goo blog サービス終了のお知らせ 

嘯くセリフも白々しい

主に、「バックパッカー」スタイルの旅行情報を体験記のかたちで書いています。少しでもお役に立てば嬉しく思います。

ヴェリコ・タルノヴォ~ルセ ブルガリア旅行11

2012年08月07日 | ブルガリア旅行(2012年6月、7月)
2012年7月7日~9日

 ルセという街へ行く目的は、ドナウ川と、対岸のルーマニアを眺めるためである。
 ヴェリコ・タルノヴォのツーリストインフォメーションは、この街へ到着した日にショボい宿を紹介してくれて信用できない感がないでもないが、ルセ行きのための各種情報はここで得た。バスは一日5便あり、11:00発のものへ乗ることにする。この移動は、朝に宿を出て、その便が出るアフトガーラ・ザパッドへ向かうことから始まった。
 歩き方の地図でも「アフトガーラ・ザパッド行きバス停」と示されている場所で、10番のバスに乗る。切符は今まで経験したように運転手から買えばいいんだろうと思い、乗り込みながら「エディン・ビレート・モーリャ(切符1枚下さい)」と言うと、ドライバーは客席の方を示す身振りをした。よく分からないが、いいから座れということらしい。そのとおりにすると、一番前の座席にいたおねえちゃんが切符の束を持ってやってきた。制服その他の目印となるような物を何も身に付けていないが、この人は車掌のようだった。おねえちゃんは私の座っている所のそばへ立ち、何かを待つ様子。ああ、行き先を言うべきなのかと気が付いた。料金が一律だったソフィアのバスと違い、距離によって運賃が異なるらしい。アフトガーラの名前を言ったら頷いて、1枚の切符を束からもいだ。0.70Lv。

 アフトガーラ・ザパッドは、これがホントにバスターミナル?と思うような代物だった。オフィスの入った建物、発着場のベンチや屋根、出入りしている車両の大きさなど、いろいろな物がおしなべて貧弱なのである。その有様は、誰も使わないから何となく広場になった場所へ、何となくバスみたいな物とか人が集まって、何となくターミナルみたいになっているくらいに見えなくもない。しかし表示を見たらルセと書かれた発着場があるし、建物内で調べるとそこへ行く便はちゃんとある。アフトガーラの佇まいがどうであれ、目的地まで行ければいい。
 時間が近付き、1台のミニバスが来た。フロントガラスにルセと表示を出していて、その姿を認めた人たちが集まってきた。見るとその中に、チケットらしき紙切れを持ったおばちゃんがいる。このバスでも今まで経験したのと同じく、切符は車内で買えると思っていたが違うのだろうか。おばちゃんに「トヴァ・ビレート(それ、切符)?」と話しかけると、黙って建物を指差した。礼を言いながらそちらへ走り、窓口で行き先を叫んだ。おばちゃんが持っていたのと同じ紙切れを渡され、料金は11Lv。ところがいざ乗り込んでみると、その紙切れを前もって買っている人と、車内でカネを払っている人との割合は同じくらいだった。
 それよりも不安に思ったのは、バスの周囲へ集まってきた人々の数が意外と多いことだった。使われる車両は大型のいわゆる「バス」ではなく、ワゴン車のようなミニバスである。座席の定員オーバーで、道中ずっと立ちっぱなしになるのはまだいい。その限度すら超えて、乗れない可能性もあるのではないかと思われた。運転手にそうしたことへの配慮、例えばチケットを既に持っている人を先に乗車させるなどの気遣いはまるでないように見える。せいぜい、人と荷物とが交錯する混乱を防ぐためだろう、大きな荷物を車両後部へ格納するのを客の搭乗案内に優先してやったくらいである。乗客の方だって、並んで乗り込むなどということをするわけがない。もちろん私もその群れの中へ紛れ込み、何とか座ることができた。ところがこれも、いざ乗り込んでみると全員が着席できてしまい、ちょうどいい具合にほぼ満席となった。やはり私のような現地の事情を何も知らない外国人観光客と違い、運転手や地元の人々はこうした呼吸というか匙加減というか、状況対処の方法を心得ているのだと思われる。

