしいのだ。それに、同じアナウンスが2回流れたのでは、と思うようなこともあった。もちろん、自分の聞き取りや読み取りの能力不足という可能性は十分にある。それにしても、この街では少し前まで世界陸上が開催されていて、大勢の外国人が来ていたはずだが、こうした音声や表示に触れたひとはどう思ったのだろう。
 だが、停留所を数えるのが無駄だとわかった以上、車内の音声や表示が心許ないと思っても、ある程度それらを当てにするしかなかった。私はそれに加え、窓外の風景へいつも以上に目を凝らした。大仰ないい方だが、自分の身を最後に守るのは、やはり自分なのだった。

 どのくらいの時間乗っていたのか憶えていないが、かなり長くバスに揺られていた気がする。パルタル市場では乗り過ごさずに下車することができた。ここで乗り換えである。309、427、323-1の3種類が北部市外バスターミナルへ行くのだが、このうち427番がターミナルの中まで入る。その番号の車両をしばらく待ち、やって来たバスへ同じく1,200ウォンを払って乗り込む。

 この車両には、思ったより短い時間しか乗っていなかった。いくつか停留所を通過した後、車が道を外れ、何かの敷地らしい広い場所へ乗り入れて行った。周囲のひとたちはほぼ全員、降りる準備をしている。窓の外にターミナルらしい建物が見えた。ほかの乗客とともに降りて、建物に掲げられたハングルを見上げる。その文字列の先頭は「北部」と読めた。

 建物の中へ入って時計を見ると、10時ちょうどだった。宿を出てからバスターミナルへ着くまで1時間かかったことになる。インフォメーションでもらっていたタイムテーブルを見ると、10時出発の便があった。少し迷った。急げば乗れるのか、それともゆっくり次のバスを待つか。ターミナルの中は閑散としている。今日の江陵行きバスがすべて満席とは到底考えられないので、どの便を選んでも確実に乗れるだろう。10時のバスに乗れても乗れなくても、どっちでもいいやと思いながら、とりあえずチケット売場へ向かった。
 そこでは職員のおっさんがカウンターにもたれて、窓口のおねえちゃんと和やかに談笑していた。周囲に客はひとりもいない。ふたりの顔にも周りの空気にも、「暇」という文字が大書されているかの如くである。そこへ近づいて「アニョハセヨ(おはようございます)」と声をかけた。ふたりが会話をやめてこちらを見た。
 私は「江陵」と言った。
 その瞬間、ふたりの顔色が変わった。
 おっさんが何か呟きながら猛然とダッシュし、どこかへ消えた。私がおねえちゃんへ20,000ウォンを差し出すと、ほぼ同時にチケットが目の前に置かれた。彼女が発券の機械を操作した手の動きは、目で追えなかった。ふたりとも先ほどとはまるで別人である。おっさんが走り去った方向から、バスを呼び止めているらしい大声が聞こえた。ふたりの勢いにつられて私もチケットを引っ掴み、そちらへ向かって駆け出した。
 1台のバスが広場の真ん中へ止まり、今にも動き出しそうだ。それを指差しておっさんが何か言う。うなずきながら、そこを目指して地面を蹴った。走りながら、荷物を担いでこんなことをするのはいつ以来だろうと、頭の隅で考えた。
 乗り込んで、運転手へ「江陵?」と声をかけた。運転手はいいから早く座れという顔をして、ペルトがどうのこうのと2回言った。「シートベルトしてね。シートベルト」とでも言ったのだろう。
 バスは、私が席へ座らないうちに発車した。おっさんとおねえちゃん、有難うと心のなかで手を合わせた。

