サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……なるほど……情緒的年齢ね?

興味の最初は……若い年代の忘年会スルーとか飲み会拒絶、そんな彼等の『頑なな異年代とのコミュニケーション拒否』だった……。

少し前のブログで若い年代の論理力、記述力の著しい劣化による論理が通じない『バカの壁』と……論理でのコミュニケーションを求めても若い世代は…『感情の壁』で拒絶に徹するという二つの壁のメカニズム……年代間コミュニケーション障害の原因について書いた……。

様々を読み進む内に……加藤諦三さんの文章の中の『疑似成長』についての記述に出会った。
この疑似成長によって一気に『様々の謎が因数分解された』気がしたのだった。

人間の年齢には三つの要素がある。
『肉体的年齢』と『社会的年齢』と『情緒的年齢』の三つである。肉体的年齢と社会的年齢は時の経過に合わせて『可視化』出来る。

肉体的年齢は見れば分かるし、社会的年齢は七歳になれば小学生、十八歳になれば成人といった様に……周囲の人間も確認可能である……。

厄介なのが『情緒的年齢』である。
『心の成熟具合』って周りからは全く窺い知れないのである。

本人でさえ分からない事が多い……何故なら人間は周囲に要求される役割に『演技によって自分を合わせる』場合が多いからである。

もっと怠惰に幼稚に甘えていたかったのに……親の求めるシッカリしたイイコそのまんまを演じてしまう、そんなパターンである。
その演技が始まると……情緒的成熟はソコで『子供のまんまストップ』してしまうという……。

後は『嘘の自分の演技』によって肉体的年齢、社会的年齢に応じて『それ相応の風を装う』のでありその人のホントの情緒的年齢は幼稚なまんま成長を止めてしまう……。

時は……そんな心理構造お構いなしに過ぎていく……。

ある時……一気に『その無理が表面化する』……代表的事例として…『誰でも良かった殺人』、『出来るだけ多く殺したかった』秋葉原殺傷事件の犯人の心理分析があった。

ある日突然始まる登校拒否、引き籠もり、働く事がポーズ?としか映らない態度で仕事が続かないニートの問題……それは全て、肉体的年齢、社会的年齢を支え切れなくなった『情緒的年齢の未発達』から引き起こされている、という分析だった。

※~加藤諦三氏名『非社会性の心理学』からの抜粋

※…非社会的な人たちは、かつて大切な人からの「保護と安全」を求めて、気に入られようとした。気に入られようとする故に、自分を出せず、コミュニケーションできなかった。その結果、疑似成長した。

疑似成長した人は非社会的になる。

つまり「よい子」になる。不安と恐怖感でコミュニケーションできていないから共通感覚がない。当たり前の感情がない。

 人間として自然な感情を生じさせるためのコミュニケーションに必要なのは、ありのままの自分が許されているという親しさである。自分という存在が大切な人から受け入れられれば、人は人を殺さない。逆に、生まれてからふれあっていなければ、人は人を殺せる。……※

結局今の日本は、三十歳の人の所得格差の問題とは比べ物にならないリスキーな『情緒的熟成の格差問題』が存在していると指摘する。

例えば……ニート問題一つ『自立支援』と称して未来に彼等を進ませようと企図する……。

しかし疑似成長によって『非社会的人間』となってしまっている彼等に必要な措置は『疑似成長が始まった時点の過去』へ連れ帰り、その時の『彼等のホントの心』そのまんま受け入れ『甘え』とか『承認』して上げる事から取り組まなければ……解決はないのだと著者は言うのである。

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