 ルセへは約2時間で着いたと思う。鉄道駅のそばにあるアフトガーラを出ると、何だか街が閑散としている。土曜日だからか、人も行き交う車もその姿はまばらである。バスかトロリーバスへ乗って街の中心へ行こうと思ったが、どのくらい待つことになるのか見当もつかない。地図を見ると2キロほどの道のりなので、歩くことにした。
 この街についても私は、事前に手頃な宿を見付けられずにいた。やはりツーリストインフォメーションを頼ることとし、そこへ行くも、ガラスのドアには鍵がかかっている。掲げられた表示に午後は13:00からとあり、もうその時間は過ぎてるけどなと思っていると、「I'm sorry to late」と英語で話しかけられた。振り返るとイケメンのにいちゃんが額に汗を光らせながら立っていた。私がドアの前にいるのを遠くから見て、走ってきたらしい。
 ソフィアのインフォメーションにいたにいちゃんも好青年だったが、ルセのにいちゃんはそれ以上だった。丁寧かつ分かりやすい英語で、次のように対応してくれた。
 あなたの条件に合う宿泊場所の候補は三つ。一つ目はThe English Guest House。この街を訪れるバックパッカーによく知られた所で、インフォメーションから近い場所にある。部屋の種類や料金は様々なので、実際に見て検討すること。二つ目はHotel Amor。一つ目の宿の次にここから近く、シングル又はダブル1泊40Lv。三つ目はその名もRuseというホテル。駅からここへ至る主要道路のボリソヴァ通り沿いにあって、同じく1泊40Lv。これら三つを、この順番で回っていくのがいい。それ以外の街の中心にあるホテルは、概して料金が高い。
 にいちゃんは最後に、インフォメーションが閉まる時間を私へ告げ、もし困ったことがあったらまた来てくださいと笑顔で言った。

 私が泊まったのはこれらのうち、2番目のHotel Amor(13 Mostova St., Ruse 7000)だった。ホテル予約サイトなどではPension Amorと書かれることもあるようだ。チェックインの際に朝食を付けるかどうか尋ねられ、有りなら40Lv、無しだと37Lvとのことなので後者を選んだ。
 入口に呼び鈴があり、出入りするたびに押していたら「No」と強く言われた。じゃあこれは何のためにあるのかねと英語で訊こうとしたが、やめた。宿代を払う時にレシートを下さいと言ったもののなかなか通じず、少し苦労したことを思い出したからだった。呼び鈴の件の際も「No」の一言しか言わず、これらのことから分かるように、スタッフは余り英語が得意ではないようだった。
 こうした出来事はあったものの、私はここを、今回の旅行で最もコストパフォーマンスが良かった宿だと思っている。改装して間もないらしい建物の中は綺麗だったし、部屋にはシャワー・トイレ、テレビ、エアコン、机と椅子が備わり、有料かどうかは知らないが機器を持っている人ならWi-Fiの利用が可能である。街の中心に近いが住宅街にあるので、周囲は比較的静かだと思う。もっとも、私が高評価を与えるのは、今回の旅行で好きなクラシック音楽のケーブルテレビチャンネルを見られたのはここだけだったことが影響しているのを、認めざるを得ないのだが。


※本記事中の「歩き方」とは、「地球の歩き方」編集室の著作編集による「地球の歩き方」シリーズのA28『ブルガリア ルーマニア』2011年~2012年版(ダイヤモンド・ビッグ社、2011年2月改訂第8版)を指します。