 バスは途中で1回トイレ休憩をとり、順調に江陵総合バスターミナルへ到着した。

 宿はターミナルのすぐ近くにしようと決めていた。
 私は江陵の街にはあまり用がなく、その周辺にあるいくつかの小さな街へ、ここから日帰りで行こうと考えていた。江陵ではターミナルより駅周辺のほうが、宿の選択肢は比較にならないほど多い。だがそこへ泊まったら、バスで周辺の街へ行くたびにターミナルとの間を往復することになり、それは億劫に思えた。駅とターミナルとの間の距離は歩けないほどではないが、そんな気になれない場合に市内バスを使ったりしたら、億劫なうえにカネもかかる。なので、ターミナルの近くに宿をとり、そこを拠点にして行動することにしたのだった。
 バスターミナルを出ると、すぐ近くにモーテルが数軒並んで建っているのが見える。旅行前に、このうちの1軒へ泊まった経験を書いてくれているひとのブログを読んでいた。そのひとは看板に椰子の絵があしらわれた、これら数軒のなかでいちばん建物が小さく安そうな所を選んでいた。私は、同じことをするのも芸がないと思い、その隣を試そうと考えた。ターミナルから見て、椰子のモーテルの右側である。

 40,000ウォンという宿代を提示されてぶったまげたが、建物が大きいし、新しいし、部屋の設備も良さそうだったので妥当な価格なのだろう。量産型ではない窓口のおばちゃんはいいひとで、35,000ウォンへの値下げを申し出てくれた。しかしこちらが提案した、3泊するから1泊30,000ウォンという金額には首を縦に振らない。ちょっと値切りすぎたかなとは思ったが、いったん出した要求を引っ込めることは不可能だ。とりあえず、この辺りの相場を何となく把握できただけでも収穫である。交渉はまとまらなかったが、何度も礼を言ってそこを後にした。

 私がその後どうしたかというと、結局、件の椰子のモーテル、その名もMOTEL BALLYへ35,000ウォンで泊まったのだった。ここでも最初40,000ウォンを提示されたが、値引きさせてこの値段となった。だが、窓口の上にある料金表には35,000ウォンと書かれている。この料金表の額と、実際の提示額、値引き後の額は相互にどう整合するのかと疑問に思ったが、もちろんそんなことは訊かなかった。面倒臭いし能力もないからである。
 部屋の設備は値段相応だと思う。それまでに泊まった宿のなかで最上級であり、居心地はいちばん良かった。

大邱 韓国旅行13

2011年10月09日 | 韓国旅行(2011年9月)

2011年9月15日

 前回の韓国旅行12に続いて話が前後し恐縮なのだが、大邱(テグ)でも次の目的地への行き方について、到着したその日のうちに調べておいた。その時のことを書く。

 東大邱高速バスターミナルへ着いてトンヤンジャンに部屋を確保すると、すぐに外出した。この街から江陵(カンヌン)へ行く方法を確認するためである。日本を出る前に調べた限りでは、今回の旅行で行なう移動のうち、これがいちばん情報がはっきりせず、また、難易度が高そうだった。

 大邱には高速と市外のバスターミナルが、それぞれ複数ある。行き先によりそれらを使い分ける必要があり、また、同じ行き先でもいくつかのターミナルから便が出ている場合があって、そのことを事前に知らないと、効率的に目的地を目指せない可能性があった。さらに、場所が街の中心から外れているターミナルもあるので、そこを使う場合は、市内バスや地下鉄でアクセスする方法を確認しておく必要もあるのだった。
 そもそも「東大邱高速バスターミナル」という名前からして、それは4つのバス会社が運営する、別々のターミナルを総称したものなのである。それらが近い場所にまとめて建っているので、便宜的にそう呼んでいるらしいのだ。次の目的地へ行く方法を調べる私の作業は、その4つを廻って、江陵行きの有無を確認することから始まった。

