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嘯くセリフも白々しい

主に、「バックパッカー」スタイルの旅行情報を体験記のかたちで書いています。少しでもお役に立てば嬉しく思います。

ブラゴエフグラッド~ソフィア~成田 ブルガリア旅行16

2012年08月24日 | ブルガリア旅行(2012年6月、7月)

2012年7月18日、19日

 ブラゴエフグラッドには二つのアフトガーラがあり、リラの僧院からソフィアへ戻る際に私営のそれを使ったことは、ブルガリア旅行9へ書いた。もう一つは鉄道駅前のアフトガーラであり、私営のもののすぐ隣にある。両者を出るソフィア行きの便について比較すると、以下のことが分かった。

・鉄道駅前のアフトガーラ
運賃:11Lv
スケジュール:概ね1時間に1本
使用車両:大型バス
到着地:ツェントラルナ・アフトガーラ

・私営アフトガーラ
運賃:10Lv
スケジュール:概ね1時間に1本
使用車両:ミニバス
到着地:アフトガーラ・オフチャ・クペル

 私はソフィアへ着いたらすぐに空港を目指す積もりだったので、これらの違いはいずれも重要なものではなかった。リラの僧院から来た時と同じことをやっても芸がないと思い、鉄道駅前のアフトガーラからバスへ乗った。

 手持ちの現金が残り少なくなっていた。ツェントラルナ・アフトガーラからは徒歩で、空港へ行く84番のバスが通るソフィア大学等がある場所の近くへ行った。

 そこから日本到着までは、ブルガリア旅行4ブルガリア旅行5で記した行程を逆にたどった。往路と異なった点は、次の3点くらいだった。一つ目は、ほぼ定時運航だったこと。二つ目は、ソフィア空港で乗った人々の大部分がブカレストで降り、代わりにほぼ同数の客が乗り込んできたこと。そして三つ目は、ドーハ~成田便では関空で飛行機から一旦降ろされ、保安検査を受けたことである。ここでは検査のみで、入国はしなかった。

 こうして、今回のブルガリア旅行は終わった。


プロヴディフ~ブラゴエフグラッド ブルガリア旅行15

2012年08月23日 | ブルガリア旅行(2012年6月、7月)

2012年7月15日、16日~18日

 日本へ帰るための飛行機が発つのはもちろんソフィアからだが、出発時刻は夕方だ。ということは、昼過ぎくらいに空港へ着くことさえできれば、その前夜にわざわざ首都へ泊まる必要はない。他の街で過ごして、朝からソフィアを目指してもいいのである。この国の首都でやりたいことはもうないし、何より、宿代が他の街と比べて高い。こうした理由で、今回のブルガリア旅行で最後に訪れる都市は、ソフィアからそれほど遠くない場所にある中規模の街とすることへ決めた。こう考えて真っ先に頭へ浮かんだのは、ブルガリア旅行9で記したリラの僧院~首都間の行程上にある、ブラゴエフグラッドだった。この時はただ経由しただけなので、見た物はアフトガーラだけである。ではこの街に観光の目玉となるような名所旧跡などがあるかというと、そんな物は特にないようだ。しかし、出国までの残り2泊を、この見所に欠ける地方都市でのんびり過ごすのは悪くなさそうだった。

 問題は、プロヴディフとこの街とを結ぶ交通手段があるのかということである。歩き方を読んでもそのルートについての言及はもちろん、何か参考となるような記述すらない。こんな行程を採る旅行者などいないからだと簡単に理解できるが、自分には、直行便があるはずだという妙な確信があった。これらの街は、片やブルガリアで第2の規模といわれる大都市であり、片やその地方における交通などの中心だ。この二つを結ぶ交通機関は必ずある、と考えたのである。
 そしてこの問題は、あっけなく解決した。出発の前日に、プロヴディフ中央駅の近くにあるアフトガーラ・ユクへ調べに行くと、ブラゴエフグラッド行きはすぐに見付かった。経由地の違いによって料金の異なる2種類の便があり、私は13:00発、14Lvの便に乗ることにした。だが、チケットを前もって買った方がいいのかどうか分からない。それに乗れなかったら次の13:40発、13Lvのバスにすればいいやと考えて、窓口へは行かずに宿へ戻った。