ヴェリコ・タルノヴォ ブルガリア旅行10

2012年08月06日 | ブルガリア旅行(2012年6月、7月)
2012年7月4日~7日

 この国の旅行で、私が今回の経験から特徴的だと思ったのは、宿の種類とそれを決める手段だった。前者については「プライベートルーム」という物の存在、後者は、ツーリストインフォメーションや旅行会社で宿の手配することが一般的らしいということである。
 プライベートルームとは、宿泊施設としての看板を出さずに、ふだんは別の使い方がされていたり、使っていなかったりする部屋へ旅行者を泊めるタイプの宿である。要するに民泊だ。看板を出していないので、じっとしていては客がやってこない。そこで、この種の宿の人々は街なかやバスターミナル、駅などで、直接旅行者へ営業する。
 そして、ツーリストインフォメーションや旅行会社が、そうしたプライベートルームの情報を把握していることがある。これらが宿の紹介をやっており、訪れた旅行者へ場所や料金の希望を尋ね、それに合う部屋の手配をするのである。
 私はこれまでの外国旅行で、恐らく無許可営業らしい所へ泊まったことはあったが、民家の一室で寝起きした経験はない。また、様々な街でツーリストインフォメーションを使っているが、そこでしたことは何かの場所や交通手段の状況に関する質問ばかりだった。旅行会社については東南アジアや中南米で数回、現地を発着する航空券を買いに行った程度である。
 そこで今回は、ものは試し、郷に入りては郷に従えとばかりに、これらを試すことにした。

 ソフィアからヴェリコ・タルノヴォへ行く際、ETAP社のバスを選んだことは前回書いたとおりである。こうした理由には、車両の発着するホテル・エタルがツーリストインフォメーションに近いということもあった。
 建物へ入り、安い部屋を探していると職員へ英語で告げる。だが紹介されたのはプライベートルームではなく、ごく普通の安宿のようだった。1泊20Lvで、シャワー・トイレ共同。30Lvや40LvでもOK、シャワー・トイレ付きの部屋が望ましいと話したものの、職員たちは“安い部屋”と聞いた時点でもう、こちらの細かな希望に余り興味がないようだった。安宿を目指す旅行者には、既に紹介する所が決まっているかのような対応である。
 それでもまあ一応行ってみるか、と思って建物を出た。カネを払ったり予約を入れたりしたわけではないので、気に入らなかったら泊まらなければいい。
 そしてやはりというべきか、その宿は何じゃここ、と思うような所だった。主人らしい爺さんが英語で懸命に対応してくれるのだが、その内容がころころ変わる。通された部屋にはなぜか他の旅行者の荷物があって、爺さんはつい先ほどまでその部屋のPCを使って何かやっていた。状況がいちいち不可解で、問いただす気も起こらない。宿の施設をいろいろ見せてくれたが、どれも特段、快適さなどの魅力を感じさせるような物ではなかった。自分にとって、他の選択肢を排除しこの宿を選んでカネを払う理由、端的にいえばここに泊まる理由が何もない。爺さんへ何度もありがとうを言いながら、そこを辞した。

 旅行前に調べた限りでは、この街に関してこれという宿を見付けられなかった。しかし幾つかの候補をリストアップしており、それらをガイドブックへ書き込んでいた。そうした中の一つで、ソフィアのホテルを予約する際に使ったAgodaというサイトで紹介されているホテルへ行くことにした。
 歩いていたら突然、一人の中年男性が流暢かつ丁寧な英語で、泊まる場所をお探しですかと話しかけてきた。これがプライベートルームの勧誘かと思ったが、男性が余りに慇懃な物腰なので逆に気味が悪く、日本語でごにょごにょ言って彼から離れた。

 行った宿はHOTEL TARNAVA(6 Ivan Vazov Str., Veliko Tarnovo, Bulgaria 5000)で、Agodaでは20ユーロを切る価格が提示されていた。しかしこれはオンライン予約をした場合の金額で、飛び込みで行ったらもっと高いんだろうなと思っていたら、フロントで1泊35Lvと言われた。ネット上とほぼ変わらない値段である。部屋を見せてもらうと、建物の屋根裏に相当する場所にあるため窓からは空しか見えない。だが広さは閉塞感を感じるほどではなく、内装や調度のセンスが良いので、居心地はまあまあだ。実際に泊まった後であちこちに様々な不具合を発見したが、シャワー・トイレ、テレビ、PC、冷蔵庫、エアコン付きでこの価格なら文句の言いようがない。そして後で知ったのだが、この値段は朝食込みだった。

リラの僧院~ヴェリコ・タルノヴォ ブルガリア旅行9

2012年08月02日 | ブルガリア旅行(2012年6月、7月)