 旅行前にネットなどで調べたが、この行程に関する記述は極めて少なかった。こんなルートを採るひとがいないのだと思われ、それをあえてやろうとする私のようなもの好きは珍種旅行者に認定されることだろう。わかったのは、そのバスは北部市外バスターミナルから出ているらしいこと、宿からそのターミナルへ行くには、市内バスや地下鉄を乗り継がなくてはならないことだった。
 その情報どおり、東大邱高速バスターミナルには江陵行きがなかった。もし便があれば調べる作業をこれ以上する必要はないし、移動の当日もターミナルまで歩いて行けたのだが、やはりそう都合よくはいかない。正確かつ詳しい情報を得ようと、すぐ近くにある東大邱駅のツーリストインフォメーションへ向かう。
 駅の中でここかな、と思う場所を見つけたが、それは鉄道の案内所だった。いわゆる観光案内所は駅舎の外にあるとの由。短髪で背が高く屈強そうな、いかにも兵役上がりといった雰囲気の男性職員が英語で応対し、その近くまでわざわざ一緒に行ってくれた。

 駅を出てすぐの所に、インフォメーションの小さい建物はあった。声をかけながら入る。
 「アニョハセヨ(こんにちは)。Speak English or 日本語?」
 「両方ともできます。どちらがいいですか」
 頭の切れそうな中年女性職員が、挑戦的とも思える目つきをしながら日本語で問い返してきた。ちょっと気圧されながら、こちらの母語での会話を指定する。江陵へ行きたい旨を言うと、やや驚いた顔をした。やはりここから行くひとは少ないのだ。彼女はほかの若い女性職員へ次々に指示を出し、必要な情報をそろえてくれた。バスは北部市外バスターミナルから90分おきに出ていて、所要4時間、一般と優等の区別はなく料金は20,000ウォンとのことだった。
 「北部市外バスターミナルへはどうやって行きますか」
 「タクシーですね」
 中年女性職員はこう答え、その手段による具体的な行き方を説明しようとした。私はそれを遮って尋ねた。「タクシーではなく、別の方法はないですか」
 彼女は再び、驚いたようだった。
 「ではバスで」
 「はい。バスで行けますか」
 「一度乗り換えます」。こう言いながら彼女はカウンターの抽斗を開け、小さな紙を出した。市内バスで行くなんて外国人のあなたにできるかしら、という表情である。その紙は行き方が印刷された、あらかじめ用意されているものらしい。北部市外バスターミナルへどう行くかはよくある質問なのだろう。紙をこちらへ渡しながら訊いてきた。「韓国語、読めますか」
 「はい。少しだけ」
 彼女が、そこに記された内容の説明を始めた。よくある質問とはいっても、それを尋ねるのは韓国人ばかりのようだった。紙には、ハングルと数字しか書かれていなかったからである。


木浦~大邱 韓国旅行12

2011年10月07日 | 韓国旅行(2011年9月)
2011年9月15日、16日

 朝、ウミジャンを出て木浦(モッポ)駅へ行き、駅前の停留所で番号が1番、料金1,100ウォンの市内バスに乗り、市外バスターミナルへ行く。次の目的地は大邱(テグ)だが、木浦からの便はないようだった。いったん光州(クァンジュ)へ戻り、バスを乗り換えることになる。来た時と同じくそこへ帰る便も頻発しているし、同一の行程を逆に辿るだけなので気持ちに余裕がある。悠々と自動販売機の所へ行き、悠々と5,400ウォンを投入して切符を買う。だが便数が多いということは、それだけ利用者がいるということである。わけもなく悠然と構えているうちに、乗れるはずのバスが満席となってしまって、1便後らせるハメになった。
 私を乗せた車両は50分で光州へ着いた。