 しかし、帰国してから気付いたのだが、手許にあるこのバスのチケットには15Lvとある。移動の当日、窓口で切符を買おうとしたら「From the driver」と言われ、13:00発の便でそのとおりにしたのだが、その際に14Lvではなく15Lvを払ったかもしれない。当時は旅行の終了間際で、疲労や安堵感から気分が変に高揚していたせいか、この辺りの記憶は曖昧である。
 バスは約3時間で、ブラゴエフグラッドのアフトガーラへ着いた。

 宿は、歩き方に載っているRio(Sv. D. Solunski Blvd. 35)を選んだ。鉄道駅にもアフトガーラにも近い場所にあるホテルで、1泊30Lv。最初は2階のシングルへ通されたが、ガイドブックには1階にあるレストラン兼バーが深夜まで営業と書いてある。そこからの騒音を懸念して、もっと上階の部屋がいいんだけどと言ったら、3階にあるダブルへ変えてくれた。
 この宿に関して特筆することは何もない。どこにでもありそうな安ホテルなのだが、荷を解いて少し落ち着くと、部屋の壁に何だか得体の知れない違和感を覚えた。その理由が、ぐねぐねとした模様が一面に手書きで描かれているためだと判明した時には少しビビった。こんなわけの分からんことをするくらいなら、無地のままでいいのにと思う。


※本記事中の「歩き方」とは、「地球の歩き方」編集室の著作編集による「地球の歩き方」シリーズのA28『ブルガリア ルーマニア』2011年~2012年版(ダイヤモンド・ビッグ社、2011年2月改訂第8版)を指します。


ネセバル~プロヴディフ ブルガリア旅行14

2012年08月22日 | ブルガリア旅行(2012年6月、7月)
2012年7月13日~16日

 今回のブルガリア旅行も終盤となった。ネセバルからは、帰国のためにソフィアへ向かってルートを折り返し、その途中にある街を訪れることとする。この国第2の都市というプロヴディフを目指した。

 ネセバルからの直行便はあるものの、夜行バスなので乗るのを諦め、一旦ブルガスへ行くことにする。ブルガスへ着いた日に少し調べた限りでは、午後にバスが1本あるようだった。しかしもっと詳しく探せば、朝にネセバルを出発するスケジュールで、うまく接続する便があるかもしれない。とりあえずブルガスのアフトガーラ・ユクへ向かった。

 だが効率良く乗り継げるのは、その午後の1本だけらしいことが分かってきた。喫煙所みたいな場所で、バス会社の職員らしきおねえちゃんたちがたばこを吸いながら雑談をしている。そばを通りかかったら、何探してんの?という感じで声を掛けられた。「プロヴディフ」と答えると、あるバス会社の名前を告げられた。それは午後の1本を運行してる会社の名であり、やはりそれへ乗るのが一番のようだった。だがその時はまだ9:30で、午後までかなり間がある。何時間もブルガスで暇を潰さなくちゃいかんのか。どうしようかなあ。そうだ、列車はどうだ。こう考えて、アフトガーラのすぐ隣にある鉄道駅へ行った。

 結果は、大正解であった。約1時間後の10:40にプロヴディフ経由ソフィア行きのあることが、掲示されている時刻表から分かった。窓口で15.10Lvを払い、切符をゲット。
 余談だが、日本語の「今日」はブルガリア語で「Днес(ドネス)」と歩き方にあるが、これがなかなか通じず、さらに私がこの日の日付を度忘れしていたために、窓口で少々手間取った。この「Днес」については後にもう1回、通じない経験をした。原因は不明だが、多分私の発音が悪かったのだろう。
 切符は2枚綴りで、1枚が恐らく乗車券、もう1枚が指定席の券らしい。前者には14.60Lv、後者には0.50Lvの価格が表示されている。印刷されているのはキリル文字ばかりだが、指定席券には2か所に数字が手書きで記されている。解読すると、それらは車両と座席の番号だった。