2012年7月4日

 リラの僧院からヴェリコ・タルノヴォへは、ソフィアを経由するのが最も手っ取り早いようだった。山深い場所にある修道院からごみごみした首都へ戻るのには抵抗があったが、都会と田舎を行き来するたびにいちいちそんなことを感じていては旅行などできない。大人しくそのルートを採ることとする。
 ソフィアへ戻る交通手段といえば、ここへ来た日に乗ったバスである。到着した車両が数時間後には帰りの便になるらしかったが、その出発は午後だ。できるだけ早い時間にヴェリコ・タルノヴォへ着きたいと思ったので、多少面倒な手順だが以下の行き方とすることに決めた。すなわち、まず朝のバスでリラ村へ行った後、周辺への交通アクセスがより良いブラゴエフグラッドという街へ一旦出て、そこでソフィア行きへ乗り換えるのである。ソフィアからヴェリコ・タルノヴォへはバスが頻発しているとのことだった。

 時刻をよく憶えていないが、8:20くらいに僧院を離れたと思う。ドライバーのおっちゃんへ運賃を訊いたら指を2本立てた。客はほかに、おっちゃんというには少々若い男性が一人だけ。
 リラ村へ着いたのでバスを乗り換えるため降りようとすると、運転手のおっちゃんが何か言ってきた。その言葉の中に、ブラゴエフグラッドという地名を現地語で発音したら多分こうなるんだろな、と思うような部分が含まれていた気がした。事態を理解できないまま、完全な片仮名発音でその地名を口にすると、じゃあそのまま乗っていろという身振りをされた。このバスはリラ村経由のブラゴエフグラッド行きだったらしい。おっちゃんが更に何か話しかけてきたが、分からないので「んあ?」みたいな間抜けな声を出したきり黙っていると、おっちゃんというには若い男性が「Two レヴァ」と通訳してくれた。リラ村からブラゴエフグラッドへは2Lvということのようだ。私はバスが出発する際2Lvを支払ったが、この男性は4Lvをおっちゃんへ渡していたのを思い出した。

 ブラゴエフグラッドのアフトガーラへ着いた。建物へ掲示してある時刻表を見ると、1時間に1本くらいの割合でソフィア行きがある。11:10の便へ乗ることにし、一応窓口へ行って「ソフィア」と叫んでみたら、ここでも「Ticket, on the bus」と言われた。
 首都へは10Lv、1時間ほどで到着した。しかし着いた場所が予想と違う。ブラゴエフグラッドとの間を結ぶバスはツェントラルナというアフトガーラを発着すると歩き方の記述からは読めるものの、この時に到着したのは、見覚えのあるアフトガーラ・オフチャ・クペルだった。後で分かったのだが、こうなった理由は自分の乗ったバスが、私営のアフトガーラを出発する物だったからのようである。私はブラゴエフグラッドを今回の旅行における最後の街として再び訪れており、ここのアフトガーラについては、その際の記述を含むブルガリア旅行16も参照されたい。

 着いた場所が予想と違ったものの、私は慌てたりも騒いだりもしなかった。ヴェリコ・タルノヴォ行きのバスはツェントラルナ・アフトガーラから出ているので、ここアフトガーラ・オフチャ・クペルからそこへ向かう必要がある。私はオフチャ・クペルへの各種行き方を事前に調べてそれを歩き方にメモしており、その中には鉄道のソフィア中央駅からのものもあった。ツェントラルナは中央駅のすぐそばにあるので、その方法を使えばいいのである。それに、そんなことを知らなくても自分にはインフォメーションのにいちゃんからもらった、各種交通機関の路線図付き地図という強い味方がある。それによれば11番か19番のトラムへ乗ればいいはずで、私は悠々とアフトガーラを出て停留所へ向かった。
 トラムに揺られながら地図を眺めていると、奇妙なことに気付いた。11番と19番を示す線が、駅へとつながっていないのである。それらを表す濃い灰色のラインは、中央駅へ地下鉄1駅分くらい離れた場所で最も近付くが、そこで違う方向に逸れて郊外へと向かっていた。さあこうなると今や、慌てたり騒いだりする時間だ。私はその地下鉄1駅分くらい離れた場所を乗り過ごすまいと、この国へ着いた日と同様に窓外と地図とを凝視して、嫌な汗をかきながら神経を集中させた。
 どうにかそこで下車し、今まで乗っていたトラムを呆然と見送った。その車両はトンネルのような所へ入っていく。トラムって地上を走る物じゃなかったか、ここで降りるのをミスしていたらどこへ連れていかれたのか分かったもんじゃない、危ないところだったと思った。だが一難去ってまた一難、そこから中央駅までは歩きにくいことこの上なかった。車がびゅんびゅん行き交う幹線道路を渡ったり、その中央分離帯を突っ切ったり、工事中の歩道を埃まみれになりながら歩いたりした。

