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愛知県がンセターで内視鏡検査

2012-03-13 14:51:24 | Weblog
地下鉄を降りてがんセンターに向かう途中に白梅が咲いていた。
土手の石垣で判りにくいが、立派な梅で、これで2年連続で同じ梅の花を見たということになる。


今日は愛知県がんセンターに出向いて内視鏡検査をしてきた。
この内視鏡検査というのは何度やっても好きになれるものではない。
がんを患ってから何度したのであろう。
自分でも数え切れないが、何度やっても慣れるというものではない。
でも、自分ががんの保菌者?がんマン?がん患者であるとするならば、常に監視を怠るわけにもいかず、半年に一度の拷問に堪えざるを得ない。
「それほどまでして生きねばならないか」と問われると、「何時でも三途の川を渡る用意はできている」と大見えは切っているが、生きるということは自分一人のことではなさそうで、方々に影響が出るらしく、今のところそう無碍に迷惑も掛けられず、ああだこうだと躊躇している。
さて、所定の手順を踏んでベットの上に横たわると、後はもう「まな板の上の鯉」そのもので、口を開けて成されるままにしている他ない。
薄目を開けて先生の動作を観察すると、小声で回りの人と何か言っているがよくは聞き取れない。
こういう無意識の独り言というか、つぶやきの中に真実が潜んでいそうで、耳を澄ませて聞いていたが、特段に悪い事も言っていなかった。
仮に、悪性腫瘍でもあったとするならば、「あれ、これは何だ?」、「これはひどい!」とか、「これをよく見よ!」とか、という言葉が本人の知らぬ間に無意識のうちに出るに違いない。
それはともかくとして、内視鏡の管の途中から、針金のようなものを通して、検体を採取したので、生理検査に回すのだなと、私は察した。
その事は、顕著な腫瘍はないが、得体の判らない異変があることは確かだ、ということだと思う。
まあ今更命が惜しいわけでもないので、そう悲観することもなかろうが、暫くは要観察ということであろう。
次は4月5日に行かねばならない。
本日は検査が終わった後、どういうものかオナラが出て、オナラが出て仕方がなかった。
オナラだと判っていても、もし万一実が出てしまうと大変なので、その度にトイレに走らねばならず、まことに厄介であった。
帰りの地下鉄は故障で間引き運転され、この日は実に運の悪い一日であった。


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