 列車は既にホームへ入っていた。2等のコンパートメント車にある自分の席へ行くと、まだ誰も乗っていない。網棚に荷物をワイヤーでくくりつけ、外へ出てディーゼル機関車が連結されるのを見物したりした後、座席へ戻った。6人掛けのコンパートメントにはおばあちゃんとおねえちゃんが一人ずつ座っていた。ブルガリア語で挨拶をすると、おばあちゃんだけが応えた。
 一人のおばちゃんがコンパートメントへ入ってきて、おねえちゃんと何か話し始めた。おねえちゃんはややムッとした表情で向かい側の席へ移り、空いた場所へおばちゃんが座った。どうやらおねえちゃんが座っていたのはおばちゃんの席だったらしい。だがおねえちゃんの物らしい荷物は、彼女が座っていた席の上にある網棚へ置かれたままだ。おばちゃんがそのことを言ったようだったがおねえちゃんは、その隣にでも置けばいいでしょ、みたいな反応だ。おばちゃんは渋々、そこへ自分の荷物を置いた。私は何という無礼な女かと思ったが、口を挟むことなどできるわけがなく、そんな気もないので、この様子をじっと見ていた。
 そのうちに、今度は一人のおっちゃんが入ってきて、この無礼な女に話しかけた。すると、無礼女は憤然として自分の荷物を引っ掴み、コンパートメントを出ていってしまった。私はようやく事態を飲み込めた。この無礼女は、最初から切符など持っていなかったのだ。
 無礼女の姿を呆然として見送った後、私は自分の対面に座っているおばあちゃんへ向かって肩をすくめてみせた。「やれやれ、何ですかねあの女は」という感想を伝えようとしたのだ。しかし彼女は、微かに苦笑のような表情を浮かべただけだった。
 出発の時刻が近付き、今度は、夫婦らしい初老の男女が入ってきた。二人のうち男性の方が、おばあちゃんへ話しかけた。この老女はそれに対して表情を変えず、無言で席を立った。皆も無言で見守る中、老女はコンパートメントを出ていった。私は今度は、呆然ではなく愕然として、この婆あの後姿を見送った。この婆あも実は、切符を持っていなかったのだ。

 車中では、危険なことも、愉快なことも特になかった。1等車がどうなっているのかは知らないが、2等の客室にエアコンはない。トイレは水洗だが下の線路に垂れ流す方式で、トイレットペーパーは備え付けられていなかった。車内販売などに関しては、ブルガスで発車前に乗り込んできた物売りが一人いただけで、ほかには一切なかった。検札が2回あったが、次の停車駅などに関するアナウンスはなし。このないない尽くしの鉄路の旅は、約5時間後にプロヴディフ中央駅へ到着することで終わった。

 プロヴディフに関しては、事前に泊まる場所の目星を付けておいた。ソフィアやヴェリコ・タルノヴォの宿を探す際に参照した、Agodaというサイトに掲載のSTAR HOTEL(Str. Patriarh Evtimii 13, Plovdiv, Bulgaria, 4000)へ行く。チェックインした後に分かったのだが、ここは歩き方に載っているホテル・ブルガリアと同じだった。街のド真ん中といってもいい好立地を誇り、かつては私のような貧乏旅行者が泊まれるホテルではなかったらしいが、施設が老朽化したため安宿へ自らをランクダウンさせたらしい。建物の外壁に10ユーロ以下から部屋がありますということを書いているが、もちろんそんなものは宣伝のための釣り文句で、フロントでは1泊40Lvと言われた。シャワー・トイレ、エアコン、テレビ、冷蔵庫、机と椅子などが主な設備で、さすがはかつての中級ホテル、部屋の居心地はなかなかで私はここに3泊した。だが、いかんせん建物が古い。シャワールームの排水が余り良くなかったり、部屋に食べ物を放置したら、どこから入り込んだのか、蟻が集まったりした。


