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一時保護の解除

2021年03月01日 | 子育て

児童相談所による一時保護から3ヶ月が経った頃、保護解除の知らせが突然出てきた。

理由は子供を返しても良しという、会議での判断。

その会議に提出されたのはワタシの描いた子供達への4Pのマンガだった。こういうことがありました、これからはこうしていきましょうという内容。セリフや言葉はすべて児童相談所職員の支援課の人が指定したもの。

この文章に絵を付けてくださいという、機械的な仕事の押し付けのような、禊のための行為。これにいったい何の意味があるのだろうか。

児童相談所の会議突破に必要なのは「親が反省しているふり(演技)」

クソくらえと思った。簡単に絵を描くことを強要されたこともわたしを傷つけた。

でも、そんなことも言ってられない。夫は子供を1日でも早く子供たちを返してもらう事だけに焦点を当てて行動していた。わたしは子供が帰ってきたとしても、このままでは変わらない生活について、だった。

 

10月12日に一時保護になり、年が明け、1度子供たちとの面談がありその1週間後、1月27日子供たちは家に帰ってきた。

 

学校とのやり取り、放課後の過ごし方、びっくりするぐらいアッという間に話し合いの席が持たされ、子供たちにとっての最善だけがテーブルの上で話あわれていった。

家庭のことなど置いてけぼりだ。わたしのメンタルは精神科への通院と心理相談だけに任され、これは、子供が一時保護以前から変わっていないことだ。精神科に通い、薬を飲み、心理士に話をする。それで、いったい何の解決になるのか、なったのかわからない。

 

子供達が帰ってきて。嬉しさはあるし、愛おしいとも思う。でも、子供のいない日々はわたしにはとても快適だった。好きな時間に好きなことができる。今はできない、それでもかけがえのない子供との暮らしがある。子供が保護されている期間にわたしは自分をずいぶん取り戻したけれど、その時間はわたしにとっては必要な休暇だった。

その休暇はこの先も必要と、わたしは思うけれど。そううまくはいかない、という事は知っている。だって、もう、子供との暮らしはつらい。

残念なほど、わたしは子供との暮らし向きではない。

 

一時保護がどういう場所なのかは、子供からの話によって少しだけわかった。市区町村によってもちろん違いはあるのだろうけれど、保護所にいる子供達は名字を明かさない、きょうだいであることも明かしたりはしない。男女は別行動。一緒の時間は学習時間くらい。幼児~高校生までいる。テレビも見られるし、マンガもある、DVD鑑賞もさせてもらえる、でも内容が暴力的・性的なものはないらしい。(性的を我が家子がどれほど理解しているかは不明だけれど)

遠足的なレクリエーションや発表会のような催し、クリスマスにはプレゼントをもらったそうだ。

親から子供への手紙は職員がまず読み、内容がそぐわないと職員が判断したら渡してもらうことはできない。

たくさん書いたけれど、子供に渡った手紙は2通だった。

 

子供を返してもらえない怒りがあったころ、淋しさを埋めてくれたのは鬼滅の刃だった。鬼滅の刃という作品がなかったら、わたしはつぶれていた。そして自分を取り戻すこともできないでいた。

子育てで何が必要なのか、たくさんあるだろうけれど。子育て云々の前に、自分が自分らしくいるための時間を持つことが必要。だけれど、子育て中は子供のために自分を犠牲にしてしまう、意識していなくても、自分をゆっくりと殺していくような日々の繰り返しなんだと思う。無意識のうちに、親としてこうあるべきだという呪縛を自分に課してしまう。

そうならず、うまく折り合いや落としどころを見つけて生きていかれる人もいるだろうけれど、わたしには無理だ。

この先もきっと躓く。

それでも、子供のいない時間に取り戻した自分のままでいたいなと思う。それは子供たちにとってはどう映るのかは知らない。答えはきっとずっとわからないまま日常が続く。

ただ、子供たちは今日も元気だ。