ゴダイゴ 『ガンダーラ』の一節
争いもない。憎しみもない。怒りもない。だから悩む事もない。皆が自己実現し笑ってばかりで暮らして行ける?……ユートピア願望だ。
それは果たして幸せなのか?……そんな常態を国民に約束して忠実に履行した国……ローマ帝国である。
『パンとサーカス』と表現される手厚い福利厚生制度。
家族が飢えずに何の心肺もなく暮らして行ける食料保証制度とサーカスというのはコロッセオで開催される見せ物である。
食べることを心配せずコロッセオで行われる興行に熱狂出来るのである。
それでローマ帝国の市民達はどうなったか?……酷い民心の退廃を招き至る所で不倫騒動とそれにまつわる争いが頻発したのである。
これは示唆に富んでいるユートピア実験の実際の結果である。
んで思う……結局パンもサーカスも自分の意思で掴んだものでない限り満足は得られないのだと……。
『与えられる状態』は人の存在意識を希薄にさせる。だから道徳も何もない
兎に角自己存在をそうやって確かめたくなるのである……。
パンとサーカスに飢えて激しく求めている状態の自分っていうのが案外とキサナドゥを生きてるんじゃないか?……と思うのである。
ソコには強烈な自分のモチベーションで意志が存在してるからである……。
『自前の希望とその実現』にしか自分を見付ける事なんて出来ないのだと知る事だと思う……。
本望、本願とされる領域まで進んだとき人は初めて忘我の境地を得るのだと思う……。
悟りに近い感覚であり、『己事究明』が直ぐそこにやって来た状態だと想像する。
『自分以外の何か』ではその扉は開かない!
根拠なくそう感じるのである。
パンとサーカスは自分で得てはいない。パンとサーカスの日々を幾ら繰り返そうと『自分の意味なんて解らない』のである。むしろその状況的安定は安寧を妨げるモノでしかないのである。
状況に恵まれる事を求めるより……苦しく不安な日々でも自分の胸の内が何れだけ躍動するか?僕はソコを基準生きて見ようと思う……。