※本記事中の「歩き方」とは、「地球の歩き方」編集室の著作編集による「地球の歩き方」シリーズのA28『ブルガリア ルーマニア』2011年~2012年版(ダイヤモンド・ビッグ社、2011年2月改訂第8版)を指します。

ヴァルナ~ブルガス~ネセバル ブルガリア旅行13

2012年08月21日 | ブルガリア旅行(2012年6月、7月)
2012年7月11日~13日

 ヴァルナの次は、同じ黒海沿岸の街であるブルガスへ。そこに滞在中、ネセバルという古都を日帰りで訪れようと考えた。

 歩き方によれば、ヴァルナ市街中心にある大聖堂近くの停留所を、アフトガーラ・ザパッド行きのバスが通るという。番号は「1、22、41番など」とのことで、この時はこれらのうちのどれかへ乗ったと思う。車掌のおばちゃんがやってきたので行き先を言い、1Lvを払う。この料金が一律なのか距離に応じたものなのかは不明。
 来る時に歩いた道をバスでたどる。見覚えのある景色の中を車は快調に飛ばしていった。しばらくして、車掌のおばちゃんが話しかけてきた。アフトガーラ・ザパッドがどうのこうのと言っている。よく分からんが、そうだ、と答え、そのバスターミナルの名前をこちらも口にした。するとおばちゃんは、先ほどよりも少し強い調子で何か言いながら、元来た方を指差した。一瞬で事態を把握した。乗り過ごしたのだ。道の向こう側へ渡れ、逆方向からの車両に乗れ、という意味らしいことをおばちゃんが話し続けている。私はうなずきながらバスを急いで降りた。
 アフトガーラをどのくらい通り過ぎたのか、見当もつかなかった。おばちゃんが反対車線の車両へ乗るように言ったらしいことからすると、かなりの距離なのかもしれない。だが私は何だか意地になり、歩いて戻ることにした。そして歩きながら、乗り過ごした原因を考えた。一番の理由はもちろん、アフトガーラを見落としたことである。一方、思い返せば、シューメンからヴァルナへミニバスで来た際、アフトガーラへ着く直前の道路と、そこから街の中心へ歩いた道路とは一続きの道だった。バスの窓から見た景色と、歩きながら見た風景とが記憶の中で連続し、区別がつかなくなっていた。その結果、アフトガーラを見落として通り過ぎても、見覚えのある景色が続いているのでまだ大丈夫、と考えてしまったのだった。

 ようやくアフトガーラ・ザパッドへ着いたが、実はここが目当てのバスターミナルではない。ブルガス行きのバスは近くにあるアフトガーラ・ムラドストという所から出るとのことである。歩き方にはそこへの行き方として、ザパッドからの道順が記されているので、とりあえずザパッドを目指したのだった。ムラドストへ着くと、1時間に1本ほどの頻度でミニバスが出ていた。料金は14Lv。ブルガスでは鉄道駅の隣にあるアフトガーラ・ユクへ着いた。

