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嘯くセリフも白々しい

主に、「バックパッカー」スタイルの旅行情報を体験記のかたちで書いています。少しでもお役に立てば嬉しく思います。

エストレモス~リスボン~羽田 ポルトガル旅行11

2013年08月16日 | ポルトガル旅行(2013年7月)
2013年7月28日~31日

 帰国のためリスボンへ戻る。エストレモスからのバスについては、エヴォラの宿にあったネット使い放題のパソコンで調べておいた。何本か便があり、私は8:50のものに乗った。15ユーロ。

 日本からリスボンへ着いた時に泊まり、ポルトガル旅行5でも書いたLuarへ行く。違う宿を試そうかという気持ちもあったが、それを億劫がる気持ちの方が勝った。フロントに以前と同じにいちゃんが座っていて、今回は英語ではなくポルトガル語で彼とチェックインの手続をする。こう書くと、私が流暢に外国語を操っているような印象を与えるかもしれない。しかし前項と同じことを書いて恐縮なのだが、要は旅行で使う幾つかのやりとりに慣れ、それをここでも繰り返しているのである。にいちゃんは前回と比べ、別人のように愛想がよかった。

 帰国に向けた最初の便、つまりリスボン~ドバイの飛行機が発つ日。チェックインカウンターは出発時刻の3時間半前に開いた。私はいつも通路側の座席を指定するのだが、この時はそれを忘れてしまった。搭乗券を見ると、座席番号にはリスボン~ドバイ、ドバイ~羽田でそれぞれ「B」「A」のアルファベットがある。しまった、「B」は横3列の真ん中、「A」は窓側かと思ったが、実はどちらも最後尾にある横2列の席で、大きな問題はなかった。

 ドバイの空港にあるベンチは肘掛が大きく張り出した構造で、人が横たわれないようになっている。リクライニングチェアのようなものが置かれた一画が幾つかあるものの、どれも先客がいた。だがいずれにせよ、私はこうした状況や、移動中の乗り物内で眠れない人間である。どうせ飛行機に乗れば10時間近く座ってるんだからと思い、空港内にあるほとんど全てのターミナルへ行ってみたりして、次の便を待つ時間の大半を歩き回って過ごした。

 ドバイ~羽田の機内はガラガラだった。全ての乗客が機内へ入り、ドアが閉められたのを確認してから空いている座席列へ移った。足をのばし、頭・腰・足を同じ高さにして寝られるのは有り難かった。

 羽田へは定刻より少し遅れて0:10に着いた。この時間に空港を離れることのできる交通手段はかなり限られている。エミレーツ航空が到着から1時間後に、品川駅までのシャトルバスを出してくれるということだったが、そこへ着いた後の適切な行動を思い付かない。結局、想定していたとおりに羽田で夜明かしをすることにした。
 空港内のベンチはドバイのそれと違い肘掛がない。しかも国際線ターミナルの至る所に置かれているので、あぶれる心配はないように感じられた。建物の中には意外と多くの人がいて、翌朝早くに発つ便の乗客たちらしかった。
 私が選択した夜明かしの方法は、展望デッキで外を眺めることである。まさか真夜中でもそこを開けているとは思わなかったが、人が少なく、静かに音楽が流れていて、ひたすらぼんやりするには最適な場所だと思われた。
 翌朝、京急線のシャッターが開くのを待って切符を買い、電車に乗った。

 こうして、今回のポルトガル旅行は終わった。

エヴォラ~エストレモス ポルトガル旅行10

2013年08月15日 | ポルトガル旅行(2013年7月)
2013年7月26日~28日

 エストレモスへ行こうと思ったのは、ポルトガル旅行1で掲げた『ポルトガル朝、昼、晩。』を読んだからである。著者であるk.m.p.というグループの二人は、10泊11日をこの小さな地方都市で過ごしたという。見所はほとんどないが歩き方には載っている。どんな所か興味があった。

 エヴォラのバスターミナルへ行く。バスについては、宿にあるネット使い放題のパソコンでRede社のサイトを見て、スケジュールを調べておいた。午後に2本の便がある。窓口へ行って行き先を告げると、切符は車内で買えという意味のことを英語で言われた。バスがどこから出るのかを訊こうとしたら「One thirty」と言う。これは出発時刻である。まあいいやと思ってそこを離れた。
 13:30にやってきたのは、よくある大きさの車両ではなくマイクロバス程度のもので、エストレモスよりも先へ行く便だったと思う。運転手のにいちゃんへ目的地の名前を片仮名で言うと、精算機のディスプレイにある数字を示した。4.35ユーロ。歩き方にある8.9ユーロより大分安い。だが所要時間はガイドブックどおりで、約40分だった。

