コツコツ勤勉に!ってのを半ば憎悪しながら生きていた。
所が……本気になって独立すると様々な不都合が次から次にやって来た。
それでも……『横着病』はしつこく僕に祟ったのである。
……
ニッチモサッチモ行かねえぞ!こりゃ……となって初めて、一つ一つを丁寧に処理するしかないって所に追い詰められた。
銀行の窓口で順番待ち待ち一つが苛つく自分だった。
そしてそういう誰もが演ってる日常の手続きを嫌がってる内にそういう細々仕事が『コンプレックス』になっていたんだと気が付いた。
横着とコンプレックスが相乗効果を出してたんだと気が付いた。
それから、『自分イジメ』が始まった。
『四の五の言わずにとっとと行って来い❗』と自分に演らせて見たのである。
銀行から帰ると晴れがましい気分になってる自分が不思議だった。
そんな事一つ『現実から逃げていた?』と思った。
銀行の人間と話すのも避けていた。
自分を追い詰めて演らせるとそれもまた自分に晴れがましい気分がやって来る。
『その小さな行動』が僕に様々を考えさせる様になった。『自分の意志』で動くと身体も頭も凄く軽々と作動する様になった。
今ではブログでも『考える横着』なんて知ったかしてるけれど……僕は横着を止めたんじゃなく『仕方なく止めさせられた』のである。
そのプロセスは決して誉められないが……いざ頭と身体を動かす喜びを知ると勝手なもので……『頭の中だけで都合の良い横着ばかりに思案を巡らしてる人』を見ると残念な気持ちになる。辛いだろうなあ?……と。
『私、傷付いた病』が全盛の昨今……そりメンタルもやられちゃうよ!って感じる。
現実の中で現実に小さな行動で現実の結果を一つ得て……『その現実を自分はどう感じるか?』……自分に味あわせてやってから悩みましょうかね?
人は……『実感の中で悩める』のである。
横着の限りで『頭の中でアレコレ』演ってる横着者が多過ぎるんだと思う。
大体ね?考えてみ❗……学歴主義なんて18歳までの努力で『一生の楽が買える?』と踏んでる親も子供も浅はか過ぎるし何より……『生きる横着』と『考える横着』し過ぎなんだよね!……って思いませんか?
試しに散歩に出掛けてみて下さい。
早くも、何のかのと理屈を付けて……『外に出なくて良い理由』を瞬時に幾つも揃えられませんか?……それ『名うての横着者』になってるんですよ……。