 そして私は、このブルガスでまたもや道に迷った。さらに、幾つか他の要素も重なって、長時間街の中を徘徊することとなってしまった。目印となる建物を見付けられず、ツーリストインフォメーションは恐らく移転してしまっており、見物しようと思っていた聖キリル・メトディー教会は近くの緑地とともに改修中で、付近一帯は立入禁止となっていた。宿を探せば満室で、ガイドブックへ載っていないホテルを当たってみると、廃墟のような建物なのに60Lvなどという天文学的にも思える金額を提示された。
 途方に暮れていたら、その時の自分がちょうど、アフトガーラ・ユクの近くにいることへ気が付いた。もうブルガスはたくさんだ、このままネセバルまで行っちまおうか、と考えた。ネセバルへはここを拠点にして日帰りで行こうと思っていたのだが、もうブルガスにいる理由は何もなかった。泊まれる所はないし、訪れようと思っていた教会は閉まっているし、こうして歩き回っている間に何となく街の見物も済ませてしまった。私は決心した。ブルガスはこれでお終いだ。次のネセバルへさっさと移動しよう。アフトガーラへ行くと、ほーら、ちゃんとネセバル行きのバスが待っているではないか。ブルガスでは何一つうまくいかなかったが、次の目的地へ行く交通機関は準備万端だ。これはもう、ネセバルに呼ばれているんだ。もうそうに決まっている。私はバスへ乗り込んで車掌へ運賃6Lvを支払った。

 しかし私はそのネセバルで、またもや、またもや道へ迷い、宿を探して歩き回ることになってしまった。
 この街は半島部分の旧市街と、歩き方では「陸地」と表現されている部分の新市街とから成り、これらは1本の道で結ばれている。旧市街は半島全体がユネスコの世界文化遺産に登録されている古都だが、この中に数軒の宿があるとのことだった。そこに泊まろうと考え、インフォメーション近くにあるという旅行会社を探した。歩き方の記述によれば、そこで宿の紹介をしてくれるはずである。だが、これが見付からない。さんざん付近をウロウロしたが、それらしき物を発見することはできなかった。
 それならと思いインフォメーションに訊こうとしたが、これもほとんど頼りにならなかった。ネセバルのツーリストインフォメーションは、総ガラスの外壁へユネスコのマークをデカデカと掲げ、構えは大層立派に見えた。しかし一人だけいた無表情な若い女の職員は、私が旧市街で泊まる所を探していると言うとネットで検索を始める始末で、宿泊施設に関する情報を何も持っていないようだった。街の地図を出し、新市街の部分にあるホテルのマークへ次々と丸を付けながら、こっちならこんなに泊まる場所がありますよなどと言っている。私は呆れ返り、これ以上この人間と空間と時間を共有することには価値がないと考え、型どおりの礼だけを口にしてさっさとそこを出た。そもそも私の尋ねた内容が、ここで訊くようなものではなかったのかもしれない。だが、もしそうなら「ここはそういう場所ではありません」とか「ここには、あなたが必要とする情報はありません」などと最初に言ってくれればいいのだ。

 インフォメーションを出た私は、いい加減に歩き始めた。目に付いた宿へ手当たり次第に入っていこうと考えていた。
 すると前方にいる、でっぷり太ったにいちゃんから英語で声を掛けられた。

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この後私は彼の手引きで、彼の知り合いが所有する改装中の民宿へ泊まりました。
同じ出来事が起こる可能性は、この街を訪れる大部分の人にとってゼロとはいえないものの、ごく僅かだと考えます。
こうした理由により、この出来事は旅行情報にならないと判断し、本ブログへ記さないこととしました。御了承ください。

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※本記事中の「歩き方」とは、「地球の歩き方」編集室の著作編集による「地球の歩き方」シリーズのA28『ブルガリア ルーマニア』2011年~2012年版(ダイヤモンド・ビッグ社、2011年2月改訂第8版)を指します。

ルセ~ヴァルナ ブルガリア旅行12

2012年08月08日 | ブルガリア旅行(2012年6月、7月)