 ツェントラルナ・アフトガーラへ着き、ヴェリコ・タルノヴォまでのチケットを買う。歩き方に「ETAP社のバスは、ブルガリアの母広場近くのホテル・エタル前からも発着していて便利。」とある。この広場やホテルは街の中にあり、アフトガーラへ着くより確かに便利そうだ。その会社のブースへ行くと、そこだけ行列ができていて人気のほどがうかがえた。そしてそのせいかどうか知らないが、運賃は21Lvもした。各地を訪れていくうちにこれは適正価格らしいことが分かったが、この時はやたらと高く感じた。
 チケットに印刷されているのはキリル文字だけ。出発時刻や乗り場の番号は英語でブースのおねえちゃんから説明されていたが、待ち時間に書かれていることを解読してみた。すると、座席番号のような物がある。乗車後に一応その席へ座ったが、果たして他の人々もそうしていたかは不明。

 13:30に出発したバスは、約3時間でヴェリコ・タルノヴォのホテル・エタル前に到着した。


※本記事中の「歩き方」とは、「地球の歩き方」編集室の著作編集による「地球の歩き方」シリーズのA28『ブルガリア ルーマニア』2011年~2012年版(ダイヤモンド・ビッグ社、2011年2月改訂第8版)を指します。


リラの僧院 ブルガリア旅行8

2012年08月01日 | ブルガリア旅行(2012年6月、7月)

2012年7月2日~4日

 門をくぐり、敷地内へ入る。見物は後回しにして、部屋を確保し荷物を下ろすのを優先しようとした。だが宿泊の受付が見当たらない。数軒ある土産物屋のうち一つへ入り、先ほど運転手のおっちゃんがやったのと同じジェスチャーをして場所を尋ねた。よく分からん教え方をされたがその方角へ行ってみると、建物の隅っこに、英語で何やら書かれた紙を横に掲示したドアがある。恐る恐るノックしてノブを回すと、中には面倒臭そうな顔をした若い修道士がいた。泊まりたいんだけどと英語で言うと、2時、と英語で面倒臭そうに返された。まだ13:30頃であり、外へ出てドア横にある紙を見ると、それが受付時間の掲示だった。14:00からと書かれていた。
 ドアのそばにあるベンチへ腰掛けて時間になるまで待つ。敷地の中央に教会があり、それを宿坊や事務所、歴史博物館などの入った建物が取り囲んでいる。すぐそばに渓流があり、そこから引いているのだろう、敷地の内外に水くみ場が点在して冷涼な流れが常に音を立てている。レストランが敷地の外にあるが、私は滞在中に外食しなかったので詳細を知らない。
 英語の掲示には受付時間以外に、ここを発着する交通機関の案内があった。それを読むなどして時間を潰していると、中にいた面倒臭そうな顔の修道士が出てきた。1泊かと問われたので2泊と答える。少しして、まだ14:00になっていないのに面倒臭そうな彼がドアを開けて手招きをした。有り難い、もう受付をしてくれるらしい。パスポートを見せて宿代を払う。素泊まり1泊30Lvだが、歩き方には40Lvとあったので思わず値段を確認すると、彼は一人につき30Lvと面倒臭そうに答えた。これまた有り難かった。

