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泉鏡花『歌行燈』を読んで

2018-09-10 11:25:21 | 読んだ本
    泉鏡花『歌行燈』              松山愼介
 この作品は明治四十三年に発表されているが、それ相応の知識がないと読めないと思われる。大衆向けの作品ではなく、玄人向け、あるいは、戯曲にされることを前提に書かれたのではないだろうか。
 最初に登場するのは、《年配六二三の、気ばかり若い弥次郎兵衛》、連れはやがて七十(ななそじ)になる老人(どうだ、喜多八)。この老人は捻平と呼ばれ、小父者(おじご)とも書かれている。この二人の本当の名前が判明するのは、二十節の終りで、年上は七十八歳の翁、辺見秀之進、《雪叟とて隠居した、小鼓取って、本朝無双の名人》で、《小父者は能役者、当流第一の老手、恩地源三郎》であり、《この二人は、公爵津の守が、参宮の、仮の館に催された、一調の番組を勤め済まして、あとを膝栗毛で帰る途中であった》と明かされる。読者はそれまでは、この弥次喜多道中に模された二人は何者かという疑問を持ちつつ読んでいくことになる。また、恩地源三郎の甥(養子)の名前が《喜多八》なので、一層、ややこしい。
 この二人が、途中で博多節の門附が熱い酒を一杯やっている饂飩屋の前を通り過ぎてゆく。この門附は、道を通る按摩を気にしている。その饂飩屋の前を芸妓が通る、彼女は《山田の新町から住替えた、こんの島屋の新妓》である。作品の半ばで、ようやく登場人物がでて、門附が、按摩に揉まれながら、身の上を話すという段取りとなる。この門附が、按摩の惣市、宗山を懲らしめるところが、物語の山場となる。
 この宗山、《江戸の宗家も、本山も、当国古市において、一人で兼ねたり、という勢いで、自から宗山を名告る天狗。高慢も高慢だが、また出来る事も出来る》という按摩である。門附は、維新の世変わりに能楽師たちが没落し、そこに小金を溜めた按摩が母親を追い廻していたので、按摩に恨みを持っている。道々で、この宗山が妾を三人も持っていると聞いて、怒りが爆発する。
 宗山が、謡始めると、喜多八は、《膝をちょうと叩いて、黙って二ツ、三ツ拍子を取る》、素人は《盲目聾》で気にしないが、謡の心得のある者だと、一気に調子を崩されてしまう。ついには《真俯向けに突伏》して、《長々と舌を吐いて、犬のように畳を嘗め》る仕儀となってしまった。その後、この宗山は《七代まで流儀に祟る》という遺書を残して鼓ケ獄の裾で憤死してしまった。この事件で喜多八は勘当され、諸国流浪の身となる。
 宗山の妾と思った、お袖は島屋の新妓、お三重になっている。このお三重が、門附をしている喜多八の博多節を聞いて、感動し頼み込んで、宗山が憤死した場所で、舞を教えることになる。偶然、恩地源三郎が宿に芸妓をよぼうとしたが、皆な出払っていてお三重が行くことになり、舞を見せることになる。その舞を、ひと目みて恩地源三郎は、喜多八が教えたのを感じ取る。喜多八もこの宿に吸い寄せられ、恩地源三郎と再会することになる。最後の場面が分かりにくいが、宗山の霊が、喜多八の足元に居るようにも読める。
 このように、読み解いてきたが、実は映画『歌行燈』(衣笠貞之助監督、市川雷蔵、山本富士子)を参考にしている。映画では、話の流れが、小説とは違って、いわば後ろから始まっている。つまり、喜多八が宗山を懲らしめるとところから始まり、鼓を打って宗山のリズムを崩している。実に物語を分かりやすくしている。泉鏡花は「東海道中膝栗毛」を愛読していたというが、あまりにも難しく書いているという印象を持ったが、これが当時の主流だったのだろうか。
 この二、三年、何度か歌舞伎を見る機会があり、能も一回だけ見たことがある。歌舞伎は劇と、謡に合わせる舞とがある。この謡が素人には、なかなか聞き取れない。能は事前にあらすじを調べ、能楽堂で配られるパンフで謡(セリフ)を確認しながら見るという努力を強いられ、楽しむまでには至らなかった。泉鏡花の時代には、このような謡を庶民が楽しんでいたのだろうか。最近、NHKで再放送されている『カーネーション』で、モデルになっているコシノジュンコの祖父(小林薫)は謡を教えていた。当然、娘の結婚式では「高砂」を謡っていた。
                           2018年7月14日

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