2012年7月8日、9日

 次の目的地は黒海沿岸の街、ヴァルナだ。
 移動の前日、散歩がてらアフトガーラへ行き、バスのスケジュールを調べる。すると困ったことを発見した。この街へ行く便が朝と夕方にしかないのである。6:00と7:15の後は、16:00と18:00になってしまう。料金は運行する会社によって違うらしく、15Lvと16Lvとがあった。鉄道の駅がすぐ近くにあるので、ならば列車はどうかと状況を見てみたが、こちらも自分が望むような時間に便がなかった。
 自分が望むような時間。それは、午前中の早くもなく遅くもない出発時刻である。それに合わせて早起きせずともよく、逆に遅過ぎてどこかで暇を潰す必要もないような出発時刻。そういう時間にバスや列車へ乗り、窓外の景色を楽しみながら移動する。目的地へ着いたら、暗くなるまでに宿探しを終える。これが、私の最も好む移動のやり方だ。もちろん距離などの理由により不可能の場合もあるが、ここ数年の旅行では、できる限りこの方法で移動を行った。かつて中米を訪れた際にグアテマラからパナマを目指した時や、本ブログで書いたタイ旅行では、ほぼ全行程がこのやり方だった。
 しかしルセ~ヴァルナ間では出発時刻の都合で、この方法を採ることができない。私は朝起きるのが早いほうだが、6時や7時にターミナルへ行きバスに乗らなければならない事態は少々歓迎しかねる。かといって夕方の便を選んだら、宿をチェックアウトしてバスへ乗るまでの間、何をすればいいのか。私がこうした場合の時間の過ごし方がすごく下手なことは、タイ旅行9へ書いたとおりである。それに、出発時刻が遅ければ到着も当然遅く、それは宿探しなど目的地での行動に影響してくるのだ。

 ホテルへ帰り、どうしようかなあと思いながらベッドへ寝転がって歩き方を眺める。すると、「ヴァルナへの行き方」に「シューメンから」という箇所があり、バスは「1時間に1~2便程度」と書かれているのが目に入った。シューメンとはルセとヴァルナの中間辺りに位置する街だ。自分の頭の上に、ピコーンという音がして電球が灯ったような気がした。そうか、直行にこだわる必要はないんだ、途中の街で乗り継げばいいと閃いた。早速シューメンのページを開き、今度は「シューメンへの行き方」を見る。するとそこには「ルセから」があり、「16:00、18:00に2便、ラズグラドРазградで乗り換えたほうが便は多い。」と書かれている。地図を見ると、ラズグラドとはルセとシューメンとの間にある街だ。よし、これで行き方は決まった、もう勝ったも同然だと考えた。何に勝つのか自分でも分からんが。
 考え出した方法はこうである。まずラズグラドという街を目指す。事前にバスの時間などを調べることはしない。これまで幾つかのアフトガーラを見てきた経験から、近隣の街ほど頻繁に便が行き来することを知っているからだ。ラズグラドへも少なくない数のバスが出ているはずである。そこへ着いたら、今度はシューメン行きに乗る。これも近くの街なので、便数は多いはずだ。そしてシューメンから、「1時間に1~2便程度」あるというヴァルナを目指すバスへ乗り換えるのである。要するに、一日に数本しかない直行の長距離バスを避け、より頻発しているであろう近距離路線を2回乗り継ぐのだ。

 何だか大発見をしたような気分になったが、少し冷静になってすぐに気が付いた。こうしてバスを乗り継ぎ、移動を自分にとってより都合のいい時間に行うというやり方は、私自身もう経験済みなのだった。ブルガリア旅行9で書いた、リラの僧院からソフィアへ行く方法がそれである。今回も同じやり方を採ればいいのであって、なぜこんなことがもっと早く分からなかったのか、つくづく自分は何歳になっても頭が悪いなあと思う次第だ。そして実をいえば、僧院から首都へ行くこの方法は、それをネット上に書いてくれている人のマネである。それに、全行程、つまりルセのホテルをチェックアウトしてから、ヴァルナの宿へ落ち着くまで、どのくらい時間が掛かるのか全く分からない。まあどんなに遅くとも、日没までには何とかなるだろうと楽観した。

