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受験シーズンという山。

2020年02月26日 | むすこ

夫は塾講師をしているので、子供の長期休みと受験シーズンはほぼ家にいない。特に冬休みから2月中旬までは見かけることが稀なレアキャラとなる。

そんな中、わたしは去年息子を骨折させた。つまらない言い争いからの虐待案件となり、児童相談所、警察、小学校、病院、療育センター…針の筵とはこのこと? 確かに手をあげた、やっちまった、悪いのはわたし。

冬休みからたまりにたまったストレス、ストレスの発散もしているつもりでいたけれど、楽しみにしていたイベントがあったからそれを楽しみに頑張っていたけれど、頑張り切れなかった去年の冬。

家出すると息巻く息子を止めるためコヅキあいから、息子は廊下で滑ってバランスを崩し、打ちどころ悪く鎖骨骨折。

鎖骨骨折。ついでに胃腸炎。

 

何から話せばよいのでしょう。

息子が家出する、家を飛び出し、行方知れずになったことは3歳ころから始まった。そのころから、何度も行くあてのわからない息子を探し回った経験。あの徒労、疲労、なんとも言えない気持ち。心配と怒り。なんで?なんで?なんで?と走り回り、どこ?どこ?どこ?と歩き回る。

何度もあったそのことが、その日息子を外に出してしまうと、また探しに出なくてはならないとこが耐えられなかった。

自分の気持ち、自分の抱え込んでいるもの、そういったことは全部、その時はコントロールできないものになっていた。結果、鎖骨骨折。

 

あれから1年たった。怪我をさせたのは去年の2月2日昼過ぎ。覚えている、何度も何度も病院、学校、児相、療育センター、心理士、警察、ソーシャルワーカー、保健師、役所職員…何度も同じ話を繰り返し繰り返し話をさせられた。まるで禊とか懺悔の告白。

そこから、1年たってわたしは変わったのかな。

怪我をさせてしまったことの後悔はもちろんあるが、それ以降まったく怒鳴らなくなったわけでもないし、暴言を浴びせていないわけでもない、暴力も全くなくなってはいないような気がする。

どこまでが親の愛なんだ。ADSの息子にどうやって付き合っていけばいいのかと模索して考えて、言葉を選んで、ここまでやってもまだ息子には届かないのかという絶望が毎日有って、それは解消されることなく積み重なっていく。

ホコリみたいにいつの間にか積もっていて、さぼっているとアッと今に取り除くことをしないと駄目なものになっている。払うだけではそれは舞い散るだけで、掃除用具を取り出し吸い取るなり、雑巾で取り除くなり、厄介な何かをしないと駄目なもの。

厄介な気持ちは変わるし留まるし、流される。自分のしたいことすら、自分の好きすら、魅力が陰って億劫なものになって、全部投げ出したくなる。

そうなる前の対策として、今年の受験シーズンは子供に怪我をさせない、怒鳴らない、叩かないために、子供とたくさん話をした。こういうことが起きたらこうしよう、こうしてほしい。わたしの側からと子供の側からお互いに、どうしようという計画をたてた。

子供たちの年齢と社会経験が成長となっていて、今年の受験シーズンはなんとか乗りきれたように思う。

だけど、終わったわけではない。

夫が仕事を変えない限り、受験は毎年やってきて、そのうち、わたしの子供も受験生になるときも来る。どうなるんだろうね。来年はどうなるんだろう、今年よりラクに乗り切れるのかな。わかんないね、私自身も、自分がわからないもん。

たのしくわらってゆるゆると。

そんなふうに過ごしたいっていつだって思っているけれど。実際にはイライラの毎日だもん。

わたし、なにと戦っているんだろう。

 



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