 話が前後するが、私は全州(チョンジュ)から光州へ到着した時に、ターミナルで大邱行きのバスについて調べておいた。その時のことを書く。
 大邱へ行くのは市外バスではなく高速バスである。専用のチケット売場へ行くと、心なしか市外のものより綺麗で偉そうに見えた。窓口の上に価格表が掲示され、大邱の所を見たら値段が3つも書いてある。何のことやらわからないが、秋夕(チュソク)で窓口が混雑しているため、そこで質問するわけにもいかない。旅客も職員も殺気立っているのに「金額いっぱいあるんですけどぉ、どぉしてですかぁ」などとのんびり訊いていたらボコボコにされかねない。もっとも、そんな質問をできる語彙も、回答を聞き取れる能力もないが。とりあえずガイドブックへそれらを書き写し、建物内のツーリストインフォメーションへ行った。
 アイドルを情けなくしたような、でも十分可愛い顔をした職員のおねえちゃんが、南アジア系らしい男性に英語で応対していた。男性が去り、私も英語で話しかけると、彼女は「日本語わかります」と使用言語をスイッチした。美貌のうえに3か国語を解する。才色兼備とはこのことだ。
 彼女によれば、価格が3種類あるのは一般、優等、深夜優等の違いという。一般が13,000ウォン、優等は19,000ウォン、深夜優等が20,900ウォン。タイムテーブルを見せてくれたが、本数は意外に多く、1時間に1本以上の割合で便があったと思う。だがそのほとんどが優等で、一般は朝、昼、夕方の一日3本、深夜便は1本だけだったと記憶している。
 私が乗りたいのはもちろん、優等より6,000ウォンも安い一般だ。その3本が出る時間をガイドブックへ控え、前日までにチケットを買ったほうがいいかおねえちゃんへ尋ねる。彼女は考えながら「今は韓国のお盆ですから」と言った。行くのは秋夕が終わってからですと言おうとしたが、気がつくと隣で次の質問者が待っている。ここまで聞ければ上等だ。礼を言ってカウンターを離れた。

 そして、大邱へ向かう当日となった。結局、チケットを買っておかないまま光州に滞在し、そこから木浦へ行き、また光州へ戻って来た。もう秋夕は終わっている。木浦のターミナルもそうだったが、ここでも旅客の数は決して少なくないものの、かなり減っていた。まあ何とかなるだろう。
 しかしこれは、一日限定3本のうちのたった1本に狙いを定め、そこで席をゲットできるかどうかの闘いだ。私が乗りたいのは12時40分発の便で、それを逃すと次は17時25分である。所要時間は3時間半ということなので、夕方の出発では到着が21時ごろになってしまう。宿探しのことを考えると避けたい事態であり、昼間の便で席が確保できなければ、優等へ乗ることを覚悟しなければならない。なので、チケットを買うにあたっては、これまでよりも周到に臨もうと考えた。すなわち、行き先を叫び、通じなければガイドブックのハングルを指すという大雑把なやり方ではなく、メモを書くのである。「大邱」と「一般」の文字をハングルで、時間と値段を数字で記して、窓口へ出すことにした。
 だが、もし既に満席になってしまっていて、虚しくメモが突き返されたらどうするか。そのときは潔く、6,000ウォンという巨費を上乗せして、優等へ乗ることを甘んじて受け入れよう。
 こうして準備し、挑んだ結果はというと、楽勝であった。拍子抜けするほど簡単に、希望する便のチケットが買えた。しかしだからといって、上記の準備が不要だったとは思わない。これほどスムーズに事が運ぶのなら、メモなど必要なかった、とは思えないのだ。むしろ、購入が円滑に成功したのは、こうした用意があったればこそだったと確信している。

 大邱行きの一般高速バスは私を乗せて走り、途中で1回のトイレ休憩をとって、順調に東大邱高速バスターミナルへ着いた。特記すべきことは何もない、といいたいところだが、私の席から少し離れた所に、音をたててガムを噛む若い女がいたのには閉口した。離れていても、くっちゃくっちゃ、くっちゃくっちゃが聞こえるのである。しかしまさか音をたてるなとは言えず、そんなことを気にしているのは神経質な自分だけのようなので、イヤホンで音楽を聞いて自衛するしかなかった。
 こうした経験から思うのは、乗り物にいくら高いカネをかけても、そばに不快な人間が座ったらその価値はないということである。ケータイで延々と喋る種類の人間、咳払いや咳をし続ける人間、やかましいガキとそれを注意しない保護者、舌先で歯をせせる音や、この女のように物を噛む音をたて続ける人間と、枚挙に暇がない。こうした各種の人間がそばへ座り、その種類が自分の癇に障るものであった場合、当人へ指摘するか、我慢するか、席を移動するかの、どれを選んでも不快な3択を強いられることは不可避である。私は、13,000ウォンで一般のチケットを手に入れられてよかったと、心の底から思った。6,000ウォン高い優等にすればこんな目に遭うことは避けられる、という保証はどこにもないからである。