 移動の当日。
 8:00過ぎにアフトガーラへ着いてラズグラド行きの便を調べると、10:00から19:00までの間に5本あることが分かった。10:00の始発までにはまだ時間がある。宿を出るのがもっと遅くてもよかったかなあと思いながら、シューメン行きのバスについても一応見てみた。すると8:30、11:00、14:00と、歩き方の記載とは全然違う時間帯に便がある。ガイドブックの内容と旅先での事実とが食い違う場合は大抵、いろいろと悲しい結果がその後に待っているのだが、これは自分にとって極めて嬉しい食い違いだった。11Lvで8:30の便へ乗った。
 私が乗ったミニバスは途中で何度も止まり、そのたびに人々が乗り降りした。ラズグラドへも寄った。客同士や運転手は顔見知りが多いらしく、車内に会話が絶えない。リラ村と他の場所とを行き来したバスでも見られた光景で、長距離路線にはないものだと思った。

 11:00少し前にシューメンのアフトガーラへ着き、今度はヴァルナ行きを調べる。いくつも便があり、もうここまで来たら慌てる必要は全くない。窓口へ行きチケットを買う。7Lv。
 ヴァルナと書かれた乗り場へ行くが、そこに止まっている車両には他の地名が表示されていた。何だこりゃ、どうなってるんだ、もう少し待てばこの車がどっかへ行って目当てのバスがやってくるのかしらんと思っていると、一人のおっちゃんに話しかけられた。こうして駅やバスターミナルなどで接触してくる人間に、大概ロクな奴はいない。タクシーやバスの客引きかと思って「ヴァルナ」と言い、もう切符まで持ってるからあんたに用はないよ、とアピールしようとした。するとおっちゃんは、あれだ、と1台のミニバスを指差してどこかへ行ってしまった。一つ離れた乗り場にあるその車の表示を読むと、本当にヴァルナと書いてある。しかもチケットをよく見たら11:00とあり、これがまさに自分の乗るべき車両なのだった。おっちゃんに教えられなければ、これに乗れなかったばかりでなく、バスが出てしまったことすら知らずに、いつまでもただぼーっと乗り場につっ立ったままでいるところだった。胡散臭いと思ったら実は良い人だった、という経験は旅行中に必ず1回はある。そして、そうした誤解の後で自己嫌悪に苛まれるのもまた、必ずあることなのだった。

 ヴァルナのアフトガーラ・ザパッドへ着いた。歩き方によれば街の中心へは徒歩約20分、一本道のようなので歩くことにする。そこへたどり着き、ツーリストインフォメーションを探す。私はこの街に関しても、手頃な宿に関する情報を事前に入手できていなかった。だが、インフォメーションが見付からない。ガイドブックではこの街で最高級のホテルがある辺りということになっているのだが、私がいくら歩き回ってもそれらしき物を発見できないのである。それならと思い、歩き方に載っている宿の一つへ向かうことにした。ところがこれも見付からない。私はかなり長い時間、同じ場所をぐるぐる回った。地図の見方が間違っているのか、あるいは地図が間違っているのか、それすらも分からなかった。良さそうな宿があったら飛び込みで入ってみようかとも思ったが、それも見付からない。
 そうしているうち、日本語で声を掛けられた。

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この後私は、日本語を話す現地の人と知り合い、その人たちの協力でヴァルナ郊外の宿へ泊まりました。
同じ出来事が起こる可能性は、この街を訪れる大部分の人にとってゼロのため、この経験は旅行情報にならないと考えます。
また宿に関しても、ヴァルナからバスで10分以上掛かる場所にあり、そうした所へ泊まりたいと考える人はほぼ皆無だと考えます。
したがってこれらの事柄は、本ブログへ記さないこととしました。御了承ください。

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※本記事中の「歩き方」とは、「地球の歩き方」編集室の著作編集による「地球の歩き方」シリーズのA28『ブルガリア ルーマニア』2011年~2012年版(ダイヤモンド・ビッグ社、2011年2月改訂第8版)を指します。