誰かの役立つかもしれないし、役に立たないかもしれない。

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「親であること、毒になること」とちゅう  #毒親かもしれない

2019年03月02日 | 日記

親であること、毒になること  #毒親かもしれない

このイベントの司会はリカヤさんという男の人で、俳優をやっていたりするらしいのだけれど、わたしのイメージは月花さんチーム、という感じで、なんというか世の中って狭いな。サブカルの世界にいる人たちはフォークダンスを踊っているみたいって友人が言っていたのだけれど、時を超えてもなおダンスは続いているのだな、など思いながら席についている人たちをチラチラとみていた。一方的に私が知っているだけのことでありなんとなく覚えているけれど、きっと覚えていないだろうなというような1、2度同じ場所にいたことがあったり、共通の知人がいてあいさつしたことがあったり、といったような人たちも会場にいた。

会場には赤ちゃん~乳児くらいの子供を連れていたひとがいて、ものすごくうらやましく思った。わたしにはできなかったことをしている、興味や好きを子供を理由にあきらめない親がそこにいて、会場に来ている大人たちがそのことを非難していなかった。わたしの感想でしかないけれど、気づかないところでイラッとしている人もいたかもしれないけれど、多くの人が子連れで来ていることをあたりまえに受け入れていた。

この空気感がいつでもどこでもあればいいのに!

 

毒親をテーマにつばきさんとりかさんがお話をして、司会のリカヤさんが男性側の意見?主張?感想などをポンポンと投げ入れ、いいリズムだったの。ただ・・・わたしはトークショーというものは初体験、初参加だったのでよくわからないのだけれど、来場客の発言にイベントのリズムが崩されていやだった。壇上からの問いかけであったからそのお客さんは答えたのであろうけれど、わたしからしたらお前の話なんぞ聞きたくないわ、ともう本当にいやだった。言いたいこと言って、言ってやったわ!って感じもダメだった、苦痛だった。リカヤさんその人を止めて!って念じたけれど通じなかった・・・。そりゃーそーだよねー。

質疑応答の時間を作る予定でいますので、講義中の発言はお控えください。わたしは療育のセミナーに参加するとスクリーンに注意書きとしてこの一文が必ずある。司会もこれを読み上げる。講義が時間内におさまらなかったときはごめんなさいと司会が謝って質疑応答の時間は割愛される。トークショーとセミナーは違うのかな? わたしは5秒でも多く壇上ふたりの言葉を聞きたかった。

それでも、そういうこともあると学べたし、トークショーとはそういうものなのかもしれないし。これも体験・経験。

りかさんの男の子は2歳から臭い、という発言にめちゃくちゃうなずいた。うちの息子も靴の臭いは2歳くらいから漂い始めていた。大泉さんは男児を育てていて、つばきさんは成人を過ぎたお嬢さんを育てたという、子供の性別が違って、子育て時期も違って、年齢が違ったり、時代背景も違う。なので、ふたりのお話が正反対だったりもするのだけれど、絶妙に噛み合うというか支えあうというか。リカヤさんマジックか? とにかく誰も敵にしない感じで毒親について語られていく。

飛び出す発言は興味深くうなずけることもあれば、当てはまらないこともあったりで、あたりまえなんだけれど。来ている親を壇上にいる出演者はアウェーにしないでいてくれたように思う。だからかな、そこに客の主張が邪魔に思えちゃったかな、それが残念だった。でもこれもわたしの勝手な感想でしかないので、なんともなー。だれのせいってことでもないな、うん。

(つづく、かも)

#毒親かもしれない


「親であること、毒になること」がはじまった  #毒親かもしれない

2019年03月01日 | 日記

親であること、毒になること

このイベントのチケットを取った後、このイベントの開催の前に、わたしは7歳の息子を突き飛ばして鎖骨骨折させた。

理由はいろいろあったとしても「突き飛ばして骨折させた」事実は曲がりようもない。その時のわたしは感情だけだった。それは支配欲で、子供に言うことを聞かせたい思いが強くて、言うことを聞かないことに怒ってもいた。あれから、時間がたつことで、その間にいろいろな人と話す中で、落ち着いて振り返ることもできるのだけれど。これはまた別に書く。

 

息子にした暴力は毒なのか。

叩いて叱って育てられ育てていた世代(家庭)、叩かず叱らず育った世代育てている世代(家庭)。それぞれすぎてこれが正解なんてない。暴力はだめってことはわかっているけれど、でこかでつい手が出ちゃうってあるとか、そのあと謝ればいいとか、抱きしめたらいいとかいうけれど、子供の側からしたら理不尽でしかないよな。

暴力はだめだけれどDVと親が感情が高まってワッとなって手をあげてしまうのは同じに話すべきではない

そのようなことをつばきさんが言っていた。

電車の席にこどもが靴で上がったらどうする?

りかさん:シートがかわいそうだよっていう、シートさんにいいこいいこして、って

つばきさん:次の駅で降りる

わたしはつばきさんよりの考え方でいて、子供と出かけるのがとてもつらかった。子供をお行儀よくさせられない自分がダメなんだって思っていたし、言うこと聞かない子供を外に連れ出すことで、周りに迷惑がかかることをとても気にしていた。今はね、もっとお出かけしてよかったんだよな、って思うの。あの時できなかったから、というものあるけれど。子供は言うことを聞かないってことをわたしが知らな過ぎた。だから、赤ちゃんの頃にもっとでかけてもよかったのだろうな、って。外に出して人の目にさらされる勇気がわたしにはなかった。

子供よりの考えというものをもっていなかったし、自分がちゃんとできている親だと思われたい、こどもが大人にとって扱いやすい子がいい子なんだと思い込みすぎていた。わたしの子育てスタートは最初から勘違いだったのだな、と振り返れる。

りかさんのモノを擬人化させる手段は、2~4歳児くらいの療育手法の中にもある。もし今はそういう子育てがあたりまえなのだとしたらとてもいいなと思った。例えば、中身の入ったコップを倒しちゃったときに「なにやってんの!」ではなく「ふけばいいんだよ」って親が怒りを解放出来たり、なにか物落としたら「ひろって!」ではなく「たいへん、逃げちゃうからうからつかまえて」みたいに親がことば変換を自動でできたらいいのだけれど、わたしは「なにやってんの!」「ひろって!」と真っ先に言っている。

知識としてあるけれど、実践できていない。実践したほうが格段に子供との関係は保ちやすい、でもわたしにはストレスになる。子供がいくらかわいいって言っても、子供のことを一番にってわたしは思えていないのだと思っている。

 

#毒親かもしれない