 宿は、東大邱高速バスターミナルに近いトンヤンジャンにした。歩き方では地図に名前だけが載っている。私はここを、割安感という見地から絶賛する。
 ここの良い点は、まずなんといっても価格である。20,000ウォンという宿泊代は、宿に満足すればいい買い物をしたと達成感を得られ、不満足であってもこの値段ならこんなものかと諦めがつくという、絶妙な金額だ。もちろん私は、この安宿に抜群のコストパフォーマンスを感じた前者のタイプである。次に、標準的な安宿の設備がすべてそろっている。細かくみればさまざまな不具合が存在するだろうし、十分または不十分の感じ方には個人差があるが、少なくとも私にとって必要なものはすべてあった。熱湯の出る給水器は各階にあり、無料のスティックコーヒーが添えられていた。
 悪い点はまず、設備が古いことである。築何十年の建物なのだろう、階段には磨り減ってしまっている箇所すらあり、部屋も相当年季がはいっている。次に、繁華街にあり、高速バスターミナルへ隣接しているので騒音が聞こえる。私が泊まったのは週末だったせいか、外では酔客の声が一晩中していた。騒音を遮断するために窓を閉め、エアコンを使うひともいると思うが、これがまた年季がはいっていて凄い音を出す。掃除されていないフィルターの臭いも出す。私はそばでくっちゃくっちゃやられると癇に障るが、酔っ払いの声が外から聞こえるのは気にならないので、こうした問題には直面しなかったが。

 ところで、なぜかこのトンヤンジャンのテレビでは、いろいろな日本のアニメを見た。『クレヨンしんちゃん』は今回の旅行中、いつどこでテレビをつけてもやっている印象を受けたが、ここでは『あにゃまる探偵キルミンずぅ』や『涼宮ハルヒの憂鬱』の韓国語版など、ほかの宿ではお目にかかることのなかったアニメばかり見た。『ハルヒ』では古泉が「スミダ」と喋っていた。

光州~木浦 韓国旅行11

2011年10月06日 | 韓国旅行(2011年9月)
2011年9月13日、14日

 NHKの『気象通報』というラジオ番組をご存じだろうか。
 今日や明日の天気がどうなるかという「予報」ではない。アナウンサーが各地の気象データを淡々と読み上げていく、文字どおりの「通報」である。もちろん現在でも放送されているが、私にはガキのころ、この番組を聞いていた一時期があった。開始時刻になると、情報だけを伝えるために表情を消した独特な音声が、スピーカーから流れてくる。その内容を市販の天気図用紙へ記していき、手製の天気図を完成させては悦に入っていた。
 この番組で読み上げられる気象データには、日本周辺各国のものもある。韓国についてはソウルや釜山(プサン)などの情報が伝えられるのだが、そのなかに木浦(モッポ)もあった。当時の番組内では、鬱陵島(ウルルンド)は「うつりょうとう」、済州島(チェジュド)は「さいしゅうとう」と呼ばれていた。しかし木浦は、昔も今も「モッポ」なのだった。(なお、現在の番組では鬱陵島は「ウルルンとう」、済州島は「チェジュとう」と呼ばれている)
 私はそのころ、外国というものがあることは知っていても、それについて具体的なイメージも何ももたなかった。この番組で淡々と読み上げられていた内容は、今ではいろいろな国を訪れるようになった私が、最初に触れた外国の情報だったかもしれない。
 そうして触れた「モッポ」に、ぜひ行ってみたかった。

