江戸時代まで、日本には髪飾り以外に装身具をつける文化がなく、つくる職人もいなかった。※1文明開化により洋装が入り、皇族や華族がジュエリーを身に着けるようになってからも、しばらくは輸入品に頼るしかなかった。時を同じくして、明治維新により武士の時代が終わり、1876年 明治9年に廃刀令が発布される。職を失った刀装具職人たちは、それまで作っていた刀の鍔や目貫などの彫刻 鍛金 錺の技術の全てを自由自在に用いて、日本独自の西洋式装身具づくりを始める。
1937年のパリ万国博覧会で話題を集めた『矢車 』帯留を基本に、12通りの使い方ができる多機能ジュエリー。部品の分解・組み立てにより全く異なるジュエリーに変化する。日本人にしか生み出せない日本ジュエリーの最高傑作である。
※1ここでの装身具とは西洋のジュエリーのこと。日本では縄文時代から耳飾や腕輪などの装身具が見られ、古墳時代には鍍金の施された鮮やかな金銅製装身具が作られた。装身具を用いて着飾ることは一部の民族・文化から広まったのではなく、世界中で見られる現象である。それらは埋葬されている物や壁画、伝統的装飾品などからも伺うことができる。元々は花や木の実、貝殻、動物の歯、牙、角などを加工、組み合わせて作っていた。
矢車 ミキモト MIKIMOTO