 k.m.p.の二人は歩き方に載っているAlentejanoという宿へ泊まっているが、同じことをするのも芸がないと思い、やはり歩き方掲載のResidencial Carvalho(Largo da República nº27 7100-505 Estremoz)へ行く。かなり年季の入った建物で、いわゆるレトロな西洋建築が好きな人ならたまらないだろうと思った。応対したおばちゃんとポルトガル語のみで宿泊交渉をする。こう書くと、いかにも私が流暢に外国語を操っているかのような印象を与えるかもしれないが、要は旅行で使う幾つかのやりとりに慣れ、それをここでも繰り返しているのである。このおばちゃんは私が現金を取り出すのをじっと見つめたり、記帳を終えてもパスポートを私へ返さないで、近くへぽんと放り投げたりした。だが悪意があるようには全く見えず、そういう素朴な性質の人なのだと思われた。

 一泊25ユーロでツインの部屋をあてがわれたが、この部屋の構造は、かつて自分が見たことのないものだった。入口付近とベッドの置かれたスペースとが、衝立というか背の低い壁で仕切られ、別空間となっている。入口付近のスペースには傘立て、小物置き場、小さなソファ、テーブルなどがある。つまり、部屋を入るとまず簡単な応接セットのようなものがあり、そこを通って壁の向こうへ行くとベッドが並んでいる、という構造なのである。
 しかもこの部屋は朝食付きだった。翌朝、出かけようとしたらフロントにいたおっちゃんに呼び止められ、そこで初めて朝飯が付いていることを知った。チェックインの際におばちゃんが説明しなかった可能性と、説明したのにこちらが聞き逃してしまった可能性は半々だ。部屋の壁へ朝食についての掲示があることは知っていたが、建物と同じように古びた感じで、それが私の泊まった時でも有効なものとは知らなんだ。メニューはコーヒー、パン、スライスチーズ、ハム、マーマレード、塗るタイプのチーズ、希望すればオレンジジュース。「Café com leite?」と訊かれたが、これはカフェ・オ・レのことで、ちゃんと温めた牛乳が出てきた。まあ当然ではあるが。

 ここには2泊した。2日目の昼頃に宿へ帰ってきたら今度は例のおばちゃんがいて、ポルトガル語で何か言ってくる。もちろん分かるはずがないので困惑していると、彼女は紙に「13:30-14:30」と書いて私へ示した。この時間帯は宿の入口が閉まってしまうのだと、すぐに了解した。

コインブラ~エヴォラ ポルトガル旅行9

2013年08月14日 | ポルトガル旅行(2013年7月)
2013年7月23日~26日

 今回の旅行は現地にて14泊15日なので、コインブラの滞在中に日程の後半へ入ったことになる。
 次はどこへ行こうかなあと考えた。最後にエストレモスという地方都市を訪れることは決めていたので、その近くにあるエヴォラという比較的大きな街を目的地とした。

 ギマランイスでの時と同じように、暇なのでバスターミナルへ便があるかどうかを調べに行く。建物の中を一通り見たが、路線図が1枚掲げられているだけで、時刻表の類いが一切なかった。窓口で訊くしかなさそうだが、日曜日の昼下がりであるせいか誰も座っていない。事務所の中を覗いたり周囲を歩き回ったりしていたら若い女性の職員が気付き、窓口へ行けと身振りで示した。
 「Quero ir a Évora(ケロ イール ア エヴォラ=エヴォラへ行きたいのですが)」と言うと、職員が何か答えた。訊き返すと、「ノ ディレクト」だか「ノ ディレート」だかがうんたらかんたらと言っている。直行便はない、ということらしい。うわ、メンド臭えことになったなと思いながら、じゃあどこで乗り換えるのかと身振り手振りで訊くと、いろいろな都市の名前を列挙し始めた。私はそれを「Obrigado(オブリガード=ありがとう)」と言って遮り、窓口の前を離れた。

 どうしよう、と考えた。最も簡単で確実な代替案は、一度リスボンを目指し、そこでバスを乗り換える方法である。だがリスボンは帰国の際に必ず行くので、何度もそこへ出たり入ったりするのは避けたいと思った。宿へ帰って部屋に向かおうとすると、共用スペースのパソコンが目に入った。おっちゃんが通りかかったので、使わせてくれと頼む。
 大して期待しないままいろいろ調べていくうちに、Rede社のサイトへ行き着いた。そこでコインブラからエヴォラへ行く便を検索して驚いた。便があるではないか。途中で幾つもの街を経由するが、乗換え無しで目的地まで行ける。さっき窓口の職員が言っていたのは、“直行”する便がないということで、列挙していた都市名は経由地のものだったのだ。
 次の日、暇なのでもう一度バスターミナルへ行き、窓口へ同じことを訊いた。今度の職員はおばちゃんで、彼女は小さなパンフレットを出して説明を始めた。それはコインブラ~エヴォラ間の時刻表であり、ネット上で見たものと同じ時刻や都市名が記されている。なあんだ、最初からこういう対応をしてくれればよかったのにと思いつつ、おばちゃんから翌日の切符を買った。18.5ユーロ。