 光州(クァンジュ)からはバスが頻発している。秋夕(チュソク)で窓口が混んでいたため、チケットの自動販売機を使った。このころにはもうある程度ハングルへ慣れており、料金が5,400ウォンであることも光州へ着いた時に調べて知っていたので、自販機の前でまごつくようなことはなかった。この2都市間の所要時間は歩き方に最短で50分から1時間30分とあるが、ターミナルの掲示では推定50分と書かれ、実際には1時間で着いた。

 目当ての宿は木浦駅に近いモーテル街にあった。市外バスターミナルから駅へ行く市内バスについては、歩き方に番号がいくつか紹介されているが、私は行きも帰りもちょうど1番が来たのでそれに乗った。1,100ウォン。

 駅へ着き、その近くにあるモーテルが建ち並ぶ一角へ向かうと、さっそく15,000や20,000という看板を掲げた宿が目にはいった。安さは魅力だが、ほかを見てから選択肢へ入れるかどうか考えようと思って前を通り過ぎる。旅行者によるブログでは、KTモーテルという所がたびたび話題にのぼっていた。場所に言及してくれている書き込みを見つけられず、自分で探すしかなかったが、少し歩き回っただけであっけなく発見できた。しかし秋夕の影響からか、満室と言われてしまった。今回の旅行で宿泊を断ってきたのはここだけである。不思議なことにその後、いくらこのモーテル街を徘徊しても、二度とここを見つけることはできなかった。

 自力で宿探しをしようと決意し、先述の15,000などという表示を出す安宿が並ぶ場所の、1本裏手にある路地へ入った。あまり豪華そうではなく、だからといってみすぼらしくもない所を探す。目にとまったのは「ウミジャン」(Haean-ro 259beon-gil 41-2)という看板を掲げた建物だった。
 20,000ウォンを払って階段を上る。部屋はそれほど大きくないが、入ってまず目についたのは、大きな窓だった。これまで泊まったモーテルは窓が小さいか、窓のガラス自体は大きくても、開けられる箇所が極めて小さいかのどちらかだった。だがここは大きな窓ガラス全面が開けられ、最上階の角部屋なので日当たりもいい。周囲が民家だからか非常に静かで、離れた所にある林から蝉の鳴き声が聞こえた。おおっ、これは「当たり」の宿だったか、この値段にしては上出来だぜと思いながら部屋の中をさらに詳しく見た。

 すぐに、ぬか喜びだったことがわかった。
 ここは、不潔だったのだ。
 ベッドのシーツには髪の毛が付着し、何かのシミが残されていた。ゴミ箱の中身が片づけられておらず、コンドームの袋などが入ったままだ。シャワールームにも髪の毛があった。
 しかしだからといって、掃除がされていないのではないようだった。タオルが新しいものだったし、掛け布団は畳まれ、床には目立った汚れがなかった。
 こんな状況の部屋だったが、私は宿の人間へクレームを言わず、ここに泊まった。次の日も宿替えをせず、延泊を申し入れて合計2泊した。
 なぜ、そうしたか。
 大きな理由はふたつある。ひとつは「面倒臭いから」。もうひとつは「汚いのに慣れたから」だった。
 決して他人には勧めないし、自分が再び木浦を訪れることがあっても、二度と泊まることはないと思う。だが、私は何となくこの宿が好きだった。シーツの汚さは、頭や顔が当たる部分に持参のタオルを敷いて防いだ。私は枕を使わず、朝にシャワーを浴びる人間なのでこれで十分だ。ゴミ箱のゴミは臭ったりしなかったので、その上へ自分が出したゴミをどんどん捨てていった。終いには弁当やキムチの容器などの、自分のゴミが臭ってきた。シャワールームは、シャワーや洗濯などで使っているうちに綺麗になってしまった。

 夕刻には、ベッドに寝そべって窓の外をぼんやり眺めた。
 近くの家の屋上が見え、そこには甕がいくつも置かれている。おばあさんがやって来て、その甕から自家製のコチュジャンをすくい、別の入れ物へ移していく。夕食に使うのだろうか。林からは相変わらず、蝉の声が遠く聞こえた。もう夏も終わりだ。蝉は、夏が去ってしまうのが惜しい、つくづく惜しいと鳴いていた。
 そろそろ、近くのコンビニへ買出しに行き、部屋で晩酌でもしようか。マッコリ、キムチ、キムパプくらいでいいだろう。雲が、赤く染まり始めていた。

