「至高を味わう旅 ー 結城紬 x ロールス・ロイス」内覧会で、茨城県結城市にある明治四十年創業の老舗『奥順』を訪問した。
気の遠くなるような緻密な手作業を経て生み出される高級絹織物、結城紬。質実剛健で素朴な風合いの中に、そこはかとない美が宿る。"侘び寂び"を尊ぶ日本人ならではの美意識の結晶、優れた伝統工芸技術である。最高峰の二百五十 亀甲細工の結城紬は、もう作れる職人がいないため、価格は億を超え大変貴重なものだそうだ。
結城紬
結城紬を育む結城の地は、関東平野の中央・筑波山の裾野を流れる鬼怒川沿いの肥沃な土地で、古くから養蚕が盛んな織物の産地です。
結城紬の歴史は、「延喜式(えんぎしき)」「常陸風土記(ひたちふどき)」に記されている“長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)”まで辿ることができます。
朝貢として朝廷に上納されていた絁(あしぎぬ)とは、手でつむぎだした太糸の絹織物(=あしき絹)であり、現在も日本各地に残る、様々な紬織物の原形とされています。その古代からの作り方を未だにとどめているのが、この結城紬なのです。
絁はいつしか常陸紬と呼ばれるようになり、その質実剛健な風合いは、源頼朝や鎌倉時代から江戸時代まで結城を統治した結城家など、質素を尊ぶ武家に好ましく受け入れられました。
「結城紬」と呼ばれ商品として流通するのは江戸時代以降で、反物は鬼怒川の水運により舟で江戸の街へ運ばれました。当時の結城といえば男もので、大店の旦那衆や武士などに好まれ、江戸の「粋」という美意識をある面で支えていました。
江戸時代の終わりに「絣(かすり:模様のこと)」が織られるようになると、明治以降の結城紬は女性のおしゃれ着として進化していきます。絣の技術が高まると、亀甲模様を使っての柄表現が特徴とされ、縮(ちぢみ)織りの隆盛が見られるなど、生地の質感、デザイン、ともに様々な表現が花開いていきます。
結城紬は、1956年(昭和31年)に「糸つむぎ・絣くくり・地機(じばた)織り」の3工程が国の重要無形文化財として指定。卓越した技工は世界的にも守るべき貴重な技として、2010年(平成22年)にはUNESCO無形文化遺産にも登録されました。(奥順HPより)
気の遠くなるような緻密な手作業を経て生み出される高級絹織物、結城紬。質実剛健で素朴な風合いの中に、そこはかとない美が宿る。"侘び寂び"を尊ぶ日本人ならではの美意識の結晶、優れた伝統工芸技術である。最高峰の二百五十 亀甲細工の結城紬は、もう作れる職人がいないため、価格は億を超え大変貴重なものだそうだ。
結城紬
結城紬を育む結城の地は、関東平野の中央・筑波山の裾野を流れる鬼怒川沿いの肥沃な土地で、古くから養蚕が盛んな織物の産地です。
結城紬の歴史は、「延喜式(えんぎしき)」「常陸風土記(ひたちふどき)」に記されている“長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)”まで辿ることができます。
朝貢として朝廷に上納されていた絁(あしぎぬ)とは、手でつむぎだした太糸の絹織物(=あしき絹)であり、現在も日本各地に残る、様々な紬織物の原形とされています。その古代からの作り方を未だにとどめているのが、この結城紬なのです。
絁はいつしか常陸紬と呼ばれるようになり、その質実剛健な風合いは、源頼朝や鎌倉時代から江戸時代まで結城を統治した結城家など、質素を尊ぶ武家に好ましく受け入れられました。
「結城紬」と呼ばれ商品として流通するのは江戸時代以降で、反物は鬼怒川の水運により舟で江戸の街へ運ばれました。当時の結城といえば男もので、大店の旦那衆や武士などに好まれ、江戸の「粋」という美意識をある面で支えていました。
江戸時代の終わりに「絣(かすり:模様のこと)」が織られるようになると、明治以降の結城紬は女性のおしゃれ着として進化していきます。絣の技術が高まると、亀甲模様を使っての柄表現が特徴とされ、縮(ちぢみ)織りの隆盛が見られるなど、生地の質感、デザイン、ともに様々な表現が花開いていきます。
結城紬は、1956年(昭和31年)に「糸つむぎ・絣くくり・地機(じばた)織り」の3工程が国の重要無形文化財として指定。卓越した技工は世界的にも守るべき貴重な技として、2010年(平成22年)にはUNESCO無形文化遺産にも登録されました。(奥順HPより)