ONE OF A KIND

唯一無二

能「三輪」

2019-01-01 08:00:00 | 能 Noh

この能の舞台は、奈良県の三輪の里である。三輪山全体をご神体に戴く三輪の里は、神秘性をたたえ、幻想的な気に満ち溢れている。三輪山西麓には、大和・柳本・箸中古墳群といった巨大古墳が集中していて、古代神話の故郷でもあり、現在の能楽の諸流儀の母体となった大和猿楽の諸座も、この里の近隣を発祥の地としている。
能「三輪」は三輪山伝説を下敷きにしている。三輪明神は男神であるのが通説であるが、能では三輪明神は女神と成り、男神と思しきものとの恋に破れる。しかも恋に破れて天の岩戸の中に閉じこもってしまう。「思へば伊勢と三輪の神 思へば伊勢と三輪の神 一体分身のおんこと いまさらなにといはくらや」と結ぶ。観世清和氏による迫真の舞。幻想の世界に惹き込まれ、「その関の戸の夜も明け かく有難き夢の告 覚むるや名残なるらん 覚むるや名残なるらん」の通り、夢から覚めるのが名残惜しく、しばし余韻に浸っていた。

大神神社

能『定家』

2018-02-05 08:00:00 | 能 Noh

後白河法皇の三女で幼くして賀茂の斎院に選ばれた式子内親王(しょくしないしんのう1149~1201)と、当時最高の歌人として有名な藤原定家(ふじわらのていか1162~1241)の死後も続く恋物語

皇室の姫が自由な恋愛など許されるわけもなく、ましてや神に仕えていた身。定家との恋愛は、儘ならぬ忍ぶ恋であった。能『定家』の舞台の中央には、二人の関係を暗示する存在として、定家の妄執が蔦葛(つたかずら)となってまとわりついた内親王の墓が置かれている。神に近い存在の女性との許されない関係について、曲の中で内親王は、「邪淫(じゃいん)の妄執」と語る。

観世清和氏の解説
「演者としては、もだえ苦しむ内親王の苦悩を伝えなくてはなりません。呪縛が解けない状態ではあまり動かず、定家の怨念がいかに激しいかを演じます。その業(ごう)の深さを通して、一人の女性の弱さを表現します。僧が供養するために読経を始めると、少しずつ身体を動かし、次第に自由になっていく様を見せます。そしてこの演目の見せ場である報恩の舞(序の舞)を舞うのです。この舞も解放の喜びを体中にみなぎらせた舞というよりは、どこか抑制された感じで舞わなくてはなりません。
ーー定家との情熱的な思い出、その後の苦しみ、読経の功徳によって内親王にもたらされた解放感。しかし、舞を終えた内親王は再び墓に戻ろうとします。ーー
内親王が愛欲地獄から抜け出したわけではなかったことを暗示する極めて重要な場面です。解放されたかに見えた内親王が再び定家の妄執に囚われていく過程を示していきます。同じ男女の愛欲を扱った作品でも、『井筒』のような世阿弥作の能であれば、一番華やかだった時代を思わせる美しい舞を舞わせて霊を慰め、供養してあの世に送り返して終わります。しかし、『定家』はそうではありません。いったんは呪縛が解けたと喜びの舞を舞わせるのですが、結局、内親王は墓に戻り、再び定家葛が這(は)い回ってついには墓を覆い隠してしまいます。」


「玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らえば 忍ぶることの 弱りもぞする」 式部内親王

「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」 藤原定家




*内親王と定家の恋の物語は、さまざまに語り継がれている。