野田醤油争議(その九) 総同盟本部と協調会 1927年の労働争議(読書メモ)参照「協調会史料」 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉 『ぼくたちの野田争議』石井一彦
総同盟本部の姿勢を会社が調査の対象にしないわけがない。1923年には総同盟・反総同盟挙げて野田争議を応援した。しかし1924年以来の総同盟の左右の対立、1925年総同盟の分裂、日本労働組合評議会結成 . . . 本文を読む
労組の男〜最後の闘い「人殺し以外なんでもやる!」68歳札幌の労組の闘士に密着!
日本最強の労組の闘士、鈴木一(すずきはじめ)さん68歳。100以上の組合を立ち上げ、労働者のために人生を捧げてきた34年。「不当な扱いを受けた労働者のためなら人殺し以外なんでもする」。 鈴木の最後の闘いは千歳市のバス会社の労使紛争。 低賃金にバスの不正整備、産業廃棄物の不法投棄など会社のずさんな体制に立 . . . 本文を読む
野田醤油争議(その八) 「父ト共ニ戦ニ立ツ」546名児童の同盟休校 1927(8)年の労働争議(読書メモ)参照「協調会史料」 「日本労働年鑑第10集/1929年版」大原社研編 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉
1927年12月17日、野田醤油争議団は、野田小学校の学務委員の多数を占める茂木一族と町長が公務上の地位を忘れ争議団攻撃に明け暮れていること、 . . . 本文を読む
写真・争議団と家族会5千、よってたかって宮内省へ大押し出し闘争(1928.4.1)白手ぬぐいの頬かむり、子供を背負う女も少なくない。同盟休校中の子供たちも大挙してきた。
野田醤油争議(その七) 闘い② 「よってたかって宮内省へ大押し出し闘争」 1927(8)年の労働争議(読書メモ)参照「日本労働年鑑第10集/1929年版」大原社研編 「協調会史料」 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野 . . . 本文を読む
写真上①争議団本部(労働学校)に押し寄せた野田支部労働者とバルコニーから演説する小岩井争議団団長
写真上②第十七工場前に座り込むピケ隊(右端には白の制服警官もピケ隊に向いて椅子に座っている)
写真上③スト突入をしらせる東京朝日新聞記事(1927.9.17)写真上④争議団「行商隊出発」
野田醤油争議(その六) 闘い①「工場煙突のてっぺんに突如赤旗ひるがえる」 1927年の労働争議(読 . . . 本文を読む
第十七工場新築披露祝賀会
野田醤油争議(その五) 憎さ百倍となった会社の大巻き返し 1927年の労働争議(読書メモ)参照「協調会」史料 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉 『野田争議の顛末』野田醤油株式会社
1921年以来の野田醤油労働者の決起と闘いの前に、野田醤油株式会社は御用団体結成も失敗し、特に小泉暗殺謀略事件で世間から袋叩きにあい、社会的にもすっかり . . . 本文を読む
野田醤油争議(その四) 資料 1927年の労働争議参照「日本労働年鑑第10集/1929年版」大原社研編 「協調会」史料 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉 『野田争議の顛末』野田醤油株式会社
野田醤油株式会社 千葉野田の地に醤油醸造が始ったのは300余年の昔のことで、特に名が知られたのは徳川時代の中頃であった。特に利根川、江戸川の間にあって舟便の良 . . . 本文を読む
東京ブギウギ (1955年 )
NHK朝の連続ドラマ『ブギウギ』 高野山ろう城闘争の笠置シヅ子 頑張りガール! と お詫びガール!参照・「日本労働年鑑第15集/1934年版」大原社研編
東京浅草松竹座の少女歌劇部湯河原温泉ろう城闘争 10月2日から、ブギの女王笠置シヅ子をモデルにしたNHK朝の連続ドラマ『ブギウギ』が始まりました。1933年(昭和8年)6月13日、東京浅草松竹座の少女歌劇部(後 . . . 本文を読む
学習会『野田醤油争議』戦前最長216日間1千名の大ストライキ
動画・学習会『野田醤油争議』戦前最長216日間1千名の大ストライキ
有志が集って「みんなが教師となり生徒となる」戦前労働運動学習会第10回目(2016年7月23日)は、「戦前最長のストライキ野田醤油争議」でした。この日の教師は菅野存(東部労組委員長)さんです。講演は38分にまとめてありますが、報告と今の私達自身への問題 . . . 本文を読む
「汚染水はなぜ流してはならないか」小出裕章講演会
この動画本当にお勧めです。「汚染水はなぜ流してはならないか」小出裕章講演会。小出さんの誠実なこの講演を今こそぜひ聞いてください。
福島で55年間漁師をしておられる小野さん「福島の海へ、かつてに放射能汚染水を流すな。最悪なパターンをなぜ国が行うのか。神聖な大事な海を汚さないで欲しい」の叫びが胸をうちます。 . . . 本文を読む
野田醤油争議(その三) 関東醸造労働組合の創立 1927年の労働争議(読書メモ)参照「協調会」史料 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉
関東醸造労働組合創立 1921年12月に野田醤油における日本労働総同盟野田支部の結成と闘いの勝利は、その後行徳町の第16工場労働者も加入したことで野田醤油全労働者の完全なる組織となった。小泉七造と野田支部組合員はつづいて関連会 . . . 本文を読む
写真上・二列目右のネクタイ姿が小泉七造(野田支部長)、中央に小岩井相助(野田支部主事、1927年争議時の争議団団長)下・野田争議団家族慰安子供演劇会(1924年)
『野田の奴隷を解放せよ』と刻苦奮闘した小泉七造。野田醤油争議(その二) 1927年の労働争議(読書メモ)参照「協調会」史料 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉
偉大な先輩小泉七造の努力 北海道の室 . . . 本文を読む
野田醤油争議(その一) 奴隷から人間へ 1927年の労働争議参照「協調会」史料 『野田血戦記』日本社会問題研究所遍 『野田大労働争議』松岡駒吉
醸造労働者の過酷劣悪極まる労働環境野田醤油 1927年当時、茂木一族の野田醤油株式会社は野田町に16ヵ工場、行徳町に一工場、流山に味噌工場、朝鮮仁川にも工場を持っていた。醸造工1,145人、桶工202人、火夫103人、大工40人、河運送83人、陸運送 . . . 本文を読む
今、戦前最長のストライキ、1927年の野田醤油争議を勉強していて、どうしても気になる方に、野田醤油の労働組合、労働運動の創立者と呼ばれている小泉七造がいます。彼は室蘭日本製鋼所の旋盤労働者で、友愛会室蘭支部の会員として日鋼室蘭争議を果敢に活躍した闘士でした。1919年の争議の時、日鋼室蘭を追われた多くの労働者の中のひとりでした。彼はその後単身千葉野田町で機械工として働き、あるいは石鹸を行商し . . . 本文を読む
圓
写真集 野田醤油争議現地訪問
今後の予定として戦前最長のストライキ、1927年の千葉の野田醤油争議を学んでいきたいと考えています。この写真集は2016年8月11日、東部労組菅野委員長に案内してもらった時のものです。待ち合わせの東武鉄道野田線の野田市駅に降りた時、醤油のにおいがします。常々、野田市駅から醤油のにおいがすると聞いていたので少し感動です。 上の2 . . . 本文を読む