サンチョパンサの憂鬱

昼下りのサンチョパンサ(2)……人の本気と覚悟に、時代なんて関係ない

僕の映画漬けが続いている。

不思議なもので、様々書いてきて集大成でもしなさい?なんて言われてる様に……『参考資料』のような映画が目の前に現れるのである。

『アメリカ映画・セッション』を観た。2015年アカデミー賞三部門で受賞……と後で知った……。

全米トップの音楽学院、そこでドラムを学ぶ生徒と教える指導者。
様々な葛藤、煮詰まり……追い込み過ぎた教師、追い込まれ過ぎた生徒……コンサート中に掴み掛かる醜態……退学へ。

教師は卒業生のミュージシャンの親に行き過ぎた指導による鬱病で死なせたという告発を受け退職する……。

ここでまた『先にお断りしておきます』ね?
行き過ぎた指導、侮辱や侮蔑、差別、暴力なんかは絶対駄目!と、……。

しかし、一方で社会の『先回りする傷付き心配』の弊害……がある。
それが『まともな学び』の機会を若者から奪っていることにも気付かなきゃ!と思うのである。

ポリコレの弊害として昔、書いたけれど言葉尻一つを拡大して学ばないという主張をする若者がアメリカではすごく増えている件である。

例えば女性レイブのシーンがある文学作品をそれを理由に『私は学びません!』と授業全部拒否する信じられない無知蒙昧振りである。

チャーリー・パーカーがデビューしたとき、下手くそ!とシンバルを投げ付けられたエピソード。彼は泣いてステージを降りた。翌日から猛練習……一年後にリベンジを果たしたという話。

グッドジョブ(いいよ、上出来さ?)と声を掛けられてたらチャーリー・パーカーは誕生してない!と教師は言う。でもあなたはやり過ぎでは?と生徒…相手は挫折するかも?……と。

アメリカを駄目にしている言葉……ソレが『グッドジョブ(上出来さ)』なのだと教師は言う。世の中甘くなり過ぎた……シンバルを投げ付ける愛情・教えこそがサッチモを、チャーリー・パーカーを誕生させたのだと教師……。

そして『次のチャーリーパーカーも絶対挫折はしない!』と。

僕はジャズが好きじゃないし、よく知らない。でも物事の習得の仕方、修練の仕方は幾らかは知っている。

アメリカの大学生同様に……直ぐ、被害者となって小賢しい反論を試みるアルバイトもかつては居た。

ソコに『辞めたら困るでしょ?』的な思い上がりが見え隠れ。構わず注意を続けると『やってられません……』……そうか?有り難う。コッチから言わずに済んだよ。君はうちの店では使えない。辞めてくれる?……と容赦なく処断した。

昨日、二人の予約のご婦人方を見送る時に、満面の笑みを浮かべアルバイト君に手を振り帰って行った。貴女の気遣いってホント素晴らしい!……と何度も言葉を添えて。

彼女も僕の注意で何度か?涙ぐんだことがあった。しかし今、気が付けば一年間で大きく変わっている。

『僕の様々を積み重ねた結果がこの店だ』……君はその僕の奥座敷に平気で土足で上がり、おまけに牛まで連れ込んでいることに気付けない人間なのか?……確か一年前、注意して初めて泣かせたのはこの台詞だったと思う……。

最低限……自分が自分に恥をかかせていることくらいは気付いてやる『自己愛を持とうか?』……と。
教える側にも教わる側にも自分に恥をかかせない!という妥協なき同レベルのプライドを必要とするのである。

友人が教えてくれた吉田松陰の言葉を思い出した。

☆吉田松陰の言葉……教育とは『教えずにはおかない!という教師』と『学ばずにはおかない!という生徒』でないと成り立たない……☆
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