 そんなふうにして、この宿で過ごした。
 そんな、「モッポ」だった。

全州~光州 韓国旅行10

2011年10月05日 | 韓国旅行(2011年9月)
2011年9月11日、12日

 全州(チョンジュ)の次は光州(クァンジュ)が目的地である。ここへ向かう市外と高速のバスとでは条件がどう異なるか、隣り合った両方のターミナルへ行って比較してみようと考えた。
 市外バスの料金は6,300ウォンで、本数がそれほど多くなかった。午前中の便で行こうと考えていたが、10時10分までに数本があり、その後は14時15分の出発になるとのことである。
 だが、こうした情報を得られた時点で、もう高速のほうに対する興味をほとんど失っていた。一応ターミナルへ行ってみると、1時間に1本以上の割合で頻発しているようだったが、値段が10,000ウォン近い。
 料金が違う理由は、本数が多いこと、ノンストップなので所要時間が短いこと、市外バスよりも乗り心地のいい車両を使っていることなどだろう。しかし、これらはすべて自分にとって不要のものだ。朝早く行けば午前中の便へ乗れないことはないだろうし、もし駄目だったとしても急ぐ旅ではないのだから、それ以降の乗れる便へ乗ればいい。同じ理由で所要時間がどのくらいかは気にならないし、そもそも距離を考えれば、かかる時間などたかが知れていた。大した行程ではないということは、乗り心地のいい車両を選んでも、その恩恵を感じる前に目的地へ着いてしまう可能性が高いということである。
 市外バスの条件を知った時にもう、こうしたことを考えた。そして実際に高速バスの条件を調べても、いい意味で期待を裏切るものは皆無だった。

 折しも秋夕(チュソク)の時期にあたり、全州のターミナルは連日ごった返していたので、朝の8時過ぎにはチケットを買う列へ並んだ。全州と光州はふたつとも大きな都市であり、これらを結ぶ路線に秋夕の影響はどうでるかと思ったが、希望した便の切符はあっけなく買えた。車両へ乗っても、満席というわけではなかった。
 乗り込む前にバスの行き先表示を見ると、光州の文字しかない。直行便なのかと思ったら、はたしてそうだった。出発してしばらくすると、車は高速道路へ入りぶっ飛ばし始めた。
 いつの間にかうとうとしていたら、バスは市街地の5車線くらいある大きな道を走っていた。周囲には高層のオフィスビルやマンションが建ち並び、いかにも大都会といった風情である。何だこれは、ひょっとしてもう光州に着いちまったのかと思ったが、時計を見るとまだ1時間しか経っていない。歩き方には、全州と光州間は1時間20分から1時間40分とあり、しかもこれらは高速バスでの所要時間である。だが、周りを走るタクシーに書かれたハングルは「クァンジュ」と読めた。結局私の乗った車両は、出発して1時間あまりで「U-square」という名前の付けられた光州総合バスターミナルへ入っていった。
 この路線での高速バスって何なんだろう。以上の経験を1回しただけでこう思ってしまうのは、短絡に過ぎるだろうか。

 こうして予想よりもかなり早く、目的地へ着いてしまった。まだ宿へ行っても、チェックアウトしていないひとがいたり、部屋の掃除が終わっていなかったりするかもしれない時間だ。光州のターミナルも混雑していた。たくさんの旅客が行き交うなかで、次に行く予定の木浦(モッポ)、さらに次の目的地である大邱(テグ)への料金などについて調べ、建物内の比較的大きな書店をひやかすなどして時間をつぶした。

