サンチョパンサの憂鬱

未解決エンジン

潜在需要を掘り起こし、それを追及する事が出来る人間は、結果的に他者の潜在需要に気付ける人間でもある。

人間の価値は……その自分の心中にある需要、欲求を未解決のままどれだけ抱え続けられるか?にある……。

人間の上達をこの抱えている未解決が牽引していく訳だけど、事は……そう簡単じゃない。
未解決は、その状態に慣れるまでは非常に違和感を感じるし、心地よくないのである。

『分からない』という状況は、とても座り悪く、不快を感じるのである。
だから大抵の人間はその未解決を自分から放り出すのである。大抵の人は全ての事が『分かっていて』、自分のコントロール下にある事を好むのである。

その状態は、自分と慣れ親しんでいて
慌てる事もなく、迷いもなく、計算が立つのである。
しかし、それはまた飽きと退屈を呼び込む原因にもなる。

少年は老い易く学は成り難いものである。

年齢と共に、新しい時間に於ける未解決を受け入れ、少しずつ解明することで人間は進化し、深まるんだけど、何しろ未解決は厄介だ。
だからテーマとして採用せずに、埒外に於いて知らん顔も出来る。

自分には新たな必要もあるけれど、何とか放置して『今迄によって』対応してしまう人が多い……。

そうすると……自分は何を欲しているか?よりも、今あるモノで自分を演って見せれないか?……に行動原理はなる。ま、体の良い包装紙だけ変えて変化に見せるの術、という訳である。

それならいっそ実際に変われば良いのに?……なんて言っちゃいけない。

そんな人達は、そこ一番の劣等感なのである。だから手軽なユニバーサルスタジオでギャーッと叫び、ディズニーランドで『感動する事』がウケる。

しかし、人間は実感がないと、幾ら誤魔化そうと、虚しさは透けて見えるのである。だからそんな人達は一様に寂しそうなのである……。

そうして時間を過ごし、自分の潜在需要に無頓着を装い生きた人達はある時期から誤魔化し様の無い軽さ、底浅さを露呈する事になる。

それと共に、常に苛立ち焦る様になる。『私の人生はこのまま終わり?』という心理に取り込まれるのである。
ならば取りに行けよ!と思えども、『無い袖は振れない』のである。

自分の潜在欲求、需要の求め方が分からない?のである。
其処らに日々溢れ出てくる、供給コンテンツの中から何か?を探そうとする……。
何処まで行ってもそんな人達は他者から『貰おうとする』のである。

欲しい!と求めないのに世の中はくれないし、そこらで買えるものは自分の未來を作ってはくれない。それ使って作るのは自分だからだけど……。

欲しがる……というのは人間の原初的な欲求だと思うけど……日々、溢れる供給コンテンツを浴びる続けると……そのハングリーを失うのかも知れない。

未解決……それこそが人間がハングリーで在り続ける為の特効薬なんである。
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