 今回の旅行では、このように若い女の職員や店員に困惑させられたり、苛立ったりする機会が多かったように思う。後になって冷静に振り返ると、それはこちらのコミュニケーション能力の欠如や、思い過ごし、勘違いが原因だと解釈できるものばかりだった。しかし、おっちゃんやおばはんからイライラさせられることはほとんどなかったのである。この違いは何なのだろうか。

 9:30にコインブラを出たバスはファティマなどを経由して14:00頃にエヴォラへ着いた。この車両は更に南下し、ファーロまで行くらしかった。

 歩き方に載っているCasa dos Teles(Rua Romão Ramalho n.º 27 - 7000-671 Évora)へ行く。威勢のいいおねえちゃんが出てきて、私の妙なポルトガル語に対し「英語だけで話してもいいですよ」などと言った。彼女はほかの客とフランス語らしき言語で会話し、ドイツ語すら話す雰囲気だった。宿の中は小奇麗で、センスのいい小物などがさり気なく置かれたりしている。共用スペースへ置かれたパソコンでインターネット使い放題。だが共同シャワールームにはゴキブリがいたし、客の少なかった日の朝にはお湯が出なかったりした。いろいろとガンバっているのだが、それがイマイチ空回りしているような、微笑ましい宿である。
 私が泊まったのはシャワー・トイレ共同、ダブルの部屋で、料金は20ユーロだった。宿にフロントはなく、部屋と建物の鍵を渡されるシステム。おねえちゃんは、25ユーロ出せば共同のシャワールームを専用で使えるようにする、という意味のことを言ったようだったが、まあそこまですることもあるまいと考えた。ここ数年の旅行では風呂トイレ付きの部屋にこだわってきたので、共同のそれを使うのは久しぶりだった。

ギマランイス~コインブラ ポルトガル旅行8

2013年08月11日 | ポルトガル旅行(2013年7月)
2013年7月20日~23日

 次の目的地をコインブラと決めたが、ギマランイスからのバスがあるのか不明だったので、暇潰しがてらバスターミナルへ行って調べることにした。誰もが考えつくと思われる方法は、一度ポルトまで戻り、そこで改めてコインブラを目指すやり方である。しかし同じ行程を再び辿るのは芸がないと考えた。
 結論から書くと、便はあった。どこかほかの街を出発したバスがギマランイスを通り、コインブラよりもっと先まで行く途中で、そこへ寄るのである。朝の8:30と、よく憶えていないが14:30頃の便があったと思う。その場で切符を買ってしまうのが賢いやり方なのかもしれないが、朝の便に乗れないことはないだろうと根拠もなく高をくくり、隣接する巨大スーパーで買物をして宿へ戻った。

 翌朝、件の感じの悪い男による、未確認生物を見るような目つきに見送られながら宿を出た。
 バスターミナルへ着き、カウンターのおねえちゃんへ「コインブラ」と叫ぶ。端末で何か始めた彼女に「8:30, posible?(オイト トリンタ ポシブレ)」と、その時間のバスへ乗れるかどうか、これまた西葡混合で尋ねた。おねえちゃんが頷いて「Quatorze(カトルゼ=14)」がどうのこうのと答える。運賃らしいが、“どうのこうの”の部分が分からない。渡されたチケットを見ると14.5ユーロである。彼女は恐らく「cinquenta(シンクエンタ=50)」と言ったのだと思うが、私には全く聞き取れなかった。
 コインブラへは約3時間の道程だったと思う。

 歩き方に載っているResidencial Moderna(Rua Adelino Veiga, 49, 2.º 3000-003 Coimbra)へ行く。ダブルの部屋を一人で使って30ユーロ、朝食を付けると35ユーロ。それまで20ユーロと25ユーロの部屋に泊まってきたせいか、高く感じた。部屋を見せてくれるように頼むと、まだ掃除が済んでいないらしく13:00以降になるという。フロントのおっちゃんは部屋の設備を説明し始め、「これだけのものが備わっているんだから、見る必要などないだろう」という雰囲気だ。私は何だか面倒臭くなり、おっちゃんの人柄がそれほど悪くなさそうだったこともあって、さっさと料金を払い部屋を確保してしまおうと考えた。朝食無しを選択してチェックインの手続をし、トイレを借り、荷物を預けて外へ出た。