 以下に、ここで経験した事柄を記す。

部屋
 渡された鍵にある番号の部屋へ行くと、建物そばの渓流へ面した場所だった。絶え間なく川の流れる音がする部屋へ泊まるのは初体験だ。一人用のベッドが二つ、それぞれの枕元には物を置く小さな台があって、ほかにテーブル、洋服タンスが備わっていた。窓は小さい物が一つだけあり、二重になっている。私が訪れたのは上記日付のとおり初夏だが、冬はどのくらい寒くなるのだろう。シャワー・トイレ付きで、温水は夜の限られた時間しか出ないという情報をどこかで見た気がしたが、24時間使えた。ただ、1日目は熱いお湯が出たものの2日目は温度が低く、冬にこのぬるさだったらたまらんだろうなあと思った。ベッドには厚めの毛布が2枚あった。

食事
 パン、サラミ、ワインの食料を持参して、部屋で食べた。宗教施設での飲酒はいかがなものかとも考えたが、キリスト教においてパンはイエスの肉であり、葡萄酒は血である。部屋の外で飲んだり、泥酔したりしなければ構わないだろうと判断した。
 2日目に食料が足りなくなってしまった。レストランがある場所に小さな商店を見付けたので入ってみると、当然のことではあるが値段が高い。どれも下界と比べ1.5倍から2倍ほどの価格である。そして困ったことに、パンがない。やはり日持ちのしない、冷蔵庫にも入れられない物は置かないらしく、その代わりなのか知らないがインスタントラーメンなんぞを売っている。私はクラッカー、サラミ、ワインを買った。ワインは最も安い7Lvの物を選んだが、これは今回の旅行中で最高値だった。

儀式
 6:30頃と17:00頃に、一人の修道士が専用の長い木の板を横に構え、それをやはり専用の撥で叩きながら敷地内を一周した。これが朝と夕における祈祷の合図らしく、しばらくして教会内で儀式が始まった。

夜と朝
 僧院内には恐らく、「リラの僧院を見物する」ということ以外の娯楽は一切ない。夕方、祈祷を見物し、晩飯を済ませると、もうやることは何もない。部屋にテレビがないのはもちろんだし、持っていたラジオには何も入らなかった。この時刻になると敷地内に人影はほとんどない。ソフィアへ戻るバスはとっくに出てしまっているし、大型バスの団体もいなくなった。レンタカーなどで来た観光客の姿をたまに見る程度である。
 そしてここからが、この僧院で最も味わい深い時間だと思う。
 聞こえるのは水くみ場の音と、鳥の囀りだけ。時間がたつにつれて鳥の声がしなくなり、辺りの暗さが深くなってくる。ふと、自分が寒さを感じていることに気付いた。昼間はTシャツで十分でも、夜は長袖を着ないと厳しい。私はベッドへ入る時、下着も上は長袖に取り替え、下には股引状の物を身に着けた。
 空気が清浄で周囲に人家などない山奥とくれば、夜は満天の星空を期待するところだ。しかしこれは意外にも、僧院の建物にある明かりのために見えなかった。回廊になっている部分が一晩中照らされており、敷地内の明るさは、昼間より少し気を付けるだけで問題なく歩けるほどだ。だが明かりの数が少ない場所へ行くと、ぼんやり天の川が見えた。
 朝は寒い。少し大げさにいえば、もう少しで吐く息が白くなるのでは、と思うくらいに気温が下がった。

 滞在を終え、ここを後にする日が来た。一旦ソフィアへ戻り、そこを経由してヴェリコ・タルノヴォへ行く予定である。朝8時台のリラ村行きバスへ乗ることにした。歩き方には「部屋のカギは出発日の10:00までに歴史博物館のスタッフに返却する」とあるが、まだ開館しておらず周囲に誰もいない。博物館の入口には外側に鎧戸、内側にガラス戸がある。鎧戸の隙間から手を入れてその間に鍵を落とし、バス停へ向けて歩きだした。
 

※本記事中の「歩き方」とは、「地球の歩き方」編集室の著作編集による「地球の歩き方」シリーズのA28『ブルガリア ルーマニア』2011年~2012年版(ダイヤモンド・ビッグ社、2011年2月改訂第8版)を指します。


