サンチョパンサの憂鬱

夕刻のサンチョパンサ……fake fun…偽造の楽しみ(2)

先日、メンタリストDaiGo君のYou Tubeから『心から人生を楽しめていない人』…その原因は偽造の楽しみにある?という話を書いた。

この国に限らず……世界的に『本当の感情で生きている人』は少ないんじゃね?それも極々少数しかいない。

友人の高校教師と話していてそんな話になった。『楽しむこと』だけじゃなく『生きている価値観が自分の本心発って人』が少な過ぎるよね?……と。

前編に書いた和田秀樹さんの話とも相まって『東大医学部卒業の人達』か退職して大いに慌てふためいてる?という記事にも話は及んだ。

『東大』と『医学部』という二つの最強ブランド。しかしその肩書を以て退職まで生きた彼等は何故?しあわせではないサンプルに成り果てたのか?……。

結局コレも彼等がfakeの価値観を生きたからだろう?
次の就職先が中々見付からないと焦れている彼等。それもまた彼等の『自前ではない価値観』、権威ある肩書を欲しがるからに他ならない。

六十過ぎて慌てふためく羽目に陥る人生を生きなきゃならなくなった彼等。
冷静に俯瞰してみると東大って必ずしも賢くないかもね?なぁ~んて話になった。

フェイクじゃない価値観で彼等がそこまでを生きたならば……我、ここに在り!ってな風情で威風堂々と生きてる筈である。

自分の存在感を大学名とか地位・職責を掲げなきゃ感じられない?なぁ~んてのは余りにも『暗愚の仕業』なんじゃね?……と。

自分の心を考える横着の成れの果てである。
『人が良い』という『モノ・ゴト』を疑いもせず『自分の価値観モドキ』として楽をした結果なんだと思う。

歩きながら忙しなくスマホをタップし続ける人々。
自分がそれを求めていることにして日々、『他人仕様の価値観』をひたすら『こなしている時間』を過ごしている結果として……『嘘臭い社会』はギチギチにフェイクで塗り固められ完結しているのである。

『思い悩むことの無い時間』を『しあわせと設定』してしまった短絡。
それはひたすら『退屈なだけの時間』なのである。

『本気の欲求追求』と『難儀・悩み』は表裏を成すセットなのである。難儀・悩みを避けるということは……本気の欲求追求を放棄するということと同義なのである。

『楽しくないこと』を楽しくないと気付くことって至難の技かも知れないね?
それは……今迄を『横着な時間』だったと認め受け入れなきゃならなくなるからである……。
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