 この街へは20年前に一度訪れているが、その時の記憶はほとんどない。街をぶらぶらして初めて思い出す、という事柄も特になかった。スーパーで買い物をしていたら13:00になったので宿へ戻り、初めて部屋へ入る。
 まず目についたのが、閉じられたシャワーカーテンから覗く便器のような物体である。言葉では何とも説明しづらいのだが、これはシャワー室の床であり、ビデを兼ねた形状を持っているのだった。今回の旅行で泊まった宿において、ビデのない宿はなかった。
 バルコニーへ出るとコインブラ大学を望むことができ、眺めはなかなかいい。だが隣の部屋にもバルコニーがあってこちら側とつながり、お互いに行き来できる構造になってしまっている。防犯意識の高い人だったら、眺めが幾らいいといっても、バルコニーへ出たりそこへ通じる扉を開け放つ気にはならないだろう。それなら窓はどうかというといわゆるハメ殺しで、その向こうは壁であり、そこはボイラー室らしい。要するに、その部屋にある窓らしい窓はベランダへの扉だけということになる。
 これで一泊30ユーロ。階段そばの共有スペースにはパソコンがあってインターネット使用は無料だが、それを考え合わせても微妙な価格設定だ。だが私は最初に決めた2泊へ1泊追加し、合計3泊した。

 ガイドブックにおけるこの宿に関する記述には「感じのよい夫婦が経営する」「少しは英語も通じる」とあり、私の印象でもそのとおりだった。だが娘さんらしい女性がシーツを洗濯する姿は見たものの、奥さんには会わなかった。

ポルト~ギマランイス ポルトガル旅行7

2013年08月10日 | ポルトガル旅行(2013年7月)
2013年7月18日~20日

 ギマランイスは、地方の一小都市でありながら歴史的に重要な価値を持ち、旧市街が世界歴史遺産に登録されている渋い街だ。一方そのこととは関係ないが、この街の名前は私に恐竜とか怪獣を想起させる。ゴジラ対ギマランイス。

 ポルトから鉄道の便が頻発し、1時間余りで行けるということが歩き方へ書かれていたので、特に時間を決めずに宿を出る。街のど真ん中のような位置にあるサン・ベント駅へ入って調べたら、目的地への便がちょうど出てしまったところで、次は約2時間後のようだった。これじゃ頻発してるとも言えんなあと思いながら、切符を買う。
 この切符がまた、リスボンと同じく最初にカードを買わせる方式だった。こちらの料金については手許に領収書が残っているので、ここへ記すことができる。カード代が0.5ユーロ、乗車賃が3.1ユーロ。リスボン地下鉄のカードを買った際に感じたのと同じ忌々しさはプライスレスである。
 列車の中には白人の婆あども数十人のグループがいた。英語ではしゃぎ散らしてやかましいことこの上ない。婆あの集団を避けて遠く離れた席へ座ったが、まだ喧騒が聞こえてきた。このグループ以外にも、車内にはポルトから日帰りでギマランイスへ行くと思われる、ポルトガル語以外を喋る観光客の姿がチラホラ見られた。

 ギマランイス駅から街の中心への行き方は、歩き方に記されたとおりだった。そんなことは当たり前なのだが、ガイドブックの内容を疑いの目で見る習性が自分にはすっかり備わってしまっている。Residencial das Trinas(Rua das Trinas, 29 4800-168 Guimarães)という宿を目指したら、ちゃんと地図で示されたとおりの場所にあった。これも当たり前なのだが。

 この安宿では、感じのいいおばちゃんが応対してくれた。1泊25ユーロ、ダブルの部屋に通され、2泊分のカネを払う。近くにスーパーマーケットがないかを知るため、「Onde es supermercado aqui?(オンデ エス スーペルメルカード アキ)」と訊いてみた。この言い方もポルトでの場合と同じく西葡混合、文法の間違いがあるひどいものであり、「近く」という意味の言葉が抜けている。だがおばちゃんはごく自然に聞き取ってくれて、街の簡単な地図を出し複数の場所を私に示した。
 この宿は今回の旅行中、最も居住性に優れていた。
 しかしフロントにおばちゃんがいる時はいいが、それ以外の時間には感じの悪い男がいて、私を「何だコレは。こんな生き物が地球上にいたのか」という目で見る。外国においてこうした視線を向けられるのはよくあることなので、特に何とも思わない。だが最初に応対したのがこいつではなく、おばちゃんだったのは、実に幸運といえる。