ソフィア市街~リラの僧院 ブルガリア旅行7

2012年07月31日 | ブルガリア旅行(2012年6月、7月)
 ブルガリア旅行1で、バラ祭りなるものがこの国における最も著名な国際的観光イベントであると書いた。観光イベントの目玉がその祭りならば、観光スポットで最も国際的に著名なのは、間違いなくリラの僧院だろう。私がバラに何の興味もないことは既に述べたが、この「リラの僧院」や「リラ修道院」などと呼ばれる観光スポットについては、出発前の情報収集中に段々と関心を持つようになった。それはこの宗教施設へ、信者でもない外国人の個人観光客が、特に予約などせずとも宿泊が可能であることが分かったからだった。周囲に何もない、山の中にぽつんと存在する修道院。夜空の美しさや、朝の静謐さはいかばかりだろうか。そこで実際に修道士たちが寝起きしていた部屋へ泊まるのだが、建物や部屋の様子はどんなものだろうか。ここは宿泊施設としては特殊な部類に入ると思うが、料金が比較的安価である。この僧院を訪れ、1泊だけで引き揚げてしまうのではなく、2泊以上して雰囲気をじっくり味わうことは、今回の旅行中にやりたいことの一つとなった。

 まるで山奥の温泉にある一軒宿みたいな場所へ向かうわけだが、特別な準備は何も必要ないように思えた。ここへ行くためにやったことは次の二つのみである。すなわち、朝晩は冷え込むらしいので相応の防寒着を用意すること、そして、僧院の周辺にレストランはあるそうだが商店があるのか不明だったので、食料を持参することであった。

 現地語で、バスターミナルのことをアフトガーラという。ソフィアには幾つかあるが、そのうちのアフトガーラ・オフチャ・クペルという場所へ宿からトラムで行った。僧院への直行バスがここから10:20に出ていて、料金は11Lvだった。切符はドライバーから買うとの情報を事前に得ていたが、一応窓口へ行って「リルスキ・マナスティル」とブルガリア語で僧院の名前を言ってみた。即座に「Ticket, on the bus」との返事が来た。
 バスは、厳密にいえば直行ではなかった。途中にあるリラ村で、それまで乗っていた普通サイズの車両からミニバスへ乗り換えるよう案内された。その際に10分ほどの休憩があり、銀髪をオールバックにした渋いルックスを持つ運転手のおっちゃんが、煙草の箱に出発予定の時刻を書いて我々へ示した。乗客は外国人観光客がほとんどで、おっちゃんは英語を一言も話さなかった。
 ミニバスへ乗って出発を待つ。ドライバーのおっちゃんは顔馴染みらしい地元客と外で談笑している。私はいきなり座席を立って外へ出た。おっちゃんの真正面に立ち、彼が英語を話さないことは分かっていたので、無言でそれまで乗っていたバスと自分とを交互に指差した。おっちゃんはすぐに事態を把握したようだ。一緒に車両の所へ行くと、彼が鍵を開けてくれた。共に車内へ乗り込んだ。
 私は、旅行中にいつも持つカバンとは別の荷物にしていた食料を、車内の棚へ置き忘れたのである。もう少し気付くのが遅かったら、僧院滞在中は食事を全て外で済ませなければならなくなるかもしれないところだった。おっちゃんは、ほかにも忘れ物がないかどうか車内をチェックし始めた。

 首都のアフトガーラを出てから約3時間後、リラの僧院へ到着した。おっちゃんとこのミニバスとが再びソフィアへ戻る便になるらしく、彼は先ほどと同様に煙草の箱へ出発時刻を書いて、車を降りる乗客一人一人に見せている。こちらにも箱を示そうとしたが、私がリラ村で忘れかけた荷物を手に提げているのへ目をやった。それがスーパーの袋で、中身が食料であることに気付いたらしい。片手の手の平をこめかみに当ててその方向へ首を傾け、あんた、泊まるのか?とジェスチャーで訊いてきた。「ダー、ダー」と答えると、「ほーっ」というような声を出した。