 U-squareの近くにあり、歩き方に載っているアジアジャンモーテルへ行く。窓口には愛想のいい、主人らしいおっさんが座っていた。量産型韓国のおばちゃん以外に迎えられたのは初めてだ。25,000ウォン。
 宿への到着を正午くらいになるよう調節したものの、通された部屋ではやはり掃除が不完全だった。ドアの前をたまたま歩いていたおっさんに声をかけ、「イゴッ(これ)」と言いながら交換されていないタオルを差し出す。おっさんは驚いてそれを受け取り、部屋の中を見た。ほかにもいくつか、新しい客を入れるにあたり準備されていない箇所を発見したようだった。謝罪の言葉を口にしながら、部屋を替えてくれた。

 このモーテルにはネット端末が無料で使える部屋があると、ほかの旅行者が書いてくれているブログと、歩き方の両方に記されていた。窓口でとくに希望しなかったが、泊まった部屋にも最初に通された部屋にもパソコンがあった。OSはWindowsのVistaかと思ったが、これはデスクトップがそう見えるよう細工されているのであり、実際はXPだった。韓国語だけの言語設定に、ガイドブックへ記載された操作をして日本語が入力できる環境を追加する。この記事はボタンの「OK」や「キャンセル」などが、ハングルでどう表示されるかを知るうえでも役に立った。しかしそれ以外のボタンに関しては、日本語版での記憶を頼るしかなく、宿を発つ際に閲覧履歴やクッキー、入力したパスワードなどを消去するのに少々手間取った。

 このパソコンの中はいったいどうなっているのか、と考えてフォルダの様子を見ていくと、administrator云々というものがある。何じゃこりゃと思って開いてみた。

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以下は性的な内容の記述です。そうしたものに嫌悪感を覚えるかたは、読むことをご遠慮ください。
また、そうした内容に自分は嫌悪感など覚えない、と読む前に思ったにもかかわらず、読んでいる最中や読んだ後に嫌悪感を覚える可能性のあるかたも、読むことをご遠慮ください。

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 中はエロ動画の詰め合わせだった。あるわあるわ、韓国製、日本製、洋ピンまでぞろぞろ出てくる。ジャンルもさまざまだ。無修正と修正ありは混在していた。

 今回の旅行で泊まった宿のほとんどはモーテルだが、テレビでAVを流している所はその半数ほどだった。私はこの国におけるそうした事情に関してまったくの無知であり、日本のそれについてもほとんど知識がない。そんな自分の推測だが、これらのAVはケーブルで配信されている韓国のアダルトチャンネルと思われた。そこでは韓国製と、日本を含む外国製のAVが視聴できた。

 テレビで見たこれらの映像は、日本などある種類の諸外国とは異なる状況下にあるようだった。倫理規定がより厳しいらしいのである。
 たとえば、韓国製のAVでは上半身が自由に映されているものの、下半身については陰毛と性器はおろか、性器周辺さえ不可らしいのである。女優、男優たちはみな下着を穿いたまま演技をし、性器結合シーンなどでそれを初めて脱ぐのだった。その際も体の特定部位が見えないように、動きが控えめであったり、体位が限定的だったりした。
 日本などの外国製についても、事情は同じである。上記のような制約を厳格に守るべく、作品中の特定シーンを削除しているようだった。ボカシを入れている場合もあるのだが、映像へのそうした修正を可能な限り避けている印象を受けた。特定のシーンをカットすることは、場面などの連続性を無視して頻繁に行なわれており、修正よりも削除が優先されていることがうかがえるのである。ボカシは外国製にのみ存在し、モザイクは韓国製、外国製を問わず絶無だった。
 
 アジアジャンモーテルのテレビでは、アダルトチャンネルが映らなかった。映ったとしても、この国のエロ映像は先述のような状況下にある。それは、たとえば私のような日本製のAVに慣れ親し、いや見たことがある者にとっては、もの足りな、じゃなくて違和感を覚えるものだった。administratorフォルダの存在は、それを補うものであったのかもしれない。モザイクさえ御法度らしいこの国で、無修正の動画を鑑賞する機会を、この宿なりに提供